第6話 陰謀の足音

【事故の二時間後、豊国自動車TTCメインビルニ九階第一役員会議室】


 この第一役員会議室はV字型に机が配置され壁には百二十型の大型液晶モニターが二面設置されていた。また各席には常設のパソコンが置かれており完全ペーパーレスで会議を行う事が可能であった。

 この第一役員会議室で、緊急取締役会が開催されていた。日曜日であったが三人の海外出張中の取締役を除き十五名の取締役が参加をしていた。

 豊国自動車の新型プライムが暴走事故を起こし、二名の方が亡くなった。運転していたのは豊国正蔵前会長。豊国自動車としても直ぐに記者会見を開き、判明した事実を説明する必要が有った。幸いな事に豊国自動車のクラウドサーバーには事故時の映像データーを含む全てのデーターがリアルタイムで送信されており、衝突して電源が喪失される瞬間までのデーターを記録出来ていた。

 議長の豊国正一社長が研究開発部門のトップ中西副社長に声を掛けた。

「中西君、クラウドのデーターは解析できたのか?」

「はい、先程、解析チームから報告を受けました。今からその内容をモニターに出します」中西が自分のパソコンを操作すると役員会議室の大型液晶モニターにビデオ映像とデーターチャートが映し出される。

「上の画面がドライブレコーダーの録画映像です。そして下の四つのチャートが上からアクセルセンサーの数値、エンジンスロットル開度値。そしてブレーキペダルセンサーの値、そしてブレーキ制動力値を示します」

 ドライブレコーダーの画像には図書館の駐車場の出口のバーが映っている。

「画像はここから始まります。下のチャートを見て頂ければ分かると思いますが、この時点ではアクセルが踏まれておらず、ブレーキペダルが踏み込まれています。結果としてエンジンスロットルもアイドリングの位置で、ブレーキ制動力がしっかり出ています。それでは時間を進めます」

 駐車場のバーが上がるとブレーキペダルが離されブレーキ制動力がゼロになった。そしてアクセルが踏み込まれる。

「アクセルを十五パーセント程、踏み込んでいます。そして歩道の手前で一度アクセルが戻されて、その一秒後、アクセルがフルスロットルまで踏み込まれます」

 ここで中西は一旦、録画データーを停止させた。

「多分、前会長はアクセルを戻してブレーキを踏み込んだつもりでアクセルを強く踏み込んでしまった様です。続けます」

 画像が再び動き出した。チャートを見るとアクセルがフルに踏み込まれたままでエンジンスロットルが最大まで開いている。逆にブレーキペダルは踏み込まれておらず、ブレーキ制動力も出ていない。車は図書館の前の道に出て大きく左に曲がると更に加速を続けている。その間もアクセルは一杯まで踏み込まれブレーキは踏まれていない。前方の交差点で停止している車を避けて反対車線に飛び出した。一瞬にして歩道を渡っている親子を跳ねて、奥の店に突っ込んだ。データーはここまでだった。

「残念ながら、今回の事故の原因も、豊国前会長のブレーキとアクセルの踏み間違えと考えられます」

 社長の豊国正一は信じられない結果に呆然としていた。

「音声は無いのか? ドライブレコーダーは音声も録音しているよな?」

「残念ながら音声データーは上手くクラウドに送信出来ていませんでした……」

 中西のその説明に正一は大きく肩を落とした。そして大きく首を振ると社長として決断をした。

「何れにしろ、前会長が起こした事故だ。亡くなった方の遺族にも誠心誠意尽くす必要がある。この後夕方五時から記者会見を開き、この内容を発表する」

 取締役会が終了し、出席した全員が大きく溜息を吐きながら役員室を後にした。

 役員室の外で先程の解説をしていた中西の携帯が鳴る。

「大森君か……。有難う。何とか乗り切ったよ。まだADAS制御の暴走の原因は分からないのか? 分かった。だが今回の様なデーター改竄はいつも出来ないぞ。車側のデーターか? それは大丈夫だ。車は完全に焼失しているのを豊国警察署で早川が確認した。ああ、とにかく解析を急がせろ!」

 中西は電話を切ると、もう一度大きく溜息を吐くと自分の部屋に向かった。



【事故発生五時間後、 豊国自動車本社ビル プレスルーム】


 豊国自動車の前会長がプライムで暴走事故を起こし、若い母娘が亡くなった事故は、日本中に大きな衝撃を与えていた。プライムや前会長に対する激しい非難の声も上がっており、このプレスルームの定員百名を大きく上回るメディアがこの記者会見に押し掛けていた。

