2章

第20話

 世界は流転していなければいけない。上から下への一方的流れではなく、円環だ。円環の回転は永久的に持続する。


 ジャック・ルイスリーは硝煙の匂いと爆発の音を無視し、天井を見つめていた。暗い部屋のなかで彼は天体を描いていた。それはフラクタル構造を採り、無限の螺旋を描く。


 宇宙の眼が彼を見ていた。そして彼も宇宙の眼を見ていた。


 宇宙の眼はジャック・ルイスリーを見ているが、その眼もまた、誰かに見られている。


 ゲームの仕組みは常に単純だと、ルイスリーは考えていた。本気で挑む。勝敗がつく。勝者と敗者では天と地の差が生まれる。


 そして勝ち負けがどうであれ、そのゲームは継続され続けなければならない。生と死が循環されるために。星を回すために。


 世界平和指数が百を指した時、世界の成長はストップする。ゲームも終わる。平等でも公平でもない。パレート最適であり、ナッシュ均衡の一点に到着する——それが人類のゴールであり終末だった。そしてそれに抗っているのは、自分だ。


 俺以外が正常で、俺だけが異常なのだ。とジャック・ルイスリーは信仰していた。世界平和指数が百になることが人類にとっての最大幸福であり、それを阻害するのは悪である、と彼は確信していた。確信していながら、ジャック・ルイスリーはそれに逆らうことに決めた。圧倒的な非対称性を有しているこの状況は、世界からゲームと定義された。幸いにも。


 眼を開く。目の前の光景は瞼の裏と大差はなかった。闇のように暗い部屋の中、それ以外に情報が無い。何か、別のことに思考を支配させなければ、正気など容易く折れてしまうだろう。


 ジャック・ルイスリーはゆっくりと立ちあがった。計算と時間のカウントに寸分も狂いがなければ、そろそろ、アンセムからの救出がなされると予想したからだった。


 ジャック・ルイスリーは警備と警戒が手薄になる頃を待ち望んでいた。自分が逮捕されればDOGsは出来る限り迅速に残りの脅威を排除することを急ぐだろう。ATHの残党を掃討するために、ウェンマージュ海峡へ兵士の追加補充を行うに違いない。


 難敵であるエンケラ・ランクトンとそのバディであるカエサレア・ファーストは、自分の出したヒントの真意を探るためにステアエクスへ向かっただろう。多少のズレはあっただろうが、大まかなところは外れていないはずだ。


 そこまでジャック・ルイスリーは確認したところで、物事の展開が、おおよそ自分の予想通りに進んでいたため、少しだけ口角が上がった。そして強く息を吐く。


 今の所は自分が優勢なのだ。と、ささやかな達成感が彼を包む。それから酷く憂鬱になる。自分は未だに、明確な意思を持ててはいない。この席に座るべくして座る人間ではないかもしれない、という不安があった。それが自身の弱さであると認識しているが、その弱さを捨ててしまうことはできなかった。


 ジャック・ルイスリーは数時間ほど前に痛みを感じた。身体中を撃ち抜かれるような激痛。痛覚ソースはステアエクスに設置した同調チャネルの中継機からに違いない。何人がデコイの同調チャネルとコネクションを結んでいただろうか……? ジャックは計算をする。シティの人口から考えれば、ちょっとしたパニック状態に陥ってもおかしく無い。


 植物が多様性を目指すのは、生存の可能性を高めるためにある。病や気候変動に対するリスクヘッジ——人類の弱点はそれを怠り、調和と平和の方向へ足並みを揃えた。その象徴がジョージ・ファーディによる形骸化したアフォリズム。あれが精神的支柱、そして模範となっている。


 ジャック・ルイスリーは顔を上げ、アンセムのメンバーを見た。まだ若い青年だった。彼の手にはライトがあり、光はジャックを照らしている。眩しさに思わず目を細めた。


「……遅かったじゃないか」


「DOGsによる抵抗が想定より激しく、少し手間取った。トランスポーターの用意はしてあるが、そこまで時間の余裕がない。拘束を解くのは後で構わないよな」


「ダメだ。直ぐにやれ。俺が教えたとおりにやればいい」


「はぁ、わかったよ」


 ジャック・ルイスリ―を助けに来た青年は渋々解除作業へと取り掛かった。手持ちのライトを口にくわえてデバイスを取り出し、電子ハッキングと物理ハッキングを同時に試みる。


「都市道路など封鎖されるに決まっている。トランスポーターなどクソの役にも立たない。堂々と歩いたほうがまだ安全だ。DOGs、彼らは必ず初手にブラフマAIに頼る。だからブラフマAIされ騙すことができれば、脱出はそう難しい話ではない」


 青年はジャックの手枷足枷を外す作業に意識を注いでいたが、彼の言葉を聞いて一瞬手を止めた。


「ブラフマAIを騙すだって?」


「ああ、それしか生き残る道はない」


 重い音を立てて彼の拘束が外れる。指を鳴らし、自分の体の動きが鈍くなっているのを感じた彼は思わずため息を吐いてしまった。しかし、いくらか緊張がほぐれて、その顔には余裕すら見える。その一方で、青年の方は心が落ち着かなかった。


「ブラフマAIを騙すなんて! あれは政府の至宝なんだぞ! どの国のライセンス偽証よりも難度もセキュリティも高い。クリアランスを満たしている人間なんか、世の中に五人といない。無理だ!」


「お前には無理だが——」ジャックは青年の手からハンドライトを叩き落とす。「俺にはできるんだ」落下によってライトのレンズが割れる。その音が響くやいなや、部屋の中に完全なる宵闇が降りた。突然のことに青年は奇妙な声を出す。


 ジャック・ルイスリーはこの日に備えて暗闇にずっと目を慣らしていた。残光と一瞬まぶたに焼き付いたイメージ、そして青年の息遣いを頼りに、彼は手早く青年の腰の拳銃を引き抜く。そして一度、その表面を撫でると、次に青年の頭蓋を撃ち抜く。


 青年は——悲鳴をあげる間もなく——暗闇の中で意識が途切れた。鈍い落下音がジャックの耳の中にまるで付着するように届いた。

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