第21話

 ジャックに時間の余裕はなかった。


 闇の中、手探りで死体となった青年から、衣服を剥ぎ取りそれに着替える。独房から出口までのルートは——目隠しをされていたものの——一度通った道ならば迷わない。道中のセキュリティゲートについても問題はない。職員のほとんどは勝手な避難をし、残った一部の職員は外部からの襲撃の対応に追われている。


 上階へ上がると強度の光とけたたましいアラートがジャックを襲った。眩暈と耳鳴り。彼はそれを無視する。


 地上階ではアンセムとDOGsの戦闘が繰り広げられているようで、すさまじい銃声が鮮明に聞こえる。時たまに起きる爆発が地面を揺らす。その緊張感に彼も思わず張り詰める。編隊を組んだ飛行ドローンが彼の頭上を飛んでいく。彼はそれを見上げるが、ドローンの方はジャック・ルイスリーに気づいていないようだ。


「神が味方してくれている、と俺は思わないからな」


 その場には誰もいないというのに、彼はまるで誰かに忠告するようにひとりごちる。


 ジャックから五メートルほど先にある柱には、アンセムの戦闘員が倒れていた。凶弾にやられたのだろうか、脇腹を抱えてうずくまっている。苦しい顔をしていた。

「大丈夫か」とジャックは声をかける。男は口を開くだけでも激しい痛みに襲われるようで、苦渋の表情をするばかりで返答は無い。ジャックは微笑むと、男のポケットからデバイスを取り出す。


「死にそうだな。泣いているな。寂しいか?」


 デバイスを見ると、男のチャネルはアンセム内で共有されている周波数と同調していた。同調深度はかなり浅く設定されている。そうするように、ジャックは教育していた。


「思うに……死の先には何も無いと思っている。天国も地獄も、もちろん煉獄も。だから俺たちは死ぬ最後の最後まで有意義な生き様を晒さなければいけない」


 そう言って、ジャックは男のデバイスを操作し、同調チャネルの設定を変更する。同調震度を強力にし、接続をアンセム内部から変更する。男は息が荒くなる。酸素が欠乏しているのだ。


「安心しろ。俺たちはアンセムで一つだ」


 彼が接続先を指定すると、しん、と————世界から音が奪われた。


 銃声も爆発も、今まで騒ぎが嘘のように収まった。視界の隅では自律ドローンが目標を失って沈黙している。


 ジャックは男が漏らす苦痛の声が完全に途切れるのを見届ける。男の胸ポケットに煙草とライターが刺さっていた。彼の人生において数少ない娯楽だったのだろう。ジャックはそれを見て目を細めると、それを抜き取り、一本取り出し、火を灯した。


 ジャック・ルイスリーのいるところから壁を一枚、二枚挟んだ向こう側では、両陣営の兵士が震えていた。何が起きたか理解できない混乱と、どこからか湧いてきたかわからない恐怖心が兵士の心を蝕んでいる。


 兵士共が虚空を見つめる。ラウンジの窓から差し込む陽光に反射してキラキラと輝く砂埃が、風を失って落ちる。落ちた先の地面には散乱したガラスや石片が地面に散らばっている。そのような欠片やゴミをジャックは踏み潰すように歩く。口には煙草を咥え、自分の仲間だった人間と、自分の敵だった人間の間を堂々と。


 収容所を抜け出した。外は騒然としている。同調チャネルの影響を受けた者と幸いにも受けていない者との間でパニック状態に陥っていた。アンセムからの未知なる攻撃と騒ぐ老人が遠くで叫んでいる。流行りの服装に身を包んだ少女がDOGsによる致命的な誤射を受けたと叫んでいる。


 その場にいる誰もが、ジャック・ルイスリーには気付いていない。誰も、ジャック・ルイスリーの顔を知らないのだ。国際テロに対する興味など、遠い異邦の地で起こっている戦争などないからだ。ましてやその騒動の首謀者など知る由もない。


 そんな人間たちを横目に、ジャック・ルイスリーは雑踏の中へと姿を消す。収容所内でけたたましく鳴るアラートが空に響いた。

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