第11話

「クソが」と上司の背中に吐き捨てるように言うと、彼は自分のオフィスチェアに体を預けて大きく息を吐く。


「災難ですね」


「君だって何も無関係じゃないんだぜ、カエサレア」


「私はアンドロイドですから、最悪な話、空路ではなく、物質転移ジャンプで向かっても良いのですよ」


 カエサレアがなんでもない顔でとんでもないことを言い出すものだから、ランクトンは思わず気持ち悪いものを見るような目で彼女を見てしまった。物質転移ジャンプは複雑な構造を持つ物体に対して安全性を保証することができない。ジャンプ中にノイズが混じれば、構造が破壊され、物質は砂(正確には粒子)になってしまう。


「もちろん、冗談ですよ」とカエサレアは微笑む。


「わかってるさ」


「貴方を励まそうとしているのです」


「……それは予想外だったな」


 チェアに座ったままの彼はしばらく考えると、滑稽になって笑ってしまった。なんてシュールなんだろう、と。笑うと、少しだけ胸のつかえが下りたような気分にランクトンはなった。ジャック・ルイスリーに対する敗北感も、ゴーティに対する不満も、少しだけ薄らいだ。邪魔な雑念が払われ、自分のするべきことが少しずつクリアになってゆく。


「ポールフ。彼はまだオフィスにいるか?」


 ランクトンが適当な職員に話しかけようとすると、視界の隅の方から「ここにいるよ」と馴染みのある声が聞こえた。振り向くと、彼はちょうど、買い出しから帰ってきたところのようで、両手にはスマイリージョンのロゴマークが入ったピザ箱を二つも抱えていた。その顔は少しだけ残念そうである。その理由について、彼の友人であるランクトンは簡単に予測がついた。


「お前、俺とゴーティの口論を肴にピザを食おうとしてやがったな」


「逆だよ。ピザを肴に君たちのプロレスを鑑賞しようとしていたんだ」


「悪趣味なヤツめ」


「あと十分、君が粘ってくれたのならば、ねぇ」


 やれやれ、とランクトンはため息を吐きたくなったが、いつまでもこんなくだらない話を続けているわけにはいかなかった。ランクトンは彼に対して相談事があるからだ。


「君が相談事? 珍しいね。聞こうか」


「俺に金を貸してほしい。民間で空を飛ぶための金が。それも二人分」


「なるほど……——そうだろうと思ったよ。

 わかった。貸そうじゃないか。デバイスを出してくれ、入金するから」


 その返答を訊いて、ランクトンは思わず目を丸くした。


 航空機の使用目的のほとんどは製造品の原材料を生産地から輸出するためと言われている。しかし、航空機によって運ぶのが適しているような軽い原材料は、それほど需要が高くない。


 人を運ぶことに関して言えば、需要がなく、金持ちの道楽とされていた。なぜならほとんどの人間は、自分の生まれ育ったシティから離れることはないからだ。シティから一歩も出ずとも、人生における用事のほとんどを済ますことができてしまう。


 たとえば、何か、物が欲しければ運送サービスが自宅まで届けてくれる。マッチングAIによって、恋人探しの旅に出ずとも、素晴らしいパートナーが見つけることができる。シティに散在するレストランに向かえば、どんな異国の料理ですらも再現される。


 そんな理由があって、航空機のチケットを用意するには、多額の費用が必要となる。それほど高額の金をポールフは簡単に「貸そうじゃないか」と言う。これほど有難いことはない。と、ランクトンは目頭が熱くなった。


「ありがとう、ポールフ。恩に着るよ」と言って、ランクトンは目の前の親友にデバイスを差し出した。


「絶対に返せよな。ああ、あとそれから、もし出来ることなら、世界平和指数の謎を解いて、あのデブのゴーティの鼻を明かしてやっちゃってくれ。アイツ、自分が良い役職に就けたからって言って、随分と保守的に立ち回るようになりやがったんだ」


 任せろ、とランクトンは誓った。普段ならば軽く感じるはずのデバイスがずっと重く感じた。航空券の予約をする。空を飛ぶときは決まって、DOGsの戦闘隊員として飛んでいたため、このような経験は初めてだった。自然と胸が高鳴る。


——ジャック・ルイスリー。俺たちは必ず、お前の仕掛けた謎を解き明かしてやるからな。と、ランクトンは心の中で己を鼓舞する。


 目的地は決まっていた。ジャック・ルイスリーと馴染みの深い雪国といえば一つしかない。


 それはステアエクスというとある小さな島国。ランクトンはその島について、たった二つの情報しか持っていなかった。


 一つ目は緯度と海流、そして季節風の関係でその島は年中雪が降っていること。


 そして二つ目。その島こそが、ジャック・ルイスリーという男の生まれ故郷であること。

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