第4話 図書館開館イベント

 ドライブの翌日、雄二は朝の十時の市立図書館の開館に合わせ、三十分前に自宅を出た。交差点の先、図書館の入口には既に物凄い人だかりが見える。既に図書館の門は開いていたが長い列が図書館の敷地の外まで続いている様だ。

 今日のオープニングイベントには豊国市出身で今一番人気の若手女優『川橋麗奈』がゲストとして参加する他、この私立図書館建設費の八十パーセントを出資している豊国自動車から豊国前会長夫妻が参加しオープニングスピーチを行う予定だ。

 雄二が図書館の外に続く長い列に並んでいると後ろから突然声を掛けられた。

「雄二さん、おはようございます」

 雄二が振り返ると理紗が嬉しそうな笑顔で雄二を見つめていた。

「あっ、おはよう。理紗さん」

「一般の列に並ばなくて良いんですよ。雄二さんは関係者ですから……」

「えっ?」

「だって祖父が渡したのはスペシャルチケットですよ」

 驚いて雄二が自分の持っているチケットを見ると『イベント関係者』と書かれた表記が見える。

「多分、分かっていないかなと思って……。こっちです」

 そう言うと理紗は踵を返して列の反対側に歩いていく。交差点の角を曲がった所に従業員用の小さな入口があり、二人がチケットを見せると、『イベント関係者』と書かれたIDを渡された。それを首に掛けてセキュリティーゲートを抜けると、そこには地上六階建ての真新しい市立図書館の建物が聳え立っていた。

「こっちよ」

 理紗に先導され建物の一つのドアから中に入ると、そこは三階まで吹き抜けの広いロビーになっており、その奥に三層に分かれた図書スペースが見える。既にイベントの準備は完了している様子で、何人かの人々が最後の調整を行なっている。

 理紗はロビーの右手奥にあるエレベーターに雄二を案内した。雄二が乗ると四階の釦を理紗が押す。

「四階には何が?」

 その問いに理紗が満面の笑みで答えた。

「雄二さんがとても興味を持つ物よ。祖父と祖母もそこで待っているわ」

 四階でエレベーターのドアが開くと、その先には豊国夫妻が雄二を待っていた。

「川上君。よく来てくれた。さあ、敦子お礼を」

 豊国前会長が横で車椅子に座る女性に声を掛けた。

「川上さん。先日は豊国中央駅で助けて頂いて本当にありがとうございます」

 豊国夫人は車椅子の上で深々と頭を下げた。

「豊国さん、お顔を上げて下さい。当たり前の事をしただけですので、お礼を戴くには及びません」

「いや、本当にありがとう。後で車椅子に記録されていたレコーダーの映像を見たが、ホームから転落するまで、数十センチしか無かった。電車も直ぐに入って来たし、君が助けてくれなければ、妻は命を落としていただろう」

 そう二人に言われて雄二はとても恐縮してしまった。だが、こんなに喜んで頂いて、結果として理紗とも仲良くなれて、雄二に取ってもハッピーな出来事だったと言えるだろう。

「さて、川上君。ここを君に見て貰いたくて四階まで上がって貰ったんだ」

 豊国前会長は奥様の車椅子を押して右の方へ移動すると、壁面のスイッチを操作した。今まで暗かった奥のスペースが明るくなった。エレベーターホールの先はセキュリティーゲートになっていて、その奥には数十台のワークステーションタイプのコンピューターが並んでいる。その更に奥には……。

「車の部品……」

「そうだ、ここには新型プライムの設計情報を収めたワークステーションとプライムの全部品を保管している。誰もが三次元CADの図面データーやハイブリットの制御ソフトウェアのソースコード、そしてプライムの実際の部品に触れる事が出来る」

「そんな自動車会社の秘匿情報を市立図書館に……」

 豊国のその説明に雄二は愕然として呟いていた。

「そして、この上の五階には自動車を開発する為に必要な『ありとあらゆる』技術情報”や設計手法を収めた書籍を所蔵している。世界中から集めた二万五千冊の蔵書だ。また六階には自動車以外の航空宇宙関連、船舶、電車、電気製品の技術情報を所蔵している。ここに来れば日本のモノ造りに関するあらゆる技術を学ぶことが出来る。特に自動車は実際の設計データーや部品に触れる事で、更なる知識を深める事が出来る筈だ」

