第23話

 空を見上げる。天窓から見える灰色の景色は、ランクトンの気持ちを晴らすことはない。空港の二階と三階部分は業務縮小により管理が破棄された区画であり、壁や手すりが錆びていて、なんとも寂しいと思った。


 なぜかランクトンは、こういった古びたもの、レゾンテートルを失ったものに愛着を抱かずにはいられなかった。興奮するわけではないが、異常な性癖と言っても過言ではない。


 部屋を借りた時から割れて散乱していた窓ガラスでさえ、美しいと思って放置している。


「……そういえば、ジャック・ルイスリーの部屋のような場所で、しばらくぼうっとしていたが、何か収穫があったのか?」


「ありました。ただ、彼の考え、理論は私にとって少し突飛なもので、理解に時間がかかっています。

 結論から言えば、彼はブラフマAIに興味を持っていたようです。ブラフマAIを掌握すれば世界を掌握したも同然ですからね」


 四つ顔を持ち四つのヴェーダを創造したとされる神の名前を冠するそれは、たしかにこの世界を司っている。情報管理AIを統括する特化型AI。彼の家のルームシステムも、自律ドローンの操作システムも、交通整理AIも、世界平和指数も——カエサレアのようなスタンドアローンを除けば——源流を遡ればブラフマへと辿り着く——また一つ、調査するものが増えたな、とランクトンはナイーブな気持ちになる。


「ジャック・ルイスリーほどになれば、ブラフマAIを乗っ取ることが可能なのか?」


「絶対にありえません、と断言します。この世界にそんなことができる存在はいません。どんなに優れた人間、アンドロイドでも、あれを攻略することはできない。次元が違います」


 ランクトンは空港内のベンディングマシーンで購入したコーヒーに口をつける。よく冷えていて、味が濃い。彼好みの味だった。


 ポールフも「ブラフマAIのミスはありえない」と言っていた。ランクトンは回想する。どうやらこの世界においてブラフマAIのミスや洗脳はありえないことのようだった。


「ブラフマAIは意思を持たない特化型AIですが、ベースは私と同じような人間思考です。だからブラフマAIは基本的に人類目線で処理を行います。少なくとも人類の大敵であるジャック・ルイスリーに協力することもありえないでしょう」


「……しかし、彼には協力者がいるはずだ。俺たちには見えない」


 ランクトンの一言を聞いて、カエサレアは目を開いた。


「ええ、私もちょうど同じことを考えていました。たとえ収容所から脱走していたとしても、そこから先、何の準備なしに逃亡し続けるのは、さすがの彼と言え、至難の技です」


 DOGsの監視の目をくぐり抜けてシティを動き回るのは至難の技だろう。トランスポーターによる交通規制を始め、乗り物による移動の制限は広範囲を対象に行われ、世界政府から全住民のデバイスに対する無差別スキャンも許可されている。デバイスのパーソナルデータと個人が合致しなければマークされる。


「これほどまでの厳戒態勢をシティに敷くことが出来たのは私の信用のおかげだ。ランクトン、お前は重々承知しておくように」通話越しにえばったような口調のゴーディを思い出し、苦笑する。たしかに、これに関しては局長のコネクションと辣腕を評価せざるをえなかった。


「きっと彼にはアンセム以外に、大なり小なりコミュニティーを所有しているはずです。ランクトン、心当たりはありませんか?」


「俺が心当たりある場所のほとんどは、もうすでに他の隊員が向かっているだろうよ……ああ、いや」


 そう言ってランクトンは自分の言葉を打ち消す。しかし、そこから言葉を紡ぎ直すのを躊躇った。そうして誤魔化すようにコーヒーにもう一度口をつける。しかし、カエサレアは聞き逃さなかった。


「今、何か言いかけましたか?」 


「何もないさ」


「心拍数に僅かながら上昇が見られます。嘘ですね」


「はぁ……勘弁してくれよ」


 空港のアナウンスが二人に航空機に乗り込むよう指示する。もう一度墜落するのはごめんだな、と思いながらベンディングマシーンの隣のゴミ箱に飲み終わったカップを入れた。デポジットを受け取ると、彼は先行する彼女の背中を追った。

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