『音の匂い』

 キンモクセイの甘い匂いに誘われて 

 今日も道を歩く

 鼻から吸い込んだ蜜の香りは

 心に残って毒を生み始める。

 繰り返せば繰り返す程に苦しくなって、

 蝕まれた心は溶けて今にも発狂しそうだ。


 右を向けば眩しい笑顔。

 左を向けば幸せな人びと。

 あれ 間違っているのか?

 お前たちが間違っているのか?

 世界がそもそもおかしいのか?

 さあ もういっそ殺しておくれ


 生きてればいいこと 山ほどある 

 なんて本当か なぁ 教えてくれよ

「知らないよ」「知ってる」

 それはお前の口癖で

 だから俺は……


 音の匂いしか信用しない

 華の匂いも 人の匂いも 四季の匂いも

 いっさいが毒なのは 周知の事実

 だから音の匂いに縋りつくことで

 今日も恥をかくんだ


 降りしきる雨はやがて雪に塗られて

 今日も風を凍らせる

 鼻から吸い込んだ清い香りは

 心に残って毒を溶かし始めた

 繰り返せば繰り返す程に怖くなって

 綺麗になった心だけが一人歩きしている


 右を向けば希望の瞳 

 左を向けば愛の童たち

 あれ 一つも持ってない

 お前たちは持っているのか?

 世界は愛と希望で満ち溢れているのか?

 ああ もういっそ泣けたらいいのに


 生きることにきっと 意味がある 

 なんて本当か なぁ 教えてくれよ

「静粛に! 静粛に! 命の価値は平等である」

「異議あり! 噓を言わないでください!」

 なんて茶番劇なら笑えたのに

 だから俺は……


 音の匂いしか信用しない

 華の匂いも 人の温もりも 四季の色も

 いっさいが愛なのは 周知の事実

 だから音の匂いに縋りつくことで

 今日も恥をかくんだ


 でもいつか手と手をつないで 

 目と目を合わせて

 鼻と鼻を擦りつけあって

 弱く震えた指で 

 誰かに触れる春が

 芽生えればいいなと思う


 2020年10月17日

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