第32話
寝て起きてみれば、シティの様相はまったく変わってしまっていた。とても、自分の生活していた空間と同じようには思えない。歩道を遮るように壁に激突している車すら見ることができる。遠くで火事が起きているが、ルームシステムの沈黙のせいで、消火士の出動を要請することができない。ブラフマAIも人間なしでは勝手に動くことはできない……いつから世界はこんなに脆いものになったのだろうか。
「昨日の俺らはいない。死んだ!」
活動家。ジョージ・ファーディ、ジャック・ルイスリーの後を継ごうとする正義の輩が駅前で熱弁を論じている。もはやショック前とショック後で、世界は裏返ってしまった。
「DOGsの活動弾圧を許すな! 隠蔽を暴くのだ!」
「ドゥームズデイは見えないが、もはや差し迫っている」
強意とアフォリズム。その手法はジョージ・ファーディが好んで使う言論のテクニックだった。弁士とヘイトが重なってランクトンはどうにも生きた心地がしなかった。
話を聞いていくうちに、自分の情報や認識と、世間とのズレがだんだんと露わになってきた。決定的な情報不足のせいだろうか。それとも、送受信体の切り替えに失敗して、よく似ているが、まったく違う世界線へと飛んで行ってしまったのだろうか——そんな荒唐無稽な不安がランクトンを襲った。
「なぁ、ひとつ訊ねたいんだが」とランクトンは近くにいた初老の男を呼び止める。「世間からこんなにも責められるに、DOGsはいったい何をしたんだ?」
「お前、何も知らないのか」
男はランクトンの方を振り向いて驚いた。軽く酒気を帯びていて、顔が赤い。ランクトンはすこし、顔をしかめそうになった。こんな平日の昼間から、そんなことをしていて良いのだろうか、と心の中で思ったが、もしかしたら、今の状況において、それは自然なことなのかもしれない。
「最近、田舎からシティに戻ってきたんだ。驚いているよ、今。随分と様変わりしている」
「はん、なるほどな。今は移動に対して厳戒態勢が敷かれているから、そりゃ大変だったろうよ。ジャック・ルイスリーの逃亡なんかで、犬の野郎共……。しかも奴ら、公共施設のほとんどを閉鎖しやがるし、ディスプレイやデバイスをほとんどジャックしちまった。なぁ、許せるかい? これは人権侵害だろうよ」
話を聞けば聞くほど、ランクトンは自分たちが随分と嫌われ者になったことを実感する。
「ところで、それは誰から聞いた話なんだ?」
「誰からって、同調チャネルから流れてきた思想と弁論だよ。世の中にこれ以上信じられるものはあるのか?」
「そうか。ありがとう」
今の状況はまるで悪夢だ。とランクトンは心の中で毒を吐いてその場から立ち去った。世界は混沌としている。論拠のない推論と、空虚な理想論、陰謀論が蔓延ってシティを覆い、暗い影を落としている。いったいこの悪夢から逃れるためにはどうすればいいだろうか。
ランクトンにとって今のシティは非常に息苦しいものだった。何かが焦げるような臭い。怒りを露わに、叫び声を挙げる民衆。それを見せぬように子供の目を隠しながら歩く親。焦燥感。
ランクトンはしばらくベンチに座ってシティの様子を観察していた。今ならばジャック・ルイスリーの言葉の意味を——それはほんの少しだけだが——彼は理解することができる。
「人間の鳴き声」その表現は巧妙に的を射ているのかもしれない。所詮、人間は文明という衣をまとっただけの畜生なのかも……しかし、ランクトンは彼のように深く悲観的になることができなかった。それを認めてしまえば、すべてを失ってしまうような気がしたからだ。
プライド、生活、人生の目的。
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