第9話
最悪の気分だ、とランクトンは思った。DOGs本部の一階にあるカフェテリアで食事をしながら今後の方針を話し合おうという予定だった二人だが、食欲はおろか、何かを話すことすら億劫だった。二人をそう思わせるほどに、ジャック・ルイスリーと会話することが心労を伴う行為だった。
これならばゴーディと口論している方が、百倍、気が休まるな、とランクトンはひとりごちた。それを聞いたカエサレアがランクトンを一瞥したが、口を開くことはなかった。
食堂に備え付けられたディスプレイが情報を流し続ける。ジャック・ルイスリーの逮捕について、下品に太ったコメンテーターが的外れな意見を出し続ける。戦争の終結によって消費係数は均衡点へと収縮されるだの、されないだの。世界平和指数が低下している問題は由々しき事態だ、などと。
気が参ってしまいそうだった。どうして遠くの国で行なわれている戦争で消費係数が変動するのか、理解できない。アンセムの引き起こした戦争を天候のようなものだと思っているのだろうか。世界変動指数は低下などしていない。「変動していない」んだ。もし許されるのならば、今からでもメディアスタジオへと殴り込んで、クソコメンテーター共に訂正を求めてやりたい気分だった。
しかし、ランクトンのナイーヴな気分は無視され続ける。一つきりのジョークを繰り返すコメディアンがまた的外れな意見を出す。場が凍る。そしてお得意のジョークを挟む。どっ、と爆笑が広がる、何が面白いのかまったくわからなかった。
「なぜ彼らは笑っているんでしょうね」
カエサレアが嫌そうな顔をしながら小さな声で問いかけた。それを聞いて、ランクトンは少し安心する。彼らを異常だと思っているのが自分だけではないとわかったからだ。しかし、残念なことに、彼らが笑っている理由はランクトンにもわからなかった。
「わからない。けれども彼らが笑えば——根拠はないが、世界平和指数は上昇する。言わせておけば良いのさ。どうせ彼らが何を言ったって、俺たちは何も変わらないし、俺たちが吠えたところで奴らは変わらない」
そう状況が一転することなど、ありはしないのだ。ランクトンはこの人生の中で、どうやっても覆らないものを多く見てきた。戦況、親の性格、そしてマジョリティがマイノリティを駆逐する構図。ランクトンがいくら怒鳴ったところで、ディスプレイ越しでは声は届かない。
ディスプレイの中で、また笑い声が響く。あの集団の中にいるのと、ジャック・ルイスリーと二人きりで話すの。いったいどちらが心落ち着くのだろうか。良い勝負だろう——そこまで考えたところで、ランクトンは彼の言葉を思い出してしまった。
——ジョージ・ファーディーに対して好意的に思っている奴を縊り殺してやりたいと思っているだろう?
彼は確実にそう言った。そしてランクトンはたしかに——それは、ほんの少しばかりだが——殺意を覚えた瞬間を一度か二度ある。あの時、初めて会ったというのに、見抜かれていたのだろうか? しかし、まったくの偶然と言ってしまうには、あまりにも正鵠を射ていた。ほとんど予言と言っても良い。
そのジョージ・ファーディーがMCを務めるコーナーが始まった。わざとらしく、やかましいほどの効果音。気持ち悪いほどに強調した表情。ニコニコ笑っている取り巻きの男女。
「疑心暗鬼になった時こそ思い出すんだ、僕らは一人じゃないってことを! 僕らは皆、同じ人類なのだから!」
アフォリズム。寒気のするフレーズ。いったい、何を読んだらそんな気持ちの悪いセリフを思いつくことができるのだろうか? ランクトンは眩暈がするほどの嫌悪感を覚える。
<ランクトン>
カエサレアが同調チャネルから電話でランクトンに声をかけた。やめてくれ、勘弁してくれ、とランクトンはげんなりした気持ちになる。ただでさえ気持ちが悪いのに、頭蓋に響く電話など、酔いを酒で覚まそうとするような愚行だった。
<別室で休みましょう。同調チャネル越しに、思考が漏れ出ていますよ。設定深度を超えて感情が溢れるのは異常です>
<そんなにひどい状態なのか、俺は>
バディからの言葉にランクトンは惨めな気持ちになった。しかし、これ以上ディスプレイを見ていて、ロクなことにはならなそうだ、と思い、席を立つ。立った時、彼は数人から視線を感じた。彼は舌打ちをする。食堂にいる人間が彼の方を見るのは無理もないだろう。ジョージ・ファーディーを見るのを中断して、席を立つなど、到底考えられないからだ。
冷たい視線を感じながらも二人は食堂を後にした。どこでいったい歯車が狂ってしまったのだろう? と彼は移動しながら思った。自分が子供の頃はこんな孤独感に悩まされることなどなかったはずだ。少なくとも、ジョージ・ファーディーなんてくだらないコメディアンがディスプレイに映ることなどなかった。
世界平和指数が上昇するにつれて、時間が経つにつれて、人間という種が段々と馬鹿になっているんじゃないか、そう邪推してしまう。本来ならば、そんなことを考えたくもない。
オフィス内にある休憩室には誰もいなかった。人感センサーが反応し、空調の音が響く。ランクトンはソファにもたれかかり、うなだれる。完全に参ってしまっていた。悪い方向へと向かう思考が、彼を蝕み始めていた。
そんな恐れから逃げ出すように、彼は横にいるカエサレアを見た。彼女は何かを考えている様子だった。
「何を考えている?」
「これからの世の中に対する憂いについて」となんでもないような顔をして彼女が言うので、ランクトンは少し口を曲げた。
「それはジョークか?」
「さて。どうでしょう」
<そんなことよりもランクトン——>とカエサレアは会話からスムーズに同調チャネルへと切り替えた。あまりに滑らかだったので、ランクトンは一瞬、自分の聞いた音が、どちらから聞こえてきたのか、判断に迷うほどだった。
同調チャネルで電話するということは、周りから聞かれたくない話をこれからする、という意味だ。ランクトンは自然と意識をチャネルに向ける。
<次に向かうべき目標が決まりました>
<目標?>
<ジャック・ルイスリーとの面談はまったくの無駄ではなかった、ということです。北に向かいましょう。私の計算が正しければ、謎を解く鍵はそこにある可能性が高いです>
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