『弱虫』

 何かを、書かなくてはいけない。

 私は今、そう思っている。ただ漠然と、そう思っている。

 書いている。実際には今、別の作品を書いている。途中だ。

 書きたいことは、あった。ただ書きたいことが多すぎて自分の小さな脳みそが追いつかない。そんな時は、よくある。

 あ、これも書こう。そうそう、これも書かなくては。そうやって一つ、二つ、と増えては消えて、また増えて、細胞が分裂するみたく増えていって脳みそが破裂しそうな程の眩暈を覚えて。ふと、猛烈に死にたくなる。

 けどきっとこの死にたいは死にたいではなく、今の私に死にたい以外の表現方法なるものがないから、そう言っているだけだと自分で思っている。

 そういう時は、散歩をしてみる。ふらふらとあてもなく。いつの時間であっても散歩はいいものだ。それでも夜中の三時程の心地よさにかなうものはない。

 散歩を終えて、ベッドに寝転んだ。

 左半分の耳を枕に置いて、ドクドクドクという音が聴こえてくる。私はこの音が苦手だ。とても耳障りに感じる。その時、ハッとなって気付く。これは私の心臓の音なのだ。

 脳は死んでも、心臓が止まらない限り人は生き続ける。それほどまでに大事な部位。それが奏でる音が耳障りだなんて。

 私はこの音を聞くと十秒くらいで厭になってくる。もって三十秒というところか。すぐに枕から耳を浮かせるなり、真正面を向くなり、寝返りをうつなりをする。

 何かを、書かなくてはいけない。何か。自分の中での確信たるものを書いてみたい。

 私はこういうときに限って、都合の良い考に走る。小説の神様。どうか力をお貸しください。ハハハ。なんて、情けない。全く。時に小説の神様は気まぐれだ。

 人の小説を読んでいるとき、たまに小説の神様を見かけるときがある。なるほど。確かにこれは人に書けないな。そういう文に出会うことがある。いいなぁ。私にもそんな気まぐれを分けて欲しいなぁ。随分と弱虫である。

 仕方がないから、キーボードを打ってみるのだが、酷い有様だ。神様が見たら笑ってしまうだろう。よし、そのままにしておこう。私は比較的、自分の書いた文章を消さないほうだ。これこそ悪癖なのかもしれない。だから私の小説には、後から自分で読んでも理解不能な文があったりする。これは神様への宣戦布告ととられるかもしれない。いい。それでいいんだ。自分の文は自分にしか書けないのだから。なんだかどうも気恥ずかしいことを書いている気がする。だが、こういった自分の裡にある文章を吐露することで、良くなる時もあるし、悪くなる時もある。へへへ。何をやっているんだか。

 ところで、小説の神様はどちらにいますかあ。


(2020.6.12)

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