第12話
その夜、ランクトンは珍しく真夜中に目が覚めてしまった。
「おはようございます。ランクトンさん。就寝から三時間十二分。脳波の乱れを感知しました。修復プログラムを起動しますか——?」
「……結構だ」
「本日は四時間後にスケジュールが組まれています。詳細を確認しますか?」
「いらない」
「かしこまりました。それではランクトンさん。よい一日を!」
そういうとルームシステムは沈黙する。遠くでトランスポーターの走る音が聞こえた。ランクトンがじっと静止して壁を見つめていると——普段は聞こえない——換気扇が回る音や、時計の秒針が動く音が彼の耳に届く。最後にランクトンが自身の意識を深いところへと沈めると、幻聴が聞こえてきた。あの、ジャック・ルイスリーの声だ。自分を笑っている。ランクトンは思わず歯を食いしばった。まるで悪夢を見ているような気分に陥る。
俺は奴が出してくる謎を解くことができるのだろうか。カエサレアがいるとはいえ、奴はもしかしたら彼女を上回る頭脳を持っているのかもしれない。そんな不安が溢れる。
額からは汗が流れる。焦りたくなる、今すぐにでもステアエクスへと飛んでしまいたい気分だった。しかし、彼がどんなに急いたところで、航空機が出発する時間が早まることはない。もどかしい気持ちが彼を襲った。
突然、ディスプレイが光出す。それはジャック・ルイスリーの声のような幻覚ではない。ランクトンの起床を感知したセンサーが、彼のために朝四時のニュースを伝えようとしているのだ。
ディスプレイの光を受けて、足元に散乱する割れたディスクやガラスが反射して光る。そして、ランクトンの背後には濃い影を作った。ランクトンはそのまぶしさに眼を細める。
「ライトを点けてくれ」
ルームシステムに命令すると、部屋全体がクリーム色の照明で照らされる。彼は顔を手で覆った。ディスプレイを見る気分にはとてもなれなかった。だから、音だけを聞こうと、ディスプレイの横に備え付けられたステレオスピーカーに耳を傾ける。
DOGsがATHの残党を掃討するために兵士の追加補充を行ったことを報道している。この影響で世界平和指数の低下が懸念されている。しかし、公式の声明として「この数字の低下は、一時的なものであり、最終的には全世界の平和に至るための通過地点であると考えている」と発表した。
彼の興味を惹いたニュースはそれだけだった。あとは家畜がたまたま奇抜の行動をしたのを人間が面白おかしくアテレコした「ヒーリングムービー」を見て微笑むコメンテーターや、セレブの行動に対するバッシングしたり、真面目な顔をして議論を広げる評論家たちの映像が続く。彼らはいったい何を真面目に話し合っているのだろうか——ランクトンは朦朧とする。しかし、眠ることができない。ここから眠るにはアルコールか睡眠導入剤の力を頼らなければ、難しいだろう。と諦めていた。航空機内で眠ればいいだろう。とランクトンは溜息を吐いた。
喉の渇きを感じ、水道水をコップに入れて口に付ける。液体が喉を通る感覚を覚える。そういう時にきまって彼は生きている、と感じていた。
それからルームシステムの助言に従うべきなのかもしれない。と考えた。ジャック・ルイスリーが処刑され、アンセムが事実上の解体に追い込まれ、すべてが終わった時、自分はルームシステムの助言に従って、精神の自己修復プログラムに参加するべきかもしれない。
俺は精神をどこかおかしくしてしまっているのだ。と考える。肉体的な負傷は見えても、精神的な損壊は目視で確認することができない。きっと気付かないうちに深手を負ってしまっていたのだろう。ジャック・ルイスリーという巨悪を追うあまり、自分のことを考える余裕がなかった。
プログラムに参加すれば、クソッタレと思っているこの、ディスプレイに流れるトークショーも、もしかしたら、楽しめるようになれるのかもしれない。どんなことも穏やかに許せるような、紳士的な大人になれるのかもしれない……そんなことをランクトンは考える。
外は少しずつ赤みを帯びてきた。夜明けは近い。時計の短針が六時を指すと陽気な音楽とともに画面が切り替わる。ランクトンはつい舌打ちをした。
「グッド・モーニング! テレビの前の皆様。我らがジョージ・ファーディーです。今日も——」
「消してくれ」
ジョージ・ファーディーが現れると、ランクトンは反射的にそう言った。ルームシステムは彼の命令に従い、ディスプレイの電源を落とす。プツンと何かが切れるような音がすると、静寂が訪れる。
ランクトンは溜息を吐く。この調子では社会に馴染むのは難しいかもしれない。今まではジョージ・ファーディーを気持ち悪く思っていたが、憂鬱な今ではかえって自己嫌悪を覚える。こんな価値観はいったいどこで芽生えてしまったのだろうか。
足元のガラス片は太陽の光を受けて分散現象を起こしている。とても掃除する気にはなれない。
「……少し、疲れたな」
ランクトンはルームシステムに聞かれないような小さな声で弱音を吐いた。背中は重く、目は痛い、頭は回らない。もはや満身創痍の状態だった。
これで最後だ。と自分に言い聞かせる。言い聞かせながら、これまでに何度、自分に対して言い聞かせをしたか、考えていた。ランクトンは自分がエンジンのうまくかからないトランスポーターのように思えた。しかもそれは時代遅れ、型落ちで、有害な排気ガスを撒き散らし、ながら進んで行くような。
立ち上がり、顔を洗うために洗面場へと向かう。ひび割れた鏡の向こう側にはランクトンが居た。目の下には薄くクマがあり、髪の毛はボサボサしている。まるで悪魔に取り憑かれた哀れな男のようだ。口を曲げながら顔を洗う。乾燥し、ゴツゴツで、荒れている自分の肌が哀れに思えた。
「オーケー。ケリをつけよう。ジャック・ルイスリー」
ランクトンは覚悟を決めて、鏡越しの自分に向かって睨む。
それから制服に着替え、武装を終えると、彼はカウンターのキーをポケットに突っ込み、自分のクーペを呼び出す。それから目的地を空港へとセットする。次に目を覚ます時には、空港に着いているだろう。そこか或いは機内で朝食を摂ろう。そう考えていた。
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