 豊国自動車側は社長の正一のみが出席していた。会社としては自動車の不具合ではなく、前会長の運転操作ミスという事もあり、多くの役員の出席を避けていたのだ。

 正一はメディアに先程の取締役会で見た事故のデーターの中で録画したビデオ映像を除いて、アクセルやブレーキの動きを示すデーターをチャートで示した。

 そして、そのデーターから豊国自動車としての見解を示した。事故の原因は前会長のブレーキとアクセルの踏み間違えだと。そして自分の父が起こした事故を誠心誠意謝罪し、遺族に対し最大限の補償をすると宣言した。



【同時間、豊国中央病院】


 雄二は理紗と一緒に豊国中央病院に居た。正蔵前会長は未だ意識不明であり、妻の敦子は右手首の手術中だった。

 待合室で敦子の手術の終了を待っていた理紗が雄二に言った。

「私、見たの。祖父の右足はしっかりブレーキペダルを踏んでいた。だからこの事故はアクセルとブレーキの踏み間違えが原因じゃない。プライムが何らかの不具合で暴走したのが原因だと思うの」

 雄二は頷いていた。車側に何かの原因があるのは豊国自動車の技術者である雄二にとっても辛い事実だったが、しっかりとした解析と対策を織り込まなくちゃいけない……。

 その時、理紗の前にスーツを着た一人の中年男性が立った。

 理紗が顔を上げる。

「貴方は?」

 その男性は上着の内ポケットにからIDを取り出した。

「私は神奈川県警交通部交通指導課の木本と申します。豊国理紗さん。少しお話をお聞かせ頂けますか?」

 雄二は、そうかこの刑事は事故の捜査をしているんだと理解していた。

「はい、承知しました。私から事故の状況を説明させて下さい」

 そして理紗は先程、雄二に説明した内容をベースに細かい詳細迄をその木本と言う名前の刑事に説明した。

「有難うございます。良く分かりました。この後、豊国敦子さんの手術が終わったら彼女にもお話を聞かせて頂きます。勿論、一番伺いたいのは豊国正蔵さんですが、未だ意識が戻らない様なので……。それでは今日はこれで。失礼致します」

 そう言って木本は二人の前から姿を消した。

 その時、雄二のスマホに緊急速報の情報がポップアップした。

「えっ? 何だって?」

 雄二がそれを見て驚いた様に叫んだ。

 理紗も自分のスマホで同じ速報を見た。そこには……。

【豊国自動車緊急記者会見! 暴走事故は前会長の運転操作ミス!】

 と記されていた。

「えっ? どうして……? おじいちゃんはブレーキ踏んでたのに……」

 理紗は呆然としてスマホの表示を見つめていた。


 雄二は豊国中央病院を出て一旦自宅に戻った。

 既に午後七時を廻って自宅の周辺は真っ暗だった。家の周りには規制線が張られ、数人の警察官が監視に立っている。その一人に声を掛けて中に入れてもらう。

 自宅の一階の閉店した本屋に飛び込んだプライムは既に運び出されていた。一階の車が停まっていたスペースは真っ黒に焼けていたが、消火が迅速だったの様で、一階の大半も燃えずに残っていた。中に入ると車が本棚を押し分けて中に飛び込んだルートは焼け焦げた本棚の部品が散乱しているのが見える。また奥に在った古本用の本棚は倒れて、残っていた古本が床に散乱していた。

 雄二はその古本が散乱した床を足元に気をつけながら歩いて行った。そして奥の階段に辿り着くと階段の電灯を点けようとしたが作動しなかった。階段をスマホのライトを頼りに登って二階の居住エリアに入ったが、二階の電灯も点かない。火事で電気系統が故障してしまった様だ。幸いの事に二階は全く損傷が無さそうだったが、電気が無ければ生活出来ない。

