第31話

 もはやDOGsの警察機能は完全に麻痺しています。とカエサレアは宣告する。しかしそれはDOGsに限らず、ほとんどの政府機関、民営企業が恐慌状況にある。


 ランクトンのデバイスは三日前でデータの更新が止まっており、最新のニュースが流れることがない。マスメディアは混乱脳対応に追われており、その責務を果たすことができていない。自室のルームシステムが沈黙しているのもこれらと同じ理由で、システムサーバが通信エラーを引き起こしている。


 強いて言えばトランスポーターのみが今まで通りの営業を行っている。それは人類の最終文明ラインであり、これの停止は文明社会の停止を意味するからだ——しかし、その一部はアンセムによる人の移動を行っている業者もある。


 不安。


 不安が不安を煽る。


 その連鎖は増幅して、とてもつもないほどの不安へと膨らむ。風船が永遠に膨張運動を続けることができないように、不安も一定の膨張に達すると、それは弾けて、破裂する——それは人間の本能と遺伝子に刻印された、もっとも原始的な闘争の原因であるという。


 ジャック・ルイスリーは同調チャネルによって同一の不安を世界中に共有した。それはこのまま行けば、誰にも止めることが困難な戦争の火種になりかねない。世界は平和どころか、安定すらしていないからだ。


「ジャック・ルイスリーの真の狙いは不安を煽ることによって人間がお互いを攻撃するように仕向けることだったわけだ……しかし、わからない。いったいなんのために?」


「激しい戦争は多くの命を奪いますが、それと同時にギフトを齎します。航空機、インターネット、量子ジャンプ、そして同調チャネル。これらはすべて戦争技術から民間技術へと流用されたものです。


 彼はこの技術革新を意図的に起こすことで、利益の発展を狙っているのではないでしょうか。単純な話、戦争がなければ、武器が売れず、武器が売れなければアンセムの幹部たちは生活ができなくなるのですから——と分析しますが、すみません。私でさえも、今は自分の意見に自信を持てません。どうにも、あの男の頭の中だけは、読むことが非常に困難です」


 経済回復、そして世界平和指数の復調には、少なく見積もって五年かかる、その五年はそのまま、アンセムの繁栄に成り得る、とカエサレアはバディに解説した。ここ数日、連続して舞い込む不運なニュースにランクトンはげんなりし始めていたが、タワーこと、ワールド・クロック・センターに向かい、ブラフマAIをハックすれば終わる話だという——言葉にすれば簡単だが、果たしてそれを行うことが正義なのだろうか?


「……もう少し時間をくれ。それはつまり、全人類を洗脳してしまうことだろう?」

「わかりました。後日、そちらを訪れます。DOGs本部周辺は特に構想が激しいので、立ち寄らないようにしてください」


 そう言って彼女はランクトンのPDWを渡し、彼の家を出た。

 三日眠っていた彼はその間、PDWのメンテナンスをすることができなかった。しかし、カエサレアによって丁寧なメンテナンスがされていたようで、変形動作が滑らかになっている。ステアエクスの寒冷な気候が起因して、ここ最近は動作不良が多かったにもかかわらず、不具合の兆候すら見せていない。


 動かないランクトンを不審と思っているのか、自律行動ドローンに変形したPDWはまるで子犬のように彼のことを気にかける。PDWが足を曲げ、ランクトンの顔色を伺うたびに、モーターが動く音が静かな部屋に響いた。


 ランクトンは深く自問自答していた。DOGsは平和のための暴力を容認しているのだろうか。恐怖の記憶を消してしまうことは、許される行為だろうか。ジャック・ルイスリー、ヤツはたしかに世界を混沌へと陥れた。そして、それを救うための行為には、大きな代償を伴ってしまう予感がする。なんて残酷な非対称だろうか。ランクトンは嘆きたい気持ちになる。


「ルームシステム。ニュースが聞きたい」


 ランクトンは客観的な意見が欲しいと、普段は嫌悪しているディスプレイを見ようと思ったが、ルームシステムは沈黙している。ジャック・ルイスリーの仕業か、とランクトンは落胆する。


 そもそも、ジョージ・ファーディという男の化けの皮が剥がれてしまった時から、マスメディアの価値、こと信用は無に帰してしまったのだろう。デバイスも沈黙をしている。


 窓の外を見ると、そこはまるで終末のようで、ボヤは見逃され、若い母が幼い子供の顔を隠しながら、道路の隅を歩いている。暴動グループによる世界政府反発の声が遠くから聞こえて来る。何かが焦げる臭いと、砂埃の立つ視界。


 鈍色の空はどこまでも続いているようだった。西からDOGsの警察車両が出動する。東の暴動を鎮めるために。アンセムが世にのさばるのならばDOGsに価値などない。ジョージ・ファーディが虚構ならばメディアに価値などない。もはやランクトンには自分の目で確かめることしか、手が残されていないように見えた。


「PDW、変形しろ」


 ランクトンの命令で自律ドローンから小火器へと変形する。しばらく悩んだ後、政府から支給された防弾チョッキを服の内側に着込んで、ランクトンは外出することに決めた。

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