第26話

 ランクトンは重い頭を抱え、ゆっくりと目を開く。女の嬌声、汗っぽい臭い。彼女は今、そんなことに手を出しているのか、とランクトンは強い不快感を覚えた。


 静脈血のような赤色で塗られた木製の壁、空間と空間を仕切る薄手のカーテン。シティとはかなり異なる建築様式を持っている。柱は物理学上の最適解からは遠く離れているところにそれぞれ配置されている。なんとも不気味な部屋だと、ランクトンは思ったが、そのような甘い考えはすぐに打ち消した。電脳区域上に物理法則は適用されない。この部屋はそれとはまた別の法則の下で成り立っているのだと気付いた。中心主義。おそらく彼女、あるいは彼は、自分が、この世界の中心であることを理解しているのだろう。


 部屋を構成するすべての要素が「シィァンユェのために」配置されていた。物理法則を無視した、柱の位置も、カーテン、歪んだ壁、肉。調和を乱すのは部外者であるランクトンたち二人だった。まるでプラネタリウムの投影を遮る影のように二人は部屋の中に立つ。


 それは人間のエゴと好奇心の産物。あるいは怪物。電脳区域によって産み出された女王は今日、羊の毛皮を纏う少年の姿として椅子に座していた。シィァンユェの——今日の——外見は十歳ほどに見えたが、その立ち振る舞いから五十を超えた中年にも、七十を超えた老人にも見えた。胡乱な目つきと機会な動き。


 遠くの部屋から聞こえる嬌声、熱気。空間すべてがランクトンにとって不快だった。


「DOGsだ。シィァン……ユェ、捜査の一環として、お前に訊きたいことがある。協力してもらおうか」


「知ってる。ジャック・ルイスリーについてでしょ?」


「話が早いな。ここの住人は外に興味がないと思っていたが……」


 ランクトンはそう言いながらシィァンユェを観察する。羊の毛皮を纏う少年。彼女はヒトではない。電脳区域からカルト的な希求を受けて存在しているプログラム上の存在だ。電子AI、人間の信仰対象という役割を持った特化型AI。


 その役割は古き時代の国王に似ていた。つまり依り代としての国王に。電脳区域にバグや事件が起こると——ちょうど、穢れを祓うように——破壊され再創造される。


 肉体を持たない人間は血を求める。偽王の処刑がエンターテイメントとなったことが歴史上に存在する以上「電脳区域の女王の破壊」というのがそれにならない理由はなかった。


 ランクトンがシィァンユェを見るたびに姿形を変えたり、そのありようを変えたりのは、不定期的に、そして頻発して女王が処刑されるからだった。


「単刀直入に訊ねます。シィァンユェ、貴方はジャック・ルイスリーに何を提供しましたか?」


「ふふ。なんだと思う?」


「……協力した、ということは否定しないのですね」


 それを聞いた彼女はふふ、ともう一度笑った。それがカエサレアには不気味に見えた。人間との交流をベースに作られた汎用AIである彼女と、王という機能をベースに作られた特化型AIであるシィァンユェとでは、思考回路がとても似ているが、根幹的なところで違うせいだろう。


「別に『ダメ』とは言われてないから言うけれど、あたしが提供したのは技術だけよ。あたしというベースを作り出す技術。それからパーソナルIDの消去」


 パーソナルIDの消去についてはやはり、と思った。電脳区域の一部には完全に自信を証明するデータを消去してしまう人間がいた。人類をデータ管理をする世界政府、それに対する反対姿勢の一つに過ぎないが、彼にとってはその行動の持つ意味が異なる。ジャック・ルイスリーはデバイスのオールスキャンをDOGsが行うことを見越していたのだ。


 しかし「あたしというベースを作り出す技術」については見当がつかない。それはつまり電脳区域のような仮想空間を作り出す技術のことを指しているのだろうが、彼がその技術を知りたがる理由について、ランクトンには心当たりがない。


「わからないけれど、ここ、みたいな場所をジャック・ルイスリーは作りたいんじゃない? ふふ、きっとそうよ。彼はあたし達の考え方に同調してくれたんだわ。


 メインストリートは同じ思考。ビルとビルに挟まってビルが建って、人間と人間の間に人間が置かれる場所。価値観は『トレンド』によって植えられて——なんて窮屈な現実!


 あたしね、特化型AIだけれど、ジャック・ルイスリーのことはすこしだけ理解出来るわ。こんな社会、叛逆したくなって当然でしょう。でも彼って愚かね。そんなことしたって、疲れるだけなのに」


 歪な会話。ランクトンは目の前の女王とジャック・ルイスリー観を共有させることができなかった。なぜだかわからないが、強度の孤独感を覚える。覚えた時、ランクトンは自分を恥じた。


 ランクトンはジャック・ルイスリーをただの悪人として捉えることができなくなっていたからだ。無意識のうちにランクトンは、あのテロリストに期待をしてしまっている。アンチ平和主義などというつまらない理由でアンセムに所属しているはずがない、という理想像が、自分の中に存在していることに気付かされる。

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