「仕方がない……。今日はホテルに泊まるしかないな……」

 雄二は肩を竦めて再び階段を降りた。そしてスマホのライトを点けながら散乱した古本の間を歩いていると、ふと床に光る物を見付けた。近付いて見るとそれは……。

「スマホだ……。プライムから落ちたのかな? そうすると豊国夫妻か理紗さんの物か……」

 雄二はそのスマホを拾い上げて胸のポケットに仕舞った。今度、理紗に会った時に渡すつもりだった。

 そして自宅を出ると駅前に歩き、その日は駅前のビジネスホテルに向った。

 ホテルに到着して直ぐに理紗から雄二のスマホに着信があった。

「雄二さん、今、話して大丈夫?」

「大丈夫だよ。今、ホテルにチェックインした所だから」

「さっき父が帰宅して聞いたんだけど、祖父のプライムの走行データーは会社のクラウドサーバーに残っていて、その解析結果を父も確認したんだって。その結果だと、祖父がブレーキを踏まずにアクセルを踏み続けていたというデーターだったと言っているの。でも、私はしっかり見たの。祖父がブレーキペダルを踏んでいたのを……。私、父に抗議したんだけど、お前の見間違えだと云われて……。突然の事で車内の全員が動転していたんだろうって。でも祖父も私も何度も確認した。絶対にブレーキを踏んでいるのを」

 雄二は何も言えなかった。データーは嘘を付かない。多分、社長が言っている事が正しい筈だと思っていた。

「雄二さん、明日、会社に行ったら貴方の目でデーターを確認して貰えないかな? 私、どうしても真実を知りたいの」

 雄二は少し考えて応えた。

「分かった。でも僕がアクセス出来ない格納エリアかもしれないから、確実とは言えないけど……それでも良いかい?」

「分かったわ。有難う」

「正蔵さんと敦子さんの具合はどう?」

「祖母の手術は終わったわ。全治一ヶ月だけど完治するみたい。祖父は相変わらず意識不明よ。外傷性クモ膜下出血だったみたい。頭蓋骨骨折等は無いから、内科的な治療を進めると医師から聞いているわ」

「分かった。お二人の回復を願っている。君も無理しないでね」

「うん、有難う。それじゃ、またね。お休みなさい」

「お休み」

 電話を切った雄二もとても混乱していた。あの素晴らしい豊国前会長がこんな痛ましい事故を起こすなんて……。それが彼自身の運転ミスだとしても、プライムの不具合だとしても、豊国自動車の経営にとっては計り知れないネガティブインパクトだ。

「僕も事故のデーターは見てみたい……」

 そう思いながら雄二はホテルで眠れない夜を過ごした。


 翌日の月曜日、雄二はホテルで早起きすると、早朝の自宅に一度戻って当面の宿泊用の荷物を詰めた。自宅の状況を考えると暫くはホテルで生活するしかなさそうだった。今日も現場検証があるとの情報を警備の警察官から聞いていたし、電気設備の修理も別途頼まなければならない。

 ホテルに一旦戻ってシャワーを浴びた。そして持ってきた服に着替えて、TTCに出社した。

 少し遅めに出社した雄二が自分のオフィスに入ると、多くの同僚が既に出社していた。オフィス内では昨日起こった事故の噂で持ちきりだった。とは言え、多くの従業員にとっては通常業務が待っていた為、この件は噂を話す以上の時間を掛ける事もなく、昼頃には通常の状態に落ち着いていた。

 雄二は昼食を急いで取ると席に戻り、自分のワークステーションから会社のクラウドサーバーにアクセスした。いつも使う設計データーもそこに格納しており、また雄二は設計リーダーとしての高いアクセス権を持っていたので、簡単にプライムの走行データーの格納場所を見つける事が出来た。

「これだな。『LHV3の走行データー』。このフォルダーだ」

 LHV3と言うのは新型プライムの開発コードだ。雄二がそのフォルダーを開けると、時系列順に多くのデーターが格納されている。

「昨日のデーターはこのフォルダーか……。これが昨日の事故のフォルダーだ。あれ、何故二つデーターが……? 一つはオリジナル、一つはモディファイ……? どっちだ? じゃあ、オリジナルを開けてみるか……」

 雄二は『オリジナル』と言う名前のフォルダーを開けた。中には動画ファイルと走行データーファイルが入っている。雄二が動画ファイルを開けるとそれは正蔵のプライムが起動した所から始まる映像だった。

 映像を再生すると理紗の声が聴こえる。

「おじいちゃん、『パイロットセンス』を使うの? それって高速道路の上だけで使うんじゃないの?」

「理紗、この新型プライムには最新型の『パイロットセンス』が搭載されている。これは停止から高速までの安全運転支援を行う。一般道でも使える緊急ブレーキや誤発進防止機能が最初から搭載されているんだ」