 そう嬉しそうに説明する豊国前会長を見て雄二は未だ疑問を持っていた。

「豊国さん。これは素晴らしいと思います。でもこんな豊国自動車の技術情報を一般に公開して良いんですか? 新型プライムは豊国自動車の最新型のハイブリッドシステムや自動運転技術を搭載しています。それを競合他社に盗まれるリスクがありますよね」

 豊国前会長は雄二の問いに尤もな質問だと頷きながら説明を続けた。

「勿論、そのままコピーできない様に、四階の情報の外への持ち出しは制限している。また、四階へアクセス出来るのは日本人に限定している。それでも他社へノウハウを奪われるリスクはあるが、それ以上に私は大きなメリットがあると考えているんだ」

「そのメリットとは何でしょう?」

「それは、この後の私のオープニングスピーチで披露する内容だから、君にもここでは話せないな。私のスピーチをよく聞いてくれ……」

 そう言いながら、豊国前会長は嬉しそうに微笑んだ。

 イベントの開始が近づき、雄二は豊国夫妻と理紗と一緒に、イベントが行われる市立図書館の駐車場へ移動した、そこにはステージが作られ、ステージ上には巨大なスクリーンが設置されていた。

 ステージ裏の楽屋に入ると、あと五分で始まるイベントに向けて騒然とした雰囲気だった。奥の方に華やかな衣装に身を包んだ若い女性が見える。雄二もよく知っているその女性は……。

「麗奈だ……」

 雄二が呟くと、横に居た理紗が雄二を見てニッコリ笑った。

「雄二さん、紹介してあげましょうか?」

「えっ?」

「こっち!」

 そう言うと理紗は雄二の右手を掴んで進んでいく。

 麗奈がこちらに気付いて顔を上げる。そして笑顔で手を振っている……。

「理紗、久しぶり!」

「麗奈も!」

 雄二の前で二人がハグしている。

「そちらのイケメンは? 理紗の彼氏?」

「残念、まだ友達の川上雄二さん」

 麗奈が「フーン」と言って、雄二の顔をマジマジと見た。

「雄二さん、初めまして。川橋麗奈です。宜しく」

 麗奈が軽く会釈する。

「はい、川上雄二です。初めまして。麗奈さん。驚いたな。二人は知り合い?」

 雄二の前で理紗と麗奈は顔を合わせ大きく頷いた。

「私達、帝国大学の同級生なの。まあ、麗奈は忙しくて殆ど出席してくれないけど……」

 理紗の説明に麗奈がウンウンと頷いている。

「だから、普通だったら人気絶頂の彼女がこんな地方のイベントには参加してくれないけど、私のコネで来て貰ったの」

 そうかと雄二が思っていると、イベントの進行係から声が掛かった。

「麗奈さん! 一分前です。スタンバイをお願いします」

「はーい! それじゃ二人共、また後でね!」

 そう言って麗奈は楽屋の端、ステージ出口へ走って行った。

 後ろから夫人の車椅子を押して豊国前会長が歩いて来る。

「さて、川上君。君は客席でイベントを楽しんでくれ」

「はい、有難うございます。それでは後ほど……」

 頷く豊国前会長に会釈をして理紗を見ると手を振っていた。

 彼女に「じゃあ、また」と言って、雄二は楽屋を出た。

 会場は既に数百人の参加者で溢れ返っていて、多くのメディアのカメラも見える。雄二は、ステージの前、最前列にある関係者席に腰を降ろした。

 ステージ上は赤いカーペットが敷かれ、リボンの付いた赤いテープが設置されている。

 十時丁度に、左袖から司会者の女性が現れた。

 ステージ後ろのスクリーンにCGを使ったアニメーションで『豊国市立図書館開館』と表示される。

「皆さん、お早うございます。本日は豊国市立図書館の開館イベントにお越し頂きありがとうございます。最初に今日のゲストの方々にテープカットをお願いします。まずは、皆さんお待ちかねの女優『川橋麗奈』さん!」

 麗奈がステージの右袖から左手を振りながら出て来た。その両手には白い手袋をはめており、右手にはハサミを持っている。

「続きまして山本公一豊国市長、ステージへ!」

 雄二も良く知っている市長が右袖で一礼しステージの真ん中に向かっている。やはり白い手袋にハサミを持っている。

「そして、この図書館のスポンサー豊国自動車から豊国前会長夫妻、どうぞ!」

 豊国前会長が一礼してステージ中央に歩いている。豊国夫人は理紗が車椅子を押してステージに表れた。

「さあ、皆さん、テープカットを行います。私の合図でお願いします。それではどうぞ!」

 四人がタイミングを合わせ、テープカットを行なった。

「豊国市立図書館のオープンです! おめでとうございます!」

 会場から一斉に拍手が沸き起こる。物凄いフラッシュの数だ。

「さて、まずはオープニングスピーチを豊国前会長にお願いします」

 司会の女性の声に合わせ、麗奈と豊国市長はステージ脇へ戻って行った。

 豊国前会長がステージ中央のマイクの前に歩み出た。その横には豊国夫人と車椅子を押した理紗が立った。そしてスピーチが始まる。

「皆さん、本日は早朝から、この豊国市立図書館の開館イベントにお越し頂き有難うございます。豊国自動車を代表して私からオープニングスピーチをさせて頂きます。この図書館は建物延べ面積十八万平方メートル、書庫収蔵数千五百万冊を誇り国立国会図書館を上回る収蔵能力を誇る日本一の図書館です。既に五百万点を超える図書、雑誌、映像、特許、論文資料が一階から三階までの一般書庫スペースに蔵書されています」

「そしてこの図書館の最大の特徴が日本の物造りを支える技術情報の収蔵と、誰でもその全ての情報が閲覧出来る事です。特に四階と五階に収蔵している自動車関連の技術情報の中には豊国自動車の新型ハイブリッドカー『プライム』の全ての図面やプログラムソースのデーター、二万八千点にも上る全部品が展示されています。これは世界でも初めての図書館への収蔵アイテムとなっています」

「皆さん、自動車会社の技術データーは秘匿情報でないの? そのデーターを競合他社が得たら、豊国自動車が不利益を被るのでは? と思っていらっしゃると思います。確かにリスクはゼロではありません。しかし思い出して下さい。日本の経済を支えて来たのは日本のモノ造りの実力です。『メイドインジャパン』の品質の高さです。でも現在の日本ではこの様なモノ造りの技術が大きく失われて来ています。これらを挽回する為にも、この図書館に収蔵されている素晴らしい技術情報に多くの若者が触れて見て欲しいのです。そして、日本の技術を若者の手で伝承して行って欲しいと思っています」

「それにより日本に再び多くの技術者が生まれ、モノ造りの日本が復活する事が出来れば豊国自動車の不利益など問題にはなりません。私はこれを実現させる為にこの図書館への投資を決断しました。ここには川橋麗奈さんのファンの若い男性も多くいらっしゃって居ると思います。是非、お帰りに図書館の四階のフロアを覘いて見て下さい。きっと皆さんがワクワクする様な体験が待っています。そしてそれが日本の将来へ大きな糧となると信じています。ご静聴ありがとうございます!」

 スピーチを終え、ステージ上で大きく頭を下げた豊国前会長に向けて、会場から割れんばかりの拍手が鳴り響いた。拍手が鳴り止まぬ中、三人はステージ脇へ戻って行った。

 スピーチを会場で聞いていた雄二も感動して大きな拍手で三人を見送った。

 司会者が次の市長のスピーチを案内する。そして市長のスピーチが始まったが雄二は豊国前会長のスピーチの余韻に浸っていて、市長のスピーチが殆ど頭に残らなかった。

 続いて麗奈が紹介され、麗奈がステージ脇から出て来る。メディアの物凄いフラッシュが始まり、麗奈が司会者とトークを始めた。図書館に因んで、読書の話や、この図書館への期待値等の一般的なトークだったが、それでも、

「これだけメディアを集める麗奈の人気は凄いな……」

 と雄二は豊国前会長のスピーチとは異なる感動を味わっていた。

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