第5話 事故、そして

 全てのイベントが終わった。麗奈は次の仕事があるのだろう、早々に会場を後にした。また会場に居た参加者の大半がそのまま図書館の中に入って行き、思い思いに図書館の所蔵品を見ている。四階の特別展示エリアにも多くの人々が訪れたが、中に入る為にはパスポート及び運転免許証かマイナンバーカードの提示と登録が必要であり、殆どの人が中には入れなかった様だ。

 雄二は豊国夫妻と理紗を楽屋の外で待っていた。

「川上君。どうだった。私のスピーチは?」

 楽屋から出てきた豊国正蔵前会長は雄二を見つけるとそう問い掛けた。

「はい、素晴らしいお考えだと思います。豊国自動車の単独の利益やリスクを考えるので無くて、日本のモノ造り技術の底上げを目指して、あの展示を計画されたのですね。仰る様に僕も含めた多くの若者がここで沢山の事を学べると思います。感動しました」

「そうか、君にそう言って貰えると嬉しいよ。ありがとう。どうだい、この後、時間があれば、一緒に昼食に行かないか?」

 正蔵は満面の笑みで雄二をそう誘ってくれた。理紗を見ると大きく頷いている。

「残念ですが今日はこの後予定が入っていて。ご一緒するのは難しそうです。申し訳ありません」

「そうか残念だが、次は時間を作ってくれ。必ずな」

「はい、承知しました。ありがとうございます」

 正蔵の横で理紗が残念そうにしているのが見える。

「理紗さん、今度は僕がドライブに誘うよ。ご一緒して貰えるかな?」

「あっ……はい。勿論です。ありがとう。雄二さん」

 雄二は頷くと三人に挨拶をして市立図書館を後にした。

「本当に良い若者だな。なあ敦子?」

 車椅子に座る妻に嬉しそうに正蔵が話し掛けた。

「はい、勿論です。私の命の恩人ですから……。ねえ、理紗?」

「うん、おばあちゃん。私もそう思う」

 図書館を後にする雄二を見送りながら三人は同様な想いを感じていた。

「それじゃ、昼食に行こう」

 三人は図書館の駐車場に向かうと正蔵のプライムに乗り込んだ。助手席に夫人を乗せると、理紗は車椅子をトランクに搭載して自分は後席に乗り込んだ。

「おじいちゃん、運転気をつけてね」

「分かっている。私はいつも安全運転だ」

 正蔵がセンターコンソールにあるスタートスイッチを押しプライムを起動させた。

 センターメーターの液晶表示にCG画像が現れ『SYSTEM READY』と表示された。更に彼がステアリングスイッチを操作すると『PILOT READY』と表示される。

「おじいちゃん、『パイロットセンス』を使うの? それって高速道路の上だけで使うんじゃないの?」

 理紗は雄二に教えて貰った知識で早速、祖父に問い掛けた。

「理紗、この新型プライムには最新型の『パイロットセンス』が搭載されている。これは停止から高速までの安全運転支援を行う。一般道でも使える緊急ブレーキや誤発進防止機能が最初から搭載されているんだ」

 正蔵はそう言いながらプライムを駐車場から出した。そして図書館の入口に向かって走り始めた。丁度、快晴の正午過ぎで南向きの駐車場出口の真正面に太陽が有った。正蔵は駐車場の出口の料金ゲートでプライムを止めて支払いの処理をした。そしてゲートバーが上がったのを見て正蔵が言った。

「さあ行くぞ」

 その瞬間だった。プライムは通常では考えられない加速を始めた

「何?」 「おじいちゃん! ブレーキ!」

「えっ? いや、踏んでる!!」

 プライムは図書館の出口を飛び出した。

「クソ!」

 あっという間に道路の奥の壁が近づいて来る。正蔵は加速するプライムのハンドルを大きく左に切った。プライムはタイヤを軋ませ「キィー」と言うスキール音を響かせながら図書館の前の道路に飛び出した。

「おじいちゃん! 踏み間違え! 足見て!」

 加速を続けるプライムの中で理紗が叫ぶ。

「理紗! 見てくれ! 私の右足はブレーキを踏んでいる!」

 理紗が後席から身を乗り出し運転席の足元を見ると確かに正蔵の足は深くブレーキを踏み込んでいる。

「ブレーキ踏んでるのに、何で止まらないの!」

 目の前に赤信号で停車している車列が近づいている。

「チクショ!」

 正蔵は右にハンドルを切って反対車線に飛び出した。メーターを見ると百キロを超えており交差点にあっという間に近付いている。目の前にベビーカーを押している若い女性が見えた。理紗はその女性がベビーカーと一緒にプライムのボンネットに跳ね上げられるのを見た。そしてプライムは交差点の先の閉店している本屋に突っ込み、店内の本棚を押し分け奥の壁に衝突した。激しい衝突音とエアバッグが展開するのを理紗は記憶していた。


 どのくらい意識を失っていたのだろう。理紗は自分を呼ぶ声に気付いた。

「理紗さん! 今、引き出すからシートベルトを外して!」

 まだ朦朧としていた彼女はその声の方を見つめた。車外に雄二が立っているのが見える。

「雄二さん……」

「理紗さん、早くするんだ!!」

 雄二の緊迫した声を聞いて理紗は事故の事を思い出した。そして急いでシートベルトを外すと後席窓から雄二に向けて手を出した。雄二の両手が理紗の両手を掴んだ。そして力強く理紗を窓から車外へ引きずり出してくれた。理紗を抱き上げた雄二は、少し歩いて彼女を床に降ろした。理紗が雄二を見ると車の方を見ている。

「豊国さん達を助けるから、ここで待っていて!」

 理紗は力なく頷いた。起こった事に衝撃を受けていた理紗は床に蹲りながら、雄二が祖母を助け出すのを見つめていた。雄二は祖母を抱えて理紗の側に来て叫んだ。

「理紗さん! 車が爆発する。店の外に出るんだ!」

 雄二を見て頷いた理紗は祖母を抱えた雄二に続いて店の外へ出た。直ぐに二人の男性に抱えられ祖父も店の外に出て来たのが見えた。

 その瞬間だった。理紗の背中で激しい爆発音が聞こえた。振り返ると『プライム』は店の中で物凄い炎を上げている。幸いな事に巻き込まれた人は居ない様だ。

 良かったと理紗はホット胸を撫で下ろした。

 その時、理紗は本屋の十メートル程先に人だかりが出来ているの気付いた。理紗はそれが『何なのか』分かっていた。

「お願い無事で居て……」

 彼女は呟きながらフラフラと歩いて行った。その人だかりの中で彼女が見たのは通常では考えられない角度で身体を折り曲げ、大量の赤い液体の上に横たわる、若い女性と乳児の遺体だった。それを見た理紗は大きな衝撃を受け悲痛な叫び声を上げた。

 そして嗚咽を上げながらそのままその場に蹲ってしまった。

 雄二は豊国夫人を抱えて蹲った理紗を見つめていた。遠くから救急車のサイレンの音が近付いて来るのが聞こえる。反対から消防車も物凄い勢いで走って来るのが見えた。

 豊国前会長は意識が無い様で運び出した二人の男性が歩道に寝かせていた。豊国夫人の意識はしっかりしていたが右手に激しい痛みを感じている様だ。

 結局、この事故で二十五歳の女性 岡本久美さんと一歳の娘 弥生ちゃんの二名が亡くなった。そして豊国前会長は頭を激しく打った衝撃で意識不明の重体、豊国夫人は右手首を骨折していた。幸いな事に理紗は擦り傷だったが、彼女の精神的な衝撃は計り知れなかった。

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