第6話
ランクトンは時たまに逆行主義や自然主義と揶揄されるが、彼自身はその批判など的外れだと思っていた。正確には反人間中心主義者であると。『トレンド』という仕組みも、くだらないコメディアンのジョージ・ファーディーによるアフォリズム的ジョークも、それに手放しで称賛する人間も、気が狂っているとしか思えなかった。
そしてそれが社用車に付けられたモニターから放送されている。気の狂ったようにしか思えないチープな音楽と、同情を呼ぶようなストーリー。中身の無い笑い。ランクトンは寒気を感じた。けれども、世界中の人間がこれを素晴らしいと思っている。おそらく世界人口九十八パーセントは、本気で彼のジョークを中心にして世界は平和になるのだろう、と考えているに違いない。
「武力ではなく、言葉で語り合おう。同じ生命なら同調し合える!」
彼の「気の利いた」台詞が飛び出すと、下から溢れんばかりのハートエフェクトが現れた。ハートは噴水のように飛び出し、彼の姿を隠し、終いに画面を埋め尽くした。
彼のアフォリズムは過去に三千以上作り出されたとされていて、同じものは一つとしてないらしい。そして三千以上の全てに、人生のヒントが込められているという。
——馬鹿馬鹿しい。
そう考えてしまい、後悔がランクトンを襲った。彼はスターで、俺は犬だ。正反対、真逆。社会的に言えば、彼の言葉は正義で、俺は悪だから。ランクトンは自分がペシミストだとは思っていないが、ジョージ・ファーディを目の前にすると、きまってそのような思考回路に考えがスイッチしてしまう。悪癖だった。
車内に搭載された特化型AIが目的地へ到着したことを告げると、二人は車から降りた。空は曇天で風が強い。白塗りされたコンクリートで構築された留置所の外壁は、見ただけで寒気を感じさせた。
窓口で名前を告げると、二人は荷物の検査と身分証明を求められた。それから身体検査を行われ、ランクトンはデバイスの回収、カエサレアは設定により記録と自律擬似神経系を繋ぐパスのレベルを極端まで低下させられた。これによって彼女は「目の前で行われることに対しての記録が困難になる」判断や会話など、一見何も変化がないように見えるが、それについて外側から観察しようとすると、ブラーがかかってしまう。仕方の無いことだとは理解している。アンドロイドはハッキングやウィルスの脅威に晒されている。万分の一にも満たない可能性とはいえ、留置所内のセキュリティに関わるものはすべからく禁帯出となっている。入る時はデバイスを回収されるだけでランクトンも、ここから出る時には記憶処理を施される。
ゴムタイルの床を十分ほど歩かされると、今度はエレベーターで地下へと運ばれた。一行が歩くたびに天井のセンサーが作動しライトが点灯してゆく。
ランクトンは思わず唾を飲んだ。あの恐ろしきジャック・ルイスリーはこの廊下の奥にいるという。そう考えると、未だライトによって灯されていない視界の先が一種の洞窟のようにも思えた。奥には飢えて痩せた獅子か虎が、自分を待ち構えている。臆せば、痛みを感じる暇さえなく食い殺されてしまうだろう——そう考えていたランクトンだったが、現実のジャック・ルイスリーはそこまで巨大な人間ではなかった。
「ここが彼の房になります」
職員の一人が二人に紹介する。
ランクトンは備え付けベッドに腰掛けている男を見つけた。まず腕が目に付いた。両手は念入りに拘束されていて、なんとも窮屈そうな様子だった。長い間、同じ体勢で微動だにしていないのか、背筋は猫のように丸くなっている。
足首には輪型の機械が嵌められていた。ランクトンの知識が正しければ、この機械は爆弾で、ロックを解除せずにこの独房から離れると爆破される仕組みだ。これが、ジャック・ルイスリーか。とランクトンは失望と感動を半分ずつ覚えた。
腕は骨ばっていて、筋肉質のランクトンとは対照的