第35話

 ワールド・クロック・センターに不審者が侵入したことを、警備ドローンが司令室に通達する。しかし、閉鎖されている現状で、司令室に警備の人間はいない。警備ドローンは警備兵の到着を待ちながら侵入者に対して応戦を続ける。


 しかし、DOGsの軍人にとってドローン程度はダーツの的にもならなかった。マズルフラッシュが光る度に編隊を組んだドローンはその構えを崩す。羽根を砕かれたドローンは不恰好に地面へと墜落する。男が何かを叫ぶと女型のアンドロイドが男と入れ替わるように現れてドローンを撃墜していく。その戦況は火を見るより明らかだった。


 女が何かに気づき、こちらを向く。次の瞬間、カメラ画面は暗転する。こちらを見られていることを気取られたか、とジャック・ルイスリーは大きく息を吐いた。それから下を俯き、次に取る手を考える。望む結末から現在までに起こすべきアクションと起こるだろうリアクションをシミュレーションして一本の糸で紡ぐ。ちょうど夜空に浮かぶ星で——彼は幼少の頃、よくそうして遊んでいたものだった——星座を作るかのように。今の所は、ほとんどすべてが上手くいっている。


 モニタールームからランクトンは待機させていたアンセムの構成員数人に指示を出す。狙いは二人の分断にある。これが上手くいくかは彼の部下と天運に掛かっている。ここから先は自分の管轄外だと言わんばかりに、ジャック・ルイスリーはモニタールームから出た。目指すはブラフマAIのサーバールームだった。走る度に響く足音が、彼にとって少し煩わしい。


「ハハ。ドゥームズデイは近いぞ」


 誰に言って聞かすでもなく、彼はそう呟く。予言視した未来が、今すぐそこまで迫ってきていることに、彼はすこしばかりの緊張を覚えていた。


 彼が走るたびに足音が廊下に響く。それがまるで早鐘のように響いているのを聞いて、ジャックは自分の胸の内の高鳴りがやや抑えられていないことに気づく。この衝動はどこへ行き着くだろうか。己の狂気と、それを補うように働く理性が精緻な暴走を起こしている。


 事態はジャックのほとんど思惑通りに動いている。カエサレアとランクトンの二人はタワーへとやってきた。ブラフマAIの持つ影響力は強大であり、これを操ることは、そのまま世界を操ることにつながりうる。特に現状のような絶望的な状況において、この選択は会心の一手に成り得る。


 その半ば苦し紛れの手を打ちたくなる気持ちは、ジャック本人にも痛いほど理解できた——そして、ここまでDOGsを追い詰めるまで、ジャックは骨を折るような作業を繰り返してきた。ジョージ・ファーディへの支持。同調チャネルを利用した世論の誘導。マスメディアに対する影からの資本主義的な扇動。資金援助。全てはこの選択のために仕込んでいた。


 しかし、ここからの展開は彼にも読むことができない。定義付けされていないので理詰めで考えることもできなければ、体験したこともない。まるでそれは蝕のように薄暗く、隠れてしまっている。


 入退室のための認証をあらかじめ偽造パスで解除し、彼はサーバールームの内部へとつながる簡素なドアを開く。


 そこは怪しげな光に包まれていた。マシーンの保護のために直射日光は避け、寒冷な場所に保護されている。ルームシステムが操作する換気扇の音が、アルミニウムの外壁を通って、ジャックの耳へと届き染み渡る。


 整列したいくつもの箱を見て、彼は思わずアンセムのことを思い出す。乱れた整列。溢れてしまいそうな熱意。人間は誰しもが闘争を求めているわけではないと気付いたのは、二度目の夜戦の時だった。今でもヤード沖の波打つ音と、視界の奥で揺れる護衛艦の影が思い浮かぶ。航空機と見えざる潜水艦の恐怖。にらみ合いの緊張。擬態ドローンを警戒し、ウミネコ一匹に怯える兵士。


 闘争の本能というのはちょうどアルコールの適応と似ている。そこから計画と作戦、考え方。自分に合うか、合わないかだ。そしてこの法則は闘争の本能以外にも適用することができる。社会に適応できるか、できないか。それには個人差が存在する。


 この個人差に大きく影響するのは身体だ。健全な精神は健全な肉体に宿る、という言葉のように、精神は身体に後続する。


 サーバーの空冷が肌を冷やすが、ジャックの内部に篭っている潜熱が彼の思考を加速させた。


「お前の話をしているんだぞ、ブラフマ」


 ジャックの視線の先には他のサーバーラックとは一回り巨大な箱がある。彼にはジャックが本に見えた。ありとあらゆる知識と情報が集約された一冊の本。ある時は聖書、ある時は経典、ある時は石板。ブラフマ。社会管理のために作られたAI。その本体、あるいは本質を見て彼は不敵に笑った。なんとちっぽけなものだろうか、と。


「お前など俺にとっては恐れるに足らない。お前の目指すまやかしの未来など、俺からすれば——たしかに、同じものを共有しているかもしれないが——陳腐な理想だ」


 俺は狂人になってしまったのか?


 ジャックは自分の思考が次第に混沌の最中へと貶められていくのを感じる。これで何度目かもわからないネガティブのスパイラル。一種精神疾患じみた廃退の思考が侵略を始める。


 あの時から。あの数式に囚われた時から。俺の脳は恐ろしい事実と思考に支配されてしまったのだろうか。いいや、違う。俺はまだ正気だ。俺以外のすべての人間が狂気なのだ。そうでなければ、このような悲劇、惨状、混乱、どのようにして説明する? それともやはり、俺だけが異常の最中にいるのだろうか? やはり人間は畜生で、狂気的な、仮初めの、植えられた価値観こそが正常なのだろうか? 犯人はどこにいる? それは個人による犯行か? 集団か? 故意か? 悪意ある作為か? 偶然か? それとも必然だったのだろうか? ——ジャック・ルイスリーはパニックに陥りかけるが、それを氷のような理性が抑えた。


「いくら考えたところで結末は変わらない。そう、変わらないのだ。だから俺にとって問題とはこの結末の後に起こさなければならない行動のことだ。……そうだろう。ジャック」


 彼はそう自分に言い聞かせると胸ポケットからカプセル錠を取り出してそれを飲んだ。乱れていた彼の呼吸が少しずつ整えられていく。しかし、少しずつ筋肉が弛緩し、ジャックは崩れ落ちるように倒れて、だらしなくサーバーラックに背中を預ける。


 彼の二つの目がブラフマを睨む。彼は機械の奥に意識が吸い込まれてしまいそうだった。朦朧とし始める意識の中で彼は、経済学のデータとして掲示されたチャートが生物に見えると言った学友のことを思い出した。その学友の名前はおろか、顔すら思い出すことはできないが、それを聞いた当時はなんと不気味なことを考える奴だろうか、とジャックは不審に思っていた。しかし、今となれば、それに対して共感できずとも、理解することはできる。つまり、たとえそれが非生物であったとしても、何か一つ、人間と共通したところを見つけてしまえば、人間はそれに対して「心がある」とか「生きている」などと錯覚してしまう。

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