 プライムが駐車場から発進するのが見える。その瞬間、唐突に映像が停止した。そしてクラウドサーバーとの接続が突然切断された。その後、雄二が何度試してもクラウドサーバーへの接続は回復しなかった。

「どうしたんだろう……?」

 雄二が首を捻っていると、自分の前に誰かが立っているのに気付いた。それは……。

「浦山部長……?」

 それは雄二のEV開発部のトップ浦山部長だった。

「川上君、ちょっと良いかね?」

「あっ、はい? 浦山部長。はい、昼休みですから大丈夫です」

「じゃあ、私に着いて来てくれ」

 雄二は自分の席から立ち上がると浦山に続いた。

 課長席でそれを見ていた武川が雄二に「どうしたんだ?」と小さな声で言った。

 雄二は首を窄めて「分かりません」と呟いて、浦山に続いてオフィスを出て行った。

 浦山はエレベーターホールに出ると役員会議室のあるニ九階に向った。そして役員フロアへ入ると、ある役員室のドアを叩いた。その部屋は……。

「中西副社長のお部屋ですか……?」

 雄二が呟いた様に、それは研究開発部門のトップ中西副社長の部屋だった。

 中に入ると中西副社長が奥の執務席に、そしてもう一人の男性がその横に立っていた。それは雄二が良く知っているADAS開発課の大森課長だ。

 中西が雄二を見ながら話を始めた。

「川上君、今日、君をここに呼んだ理由は分かっているな?」

 厳しい顔を見せる中西に雄二はまったく思い当たる事が無かった……。

「いえ、中西副社長。今日はどの様な理由で私を呼び出されたのでしょうか?」

 中西が更に厳しい表情を見せる。

「君は先程、会社の秘匿情報にアクセスしたな」

 雄二はやっと気付いた。昨日の事故データーにアクセスした事が問題になっているのか……。

「中西副社長、申し訳ありませんでした。勝手にプライムのデーターにアクセスしまして。改めて、解析を自分でもしてみたいので、アクセスの許可を頂けませんか?」

 中西は驚いた様に大きく目を開き、そして大きく首を振った。

「このデーターのアクセスは一部の限定された者しか許可していない。君の行為は会社のコンプライアンスに違反しており看過出来ない。本日はこのまま帰宅して自宅待機の事。別途、処分は伝える」

 中西は低い声でそう雄二に告げた。

 雄二は衝撃を受けていた。何故、事故のデーターを少し見ただけで自宅謹慎の処分になるのか?

「処分は告げた。会社のIDを浦山部長に渡して、このまま帰宅する事。良いな?」

 中西の指示は反論の余地が無い程、冷たい声だった。

 雄二は浦山部長に連れられ、一旦、自分の席に戻ると、そのまま荷物を詰めていた。それに気付いた課長の武川が自分の席を立って雄二の席にやって来た。

「浦山部長、川上君はどうしたんですか?」

 その声を聞き、浦山は武川を振り返った。その目は怒りに満ちている。

「川上君は会社の秘匿情報に無断でアクセスした。先程、中西副社長から自宅謹慎の指示を受けた。このまま帰宅させる」

 武川は驚いた様に雄二と浦山の顔を交互に見ている。

「えっ? 雄二が会社の秘匿情報に……。でもそれだけで、突然、自宅謹慎とは納得出来ません」

「武川君。副社長命令だ。我々には反論の余地は無い。それに君の監督責任も重大だぞ。後で私の部屋に来る様に」

「そんな……」

 武川が大きく目を見開いている。

「それでは、川上君、行くぞ」

 まだ、納得出来ていない武川を背中に雄二は浦山に連れられオフィスを後にした。そしてエレベーターで一階に降りると、従業員用のゲートを自分のIDを翳し抜けた。一緒にゲートの外に出た浦山部長が雄二から会社のIDを取り上げる。これで雄二は自分のオフィスに入る事が出来なくなった。

「指示があるまで自宅謹慎を続ける様に。処分は追って伝える。良いな」

 その浦山の強い口調に雄二は反論する事も出来ず頷くとTTCを後にした。

 雄二はこの余りにも理不尽な処分に対する不満よりも、起こった事を理解出来ず混乱する気持ちの方が大きかった。

 直ぐに雄二のスマホに武川からメッセージが届いた。そこには……

『心配するな。俺が何とかするから、休暇だと思いゆっくり休め』

 と書かれていた。雄二は少し考えると。

『ありがとうございます』

 とだけ書いて返信し、仮の住まいであるホテルに向かった。

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