第8話

「お前の言葉は……ただのまやかしだ」


「そう思いたいのならばそう思えばいい。けれども、君たちは、よく覚えておけ、屍の上を歩いているんだぞ。その事実から逃げ出すなよ。『平和』が何の上になりたっているのか、忘れた時こそ、世界は『平和』から最も遠ざかるんだ」


 その細い体で、その声はいったいどう出しているんだ、とランクトンは震えた。この男に、何度想定を崩されただろうか。彼はジャック・ルイスリーという男を虎だと思っていた。実際にあって、その風貌と鋭い目から死神を想起した。しかし、こう言葉を交わして——そう言った形容では言い表すことのできない、畏怖を覚えた。


「そう畏るなよ、ランクトン、カエサレア。俺と君たちは友人のようなものだと思っている。もしこれから君たちが、世界平和指数の変動しない謎について調査するならば。その行動の果てに俺の行動の真意を理解してくれるかもしれない、と期待しているんだからな」


 彼は自嘲的に笑う。ジャック・ルイスリーの終身刑は免れない。アンセムの活動の真意だと? とランクトンはひっかかりを覚えた。しかし、アンセムの戦争を煽るような行為に金銭以外の目的を見出すことはできなかった。持続可能な戦争により、利益を生み出す……それが奴らのねらいのはずだ。五十年以上前に生まれた思想を崇拝する狂信者……それがアンセムのはずだ、とランクトンは自分に言い聞かせる。


「人間の鳴き声を聞いたことがあるか?」


 突然、ジャック・ルイスリーが二人に質問した。


「黙れ、質問するのは俺たちだ」


 ランクトンは咄嗟に言葉を出して静止する。


「良いだろう? どうせ君たちは質問するべき質問が見つかっていないのだから。だって俺が答えるかもわからない。嘘を吐くかもしれない。こんな面談に意味などないはずだ


 だから、俺が少し話を始めたって、別にいいだろう? 君たちはそれを聞いてもいいし、聞かなくてもいい。人間の鳴き声だよ。話し声ではなく、悲鳴でもなく、鳴き声だ。動物には全て鳴き声があると思っている。人間が認知していないレベルで——もちろん、聴覚を介さずにコミュニケーションを行う生物もいるだろうが——とにかく、人間にも鳴き声があるのではないか、と最近俺は勘ぐっている。


 酒を飲んでいる時、激しい戦闘を終えた後の夜。仲間の奴らは酒だかサプリだかの影響で高ぶり盛り上がっていると、俺には段々奴らの言葉が理解できなくなって、ブラーがかけられて、鳴き声に聞こえるんだ。人間の鳴き声だ。


 それを聞くたびに、俺らはいかに道徳や文化を発展させたところで、本質的には獣でしかないことに気づかされる。これは壮大なママゴトや演劇なんだと——なぁ、君たちも同じ気持ちになったことがあるんじゃないのか?


 たとえばランクトン、君は『トレンド』に出てくるジョージ・ファーディーに対して好意的に思っている奴を縊り殺してやりたいと思っているだろう?」


「縊り殺してやりたいなど、思っていない」


「でもそれに近い感情を抱いているはずだ」


 ジャック・ルイスリーの言葉は正しい。そうだ、まったくそのとおりだよ。ランクトンは言ってしまいそうだった。過多な重圧、張り詰めた空気。もし、戦争経験で培ってきたメンタルトレーニングをしていなければ、すぐにでも自分の心情を吐露してしまっただろう。


 たしかに、ランクトンはジョージ・ファーディという男と、それに対して好意を向ける全ての人間を嫌っていた。嫉妬ではなく、生理的な気持ち悪さがあるからだ。



「それを賞賛する人間を人間となんて思っていないはずだ。きっと木偶の坊くらいに」


「黙りやがれ。……クソが。カエサレア。もう帰ろう。……残念だが、こいつから得られる情報など一つだってない」


 そう言って、ランクトンはジャックの独房から離れ、元来た道を帰って行ってしまった。その様子を見た彼はニヤニヤと不気味に笑っている。前髪に隠れて目は見えないものの、口は笑っていた。


「ジャック・ルイスリー。逮捕されることも計算の内ですか?」


「君がそう考えるのならば、それはおおよそ当たっているよ。カエサレア。君は君の思っている

 以上に賢い。俺は賢い女が好きだよ。それと勇ましい男も好きだ」


「貴方は選民思想の持ち主のようですね。自分が優れていると思っている人間と、自分が大好きで仕方がない。それ以外の人間は邪魔だから殺してしまう。それがアンセムの仕掛ける戦争の真実ですか」


「さぁ……さて、どうだろうね」


 そう言ってジャック・ルイスリーはもう一度笑った。カエサレアの瞳には彼が道化のように見えた。真実を隠すために、わざと人を怒らせるような言動をしたり、愚か者のフリをしたりするピエロ。


 彼女もランクトンと同様にして、ジャック・ルイスリーという男に対して恐れのような感情を抱く。ジャック・ルイスリーが自分より賢いという可能性は十分あるように思えた。


「さようなら。ジャック・ルイスリー。出来ることならば、もう二度と会いたくありません」


 そう言ってカエサレアはランクトンを追うように踵を返した。二人を追って職員も独房から立ち去る。独房の前にいた全ての人間が自分に背中を見せたことを確認したジャックは、上げていた口角を下げる。一種朗らかだった表情は、一瞬で氷のように冷たくなった。響いていた足音は段々と小さくなってゆく。


 エンケラ・ランクトン——彼に会えてよかった。と、ジャック・ルイスリーは思った。ジャックにとって彼は正義の味方であり、憧れの存在であり、絶対的な敵だった。ジャック・ルイスリーは小さな感動と、どうにもならない孤独感に襲われる。


 静寂が漂う独房の中で、彼はやれやれと小さく呟き天井を見た。そして天井をノート代わりに数式を唱え始めた。


「悪いが二人とも」


 人感センサーは来客が消えたことを確認すると、バチンという音とともに暗闇を落とした。


「『もう二度と会いたくない』ってのは……叶わない願望だ」

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