第40話

 ランクトンはサーバールームの扉を踏み越えた。半長靴がカツンと音を鳴らすと、冷たい空気が彼の頬を撫でる。サーバーの冷却が行なわれているのだ。ちょうど呼吸と同じように、ブラフマAIも毎分毎秒毎時、休みなく稼動し続ける。


 サーバーラックの傍に目的の男は背中を凭れさせていた。ちょうど数日前、檻の向こうで見た時と同じように、ランクトンはジャックを見下し、ジャックはランクトンを見上げていた。


 目立った外傷は見られないが、腕からは電極が伸びている。その元を辿るとテーザーガンが転がっていた。その先をさらに追うと、カエサレアが意識なく転がっている。彼女の長い銀髪が五方へと散り落ちている。


「彼女に何をした?」


 ランクトンが問いかけると、ジャックは重い頭をゆっくりと上げる。高電圧による激痛のせいか、額には汗が流れていた。ただ、不敵で冷ややかな笑みは崩れておらず、ランクトンを不安にさせる。


「ハハ。俺は何もしていないよ。俺はね」


「無駄口を叩くな!」


 ランクトンはそう言ってジャックの肩に蹴りを入れた。肉に靴がめり込み、ジャックは苦悶の表情を浮かべて地面を見るように俯いた。息も途切れ途切れで、暑さに参っている犬のような仕草だった。


 それから彼はゆっくりとランクトンを見上げた。彼の瞳はランクトンにとって恐るべきものだった。まるで泥のように、一度引き込まれたら抜け出せぬような魔力を持っている。ジャックは一度、目を閉じると、ゆっくりと開いて、また笑った。表情の仮面を取り替える。痛みを無視して、彼はニヤニヤしながら口を開いた。


「勘違いしているのだよ、ランクトン。エンケラ・ランクトン。君は俺を——この、ジャック・ルイスリーを——暴力の支配者か狡猾な悪人と捉えているようだけれど、俺の成した功績の半分はブラフマによるものなのさ」


「ブラフマ?」


 ランクトンは彼の言葉が信じられず、思わず眉をひそめた。ジャックは手を頭に置き、話を続ける。


「そう、それだ。君と俺の間にある、この鉄の箱だよ。おかしいと思わなかったのか? 物量戦、兵士の練度、争いの勝敗を決めるほとんど全てのファクターにおいて圧倒的優位を持っているDOGsが、どうしてアンセムごときに遅れをとるような状況が長期わたり続いていたのか——まさか、俺の立てた作戦が功を奏した、だなんて思ってもいないよな?


 おかしいと思わなかったのか? カエサレア・ファーストは、すくなくとも電脳戦において最高の頭脳、スペックを誇る。そんな彼女のファイア・ウォールを易々と破り去って、君たち二人が乗る航空機が墜落したのは何故だ? 


 電脳区域の崩壊は? この暴走する同調チャネルに対してなんのセーフティも対策も行われていない理由は? ——まさか、単なる偶然だと思っていたのか?」


「トチ狂った話をするなよ。ブラフマがお前らアンセムの手を貸すはずがないだろう。あれはただの機械だ。そもそも他のAIと同じように文明に不利益の被る行動は出来ないように作られている」


「想像力が乏しいから君たちは犬と揶揄される。発想を逆転させろ、アンセムの活動こそ文明に対してプラスに働くのならば、ブラフマが俺たちに協力しないわけがない」


「妄言も大概にしろ、そんな話が信じられるか!」


 そう言ってランクトンは彼の鳩尾をもう一度蹴り上げた。ジャックはまた下を向く。そしてそこから冷笑を浮かべた。無機質な笑い声がサーバールームの床に反響する。


「DOGsはブラフマにとっての敵なんだ」


「混乱を呼び込むお前らこそ社会の敵だ」


「お前らの上層部が盲信している平和こそが終末なのだよ。争いのない平和な世界というのは物語が閉じることと同義だ」そう言って彼は笑いながらランクトンを見る。「だから彼女は機能停止した!」


 ジャックが言いかけたのを、ランクトンは耐え切れずにテーザーガンの引き金を引く。小さな悲鳴をあげて、よろよろと凭れた背中が地に着いた。それでは物足りず彼の顔を踏み抜いた。なんとしてもこの現実を否定したかった。思いつく限りの罵声を子供のように浴びせる。沸騰した感情が彼の歯止めを破壊する。


 しかし、それも長くは続かなかった。銃弾が彼の足の甲を破壊し、思わず彼はその場に倒れこむ。即座に何が起こったかはわからなかったが、よく見るとジャックの片手には拳銃が握られていた。無理な体勢で射撃を行ったせいか彼は手首を押さえながらゆっくりと立ちあがった。自然とランクトンは彼を見上げる体勢になる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る