後悔はしていないはずだった……

 娘の命は短いと聞いた。

 今更母親という立場を捨てた私が現れたところでどうなるものか……

 エゾリスの女性タエは悩んでいたのだ。


 獣人族が多く同じエゾリスも存在するこの街で、私は道具屋で雇われて生活費を稼いでいた。

 肺の病気に効くという薬も売っている。

 これを奴隷商が買いに来るうちは、まだ安心していたのだ。

 ところが、いつもなら二週間分は買っていたはずなのに、その日は『三日分で大丈夫だ』なんて言われてしまった。


 どうして? 今まで治らないからと買い続けていた薬をどうして急に?

 完治したなら不要になるはずだ。

 私は堪らず奴隷商の男に聞いていた。

 その答えは私にとってひどく残酷なもの。

『最後をみてくれる人を探そうと思う。

 このまま地下で生活させるのは可哀想だから』……と。


 悩んだ私だったが、どうにか娘を引き取れないものかと考える。

 しかし相手は奴隷商。

 母だから無償で身元を引き渡せ、なんてことは言えるはずもない。

 今まで、見捨てた私の代わりに娘を育ててくれた者たちだというのに……


 一般奴隷だとすれば相場は最低50万Gと聞く。

『売れるかどうかもわからないが……同じ種族ならば、手を挙げる者も現れるかもしれないだろう』

『それって……』

『最低は10万からのスタートを予定しているんだ。

 大赤字だが、あの子のためを思えば仕方ないだろうな……』


 彼が、私のことを知っていたのかはわからない。

 だけど、教えてくれた最低額は不可能ではない額だった。

 すぐに私は駆け回って、足りないお金は店主さんに頭を下げて給金の前借りをさせていただいた。


 どうにか10万Gを用意できた頃には、すでに会場は閉まっている。

 裏口も開いていなくて、仕方なくその日は諦めた。

 引き渡しは通常翌朝である。だから朝一に行けば会うことはできるだろう。

 それに、10万でも売れていない可能性だってある……

 そうなったらこのお金で交渉してみよう……


 ところが、タエは不安と緊張でその機会を逃してしまう……

『お昼……になっちゃった……』

 泣きそうな声で呟きながら、市場へと向かうタエ。

 遅くまで寝付けなかったタエは、いつもより起きるのも遅かった。

 遅刻をしつつも仕事を優先し、心ここにあらずで休憩時間まで働いていたのだ。


 こんな大事な時に、なぜまっ先に駆け寄ってあげられないのか……自分でも不思議で仕方なかった。

 きっとまだ心のどこかで拒否されるかもしれないと……そう思っていたんだろう……


 そんな私に罰が当たったんだろう。

 娘はフロックスというワーウルフが引き取ったのだと聞かされる。

 腕の立つ冒険者らしいのだが、街を移動するのに一人連れて行こうと思っているのだと言っていたらしい。

 なんの目的で病気の娘を?

 簡単なことだ、魔物が出たときの囮に使うつもりなのだろう。


 奴隷商に対しては『それはないから安心しろ』なんて言っていたらしいが、信用できるものか。

 格安で囮が手に入って、運が良かったなどと思っているに違いない……


 ギルドに確認をとったら、早速魔物の討伐に出かけていると聞く。

 私は泣いて、仕事も休んでしまった。

 ただでさえ動くのも辛いと聞いていた娘が、冒険者によって無理に連れまわされている。

 辛くて考え込んで、私は吐いた。


 その翌日、冒険者は二人の子供を連れて馬車で北西に向かったと聞いた。

 それから何日が経っただろう……

 私は……一枚の書き置きを残して、街を去ったのだった……

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