第34話

 炎が空気を乾燥させる。喉が渇く。さらに口の中が殴られた時に切れていて、なんとも気持ち悪い。


「地獄か、ここは」


 彼は一言呟く。視界の遠くではDOGsの隊員が棒を持って集会に殴り込みをかけている。そこに向かってまた別のグループが——いったいどこで作り方を知ったのだろうか——火炎瓶を投げ込む。空気が乾燥しているのは至るところで火事が起きているからだった。


 ランクトンの同調チャネルは不具合なのか、未だしばらく接続することができないが、何が起こっているのか、少しずつ明らかになった。アンセムによって感情のみが同期されているのだ。同調深度がおそろしいほどに浅い。人間の意志や言葉、思想などはシャットアウトされ、感情だけが共有されている。


 人々の脳を不安と混乱が埋め尽くし、それは他者の感情を呼び起こす。この一種パンデミックめいた現象を、暴力を用いて押さえ込もうとするのならば、その結末は悲惨なものだろう。

 

「カエサレア」


 ランクトンは待ち合わせ場所である地下の駐車場を訪れると、先に待機していた彼女を呼んだ。彼女は彼の声に反応して振り向く。区分的には工作任務にあたるからだろうか、ランクトンに比べて彼女の装備は軽装だった。


 周りを見渡す。そこはルームシステムが導入されていない部屋のようで、視界の隅には照明のスイッチが見えた。随分と原始的だとランクトンは感じる。駐車場ということは理解出来るが、そこにトランスポーターも車も駐車はされていない。ただ、標識だけが淡く光っている。どうやら、建てられたものの、常日頃から利用されているわけではないようだ。


「アンセムの妨害は想定されます。できる限り戦闘は避けてください。DOGsが壊滅状態の現在、大掛かりな武装を用意することができないからです」


 ランクトンは頷いて返答する。PDWとテーザーガン、EMPジャマープレイヤー、そして特記するべきではない小道具。普段慣れた戦場のような大掛かりな準備をすることは叶わない。それは半ば無謀な賭けのようだった。


「それにしても……ここはいったい何処なんだ?」


「ここは、非常非難用通路です。関係者以外はここの存在を知ることすら難しいので、ここはまだセーフティです。ブラフマAIの管理サーバをジャック後は、再びここが集合地点となります。ランクトン、あなたのデバイスを貸してください」


 ランクトンは彼女の指示に従い、デバイスを渡す。「このデバイスは様々な状況を想定して作られています」カエサレアは物理ケーブルを取り出すと、自分のデバイスと接続する。ブラフマAIが沈黙している現在でも、こうした有線での情報のやり取りは可能のようだ。カエサレアはランクトンにデバイスを返す。


 デバイスにはセンター内部の詳細な地図が表示されていた。普段、作戦前に行われるブリーフィングと形式はよく似ている。唯一違う点は、本来、自分の位置と味方の位置が地図上にドットで示されているが、今回はそれがない。


「ここに表示されている非常用通路を使用すれば、ワールド・クロック・センターの最下層。地下十四階に直接行くことができます。センターのエレベーターは二つに分かれていて、地下十四階から地上五階まで行けるもの、地上一階から屋上のある三十四階まで行けるものがあります——つまり、どこかでエレベーターを乗り継ぐ必要があることを留意してください」


「……ああ、わかった」


「元気がありませんね。覚悟を決めたから、来たと思ったのですが」


「いいや、覚悟はした。ブラフマAIを利用して情報の統制を行うことが最善なのは、よくわかった」


「ではなぜ、そこまで浮かない顔をしているのですか?」


「カエサレア、君にはあまり共感できないかもしれないが——」ランクトンは自分の顔を確かめるように触る。自分の想像以上に顔がこわばっているのを実感した。「——人間は所詮、獣だ。ジャック・ルイスリーの言う通り。それを見せつけられたからかもしれないな」


「ネガティブになりすぎです、ランクトン」


 自分たちを獣から人間に押し上げていたのは、世界平和指数という数字だけだった。その変動に合わせて一喜一憂する。これが信仰と言わずして何というのだろうか。ランクトンは自己嫌悪に陥ってしまいそうだった。


 負のスパイラルに落ちれば落ちるほど、ジャック・ルイスリーの言葉に対して理解が深まり、共感していく。今、身の回りにある技術は、獣である自分たちには不似合いなのではないだろうか。人を簡単に殺すことのできる重火器、距離の概念を取っ払ってしまったコミュニケーションツール、そして目の前には人間によって造られた人間がいる。


 技術が人間という性能を落とす、というようなレベルの話ではない。ただ、技術が加速するあまり、人間のモラルや良識が追いつかなくなってしまっていただけなのだ。それがこの騒動の原因の一端なのだろう。


 そして二人はその技術を使って、不安を無理やり拭い去ってしまおうとしている。その行動が何か良い結果を呼ぶだろうと、彼は確信があった。しかしその一方で——ここが彼の一番不安とするところなのだが——長期的に見れば、誤りを上塗るような結末となってしまうのではないか。憂慮している。


 たとえそれが混乱を収めるためだとしても、人間が他の人間の感情を操作することは、果たして許されるのだろうか?


 不安がある一定まで満ちてしまったところで、ランクトンは深いため息を吐き、それ以上の思考をシャットする。普段は薬物投与によって行うそれを、彼は自然に行うことができた。思考の停滞を心の底から望んでいたからかもしれない。


 ランクトンはPDWを抱える。それは普段よりもずしりと思う、そして鉄の冷たさを携えていた。それの電源を切り、完全なマニュアル操作へと切り替える。


 ——君たちは、よく覚えておけ、屍の上を歩いているんだぞ。


 ジャックの言葉を彼は不意に思い出す。これまでの平和はアンセムとDOGsという対立によって生まれた屍によって保障されていたのだ。その証左として、見えない敵に対しては混乱しか生まれていない。


 起きろよ、畜生。


 神経が研ぎ澄まされていく。誰かの声に急かされて、ランクトンは瞳を開く。


「行こうか」とランクトンはカエサレアを呼んだ。

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