第24話

 ほんの数日しかシティを離れていない二人だったが、そこに和やかな雰囲気は決してなかった。ジャック・ルイスリーが脱獄したことによるDOGsと世界政府に対する反発は激しい。


「For PEACE!(平和のために!)」

「No SEARCH!(探るな!)」


 二種類のプラカード。行列。何か、共通の敵や共通の目的があると人間は団結しやすいのはよく知っていたが、眼下に流れる川のように押し進む大衆を見て、ゴーティは憂鬱になっている。


「あなたが決めたことなんだ。そんな物憂げな顔しないでくれよ」


「……あぁ、ランクトンか。貴様にこんなところを見られるのは癪だな。何の成果もなしに戻って来たんじゃあるまいな」


「ステアエクスに関するレポートならば十時間ほど前に提出しましたよ。デバイスを確認していないんですか?」


「やかましい! 今はそれどころじゃない!」


 あまりにも情緒不安定だ、とランクトンは思った。ここは無理に相手をしない方が良いと判断したランクトンは自分のデスクに戻る。その途中でポールフのデスクを見たが、まるで死んだとは思えないほど、彼の机の上は雑然としていた。


 DOGsの皆は、業務に追われている。とてもではないが、故人の整理をする余裕がなかったのだろう。ポールフは独身で家族らしい家族もいないことから、遺品の引受人もしばらく現れないのだろう。


 彼の突然の死がランクトンに与えたのは悲しみではなく、日現実感だった。未だに自分の悪友を亡くしてしまったという実感を持てずにいる。


 それは自分がメディカルチェックを施されたからだろうか、とランクトンは邪推する。バディを始めとする身近な人間が亡くなった時、対象者はDOGsによってメディカルチェックという名の記憶処理が施される。強度の感情は同調チャネルに影響を与えるというからだ。昨日までの自分と今までの自分に隔たりを感じることはないが、違和感はあった。清流に手を伸ばした時に砂粒が当たるような違和感。


 部屋に置かれた巨大なディスプレイには毎度のことながらニュースが流れていた。ランクトンはさっさと調査のためにこんなオフィスから抜け出してしまいたいが、できない。自分のバディであるカエサレアは航空機墜落によって損失したスケルトンの修復のために、時間を取っている。損壊は見た目ほど深刻ではないとメディカルチームが連絡したので、ランクトンはそれを信じて自分のデスクで待っている。


 見渡してみると、彼からすればオフィス内はそこまで非日常的な風景が広がっているようには見えなかった。外でデモを行っている民衆を除けば——ひたすら事務作業に取り掛かる者、外を回って情報を集める者、各部署と連携を図るために何度も会議を重ねる者。


 ため息を吐きつつ彼は、デスクからデバイスを取り出して、状況の進展を確認する。モニターが光りだすと、彼の目の前にジャック・ルイスリーの消息を辿るレポートが何件も映し出された。これら全てが他のDOGs隊員が自力でまとめあげたものである。シティ近郊からアンセムの前線基地まで、ジャック・ルイスリーが訪れていそうな場所が事細かに記されている。右から左へと情報をスライドさせる。結論として、提出されたレポートの全てが、彼の消息について、箸にも棒にもかからないような状況であることがわかった。


「DOGsの『トレンド』はヤツだな」と自嘲する。


 犬のご自慢の鼻でさえも、脱獄後の彼を追い詰めることはできない。ここまで何の証拠も得られないとなると、流石の彼も少々弱気になる。しかし、悲観的になっているわけではない。頼りのカエサレアが戻って来れば、彼女の推理からいくつかの光明が見えるとおもっていたからだ。


 そんなことを考えながら提出されたレポートを一つ一つ読み込んでいると、その中にポールフから送られているものを見つけ、目が止まる。それはDOGs本部ではなく、ランクトン個人に宛てたものだった。崩れていた姿勢を正し、彼は我が目を疑った。


 彼は唾を飲んで、レポートを開く。そのレポートには「お前のデスクの引き出しを開け」とだけ、指示が書かれていた。それを見たランクトンは目を開いて自分のデスクの引き出しを見た。


 取手に手を伸ばし、力を込める。そしてゆっくりとそれを開く。鈍い音とともに現れたのは、たった一枚の紙切れだった。そして、そこには手書きで「ヘカテログが解けた」と書かれている……それだけだった。


 彼は思わず眉をひそめるが、それを見て呆れることはしなかった。これこそがポールフの最後のメッセージだからだ。


 一見、ほとんど意味を持たないように見えるそれには、ジャック・ルイスリーの消息、あるいは世界平和指数の謎につながる重要な真実が隠されているに違いない。ランクトンはそう信じていた。そう信じて、紙の裏面を見たり、透かしがないかを探ってみたりした。けれども、結局、その努力はそれが何の変哲のない紙であることを証明するだけだった。


「『ヘカテログが解けた』か……」


 彼は小さく声に出して読み上げてみるが、そこから書かれていること以上のものを読み取ることもできない。彼は無言で立ち上がると、ポールフのデスク前に行き、遺品であるデバイスを開こうとした。しかし、デバイスは所有者にしか開けないようになっているため、画面が光ることはない。……もしかしたらデバイスにヘカテログ解読の鍵が隠されているのではないか、と考えた彼だったが、その予想は大きく裏切られてしまった。


 ヘカテログ、謎のプログラム塊であり、何のために作られたか、わからないもの。「解けた」ということはヘカテログが何のために作られたものか判明した、ということだろう。


「仮にそうだとして、何故直接ヘカテログの正体を教えてくれないんだ?」とランクトンは死人に文句を言いたくなった——しかし、口に出すより先に一つの閃きが先行した。


 ——ポールフはヘカテログの正体を知ってしまったから、アンセムの手によって殺されたのではないだろうか? 


 アンセムの中心人物であるジャック・ルイスリー、彼の部屋と思われる場所にはヘカテログの画面と同じモチーフが配置されていた。ならば、「ヘカテログ」は「アンセムという組織の根幹に関わるもの」と等式で結びつけてしまっても違和感はない。


「顔が怖いですよ。ランクトン、何かありましたか?」


「いいや、なんでもないさ……それよりも、早速だがこれから俺たちは電脳区域に向かう。準備してくれ」

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