第30話

「ジャックは、ジョージ・ファーディを介してあの映像を共有することで、見事に世界を二分しました。つまり、暴力によって平和を維持するか、それとも平和のために暴力を放棄するか。電脳区域の住人を抹殺することはたしかに暴力ですが、それは間違いなく平和に繋がることなのです。なぜなら彼女ら電脳区域の住人は——」


「黙認されていたとはいえ、世界政府に反する人間だから、か。そしてその矛先は次、DOGsに向いている。俺たちは暴力によって平和を目指すグループだからな、そうだろう?」


 カエサレアはその質問に対して首肯する。ランクトンは今の状況に対して悪態をつきたくなった。罰則と暴力は酷似している。DOGsに対して反発を覚える人間。それは今まででも珍しいことではなかった。問題はそれが大きなムーブメントとなっていること。


「世界平和指数は四十二まで減少しています。暴力派と反暴力派で街は半ば内乱状態に陥っています。同調チャネルが人間の持つ闘争心を煽るからです。もはや誰にも手がつけられません。ここは郊外だから、まだ安心ですが。首都部では……」


 彼女も気が気ではないのか、早口でランクトンをまくしたてる。


「落ち着いてくれ、君まで正気じゃなければ俺はもうどうすることもできん。教えてくれ、君ならわかるんだろう。市民の暴動を抑えるためにはどうすればいい?」


 世界を大きく変えた人間はこれまでの歴史の中で二人いる、とランクトンは考えていた。一人目はマルティン・ルター、そして二人目はカール・マルクス。彼らは、たった一つの革新的なアイデアで一つの共同体を真っ二つにしてしまったという共通項があるのではないだろうか。そして、ジャック・ルイスリーは、前に挙げた二人と同様、暴力と非暴力によって世界を二分してしまおうとしている。


 DOGsは問われているのだ。様々なものが天秤に掛けられている。プライド、世界政府、平和、暴力、市民、名声、そして自分たちDOGsの構成員。


 今までは平和のために協調してさえいれば、それでよかった。しかし、その協調をジャック・ルイスリーは見事に逆手にとったのだ。民衆から絶大の支持を持っていたジョージ・ファーディという人間を介して人の意識に崩壊のイメージを挿入する。このイメージに対して民衆はまったくの態勢を持ち合わせていなかった。障ってしまったのだ。


 ちょうど多様性を失った植物が同じ病気によって絶滅するように、彼らもまた狂気の中に陥ってしまっている。


「まず、なんらかの方法で別れた協調意識を一つに戻す必要があります。何か強力な信仰や洗脳によれば、暴動そのものを抑えることはできるでしょう。


 もう一つは団結を弱める方法です。つまり別れた協調意識をさらに細分化するのです。闘争のほとんどは二つの多数派によって行われるものです。多くの少数派が牽制しあうような時代では、大きな闘争が行われることは珍しいものでした……すみません。少し抽象的な話になってしまいましたね。


 結論から言えば、どちらの方針を取るにしても私たち二人、いやDOGsというグループのみでは解決の可能性は非常に低いでしょう。


 大衆の恐ろしさは純粋な力です。生半可な手を打つことはかえって逆効果です。火に油を注ぐようなものでしょう。ジャック・ルイスリーにおけるジョージ・ファーディのような強力な影響力を持った存在がいなければなりません」


「広告塔や火消しということか? 君も知っていると思うがDOGsは警察機関だ、タレント養成学校じゃない」


「そのとおりです。DOGsにはいません。しかし、『影響力』そのものは、誰の手にも渡っていません。ランクトン、これは大切な質問ですが、あなたにとってもっとも大切なものはなんですか?」


「迷うまでもない。平和だ。戦争のない世界」


「そのためならば他のすべてを犠牲にできますか?」


 カエサレアは奇妙な質問をするので、ランクトンは無意識に缶をテーブルの上に置いた。争いがなければ、死んでいったバディらも死ぬことはなかっただろう。誰かが死ぬ場面は、彼にとってこりごりだった。だからこそ、死神のような存在であるジャック・ルイスリーに対してはその知性に対する羨望の他に、憎悪と呼ぶべき感情を抱いていた。


「もし覚悟があるならば、たったひとつだけあります」


「それは?」


「ブラフマAIをジャックします。そして、ブラフマAIから記憶処理を行います。ちょうど収容所で私たちがされたように」


 ランクトンに戦慄が走った。科学技術とそれに付随する法律に弱い彼でさえも、ブラフマAIに対する電子ジャックは明らかな国家反逆であると判断がつく。しかし、彼の目には彼女は悪ふざけでそんなことを言っているようには見えない。


「そんなことが可能なのか?」


「えぇ、私ならできます。ブラフマの恐るべきところはその頭脳ではなく、人間に及ぼす影響力の大きさにある」


 そう言って彼女は飲みかけの缶ビールをテーブルの上に置いた。それから、それと同じ未開封のものも、また無造作に並べ始める。


「ブラフマの最大の特徴はいわば、頭の良さではありません。この机の上のビールを開けることは誰でもできます。ただ——これは当たり前の話ですが——自分の腕の長さより遠くにあるものを開けることはできません」


 そう言って彼女は机を傾ける。並べられ缶はバランスを崩して机の上を転がり、吸い込まれるように段ボールの中へと戻っていく。大道芸人みたいだな、とランクトンが賞賛すると、コツさえ掴めれば人間でも再現可能ですよ、とカエサレアは答えた。


「所詮は腕の長さのようなものなのです。広いところまで手が届く、ような。頭だけならば私と大差ありません……というよりも同一型ですから実現可能性は非常に高いでしょう」


「しかし、ブラフマAIそのものはどこにある?」


「タワーです」


「タワー?」


「ええ。ワールド・クロック・センター。世界中の株式を取りまとめて管理している証券取引所ですよ。デバイスに表示される世界平和指数はそこで行われた計算を元に転送されています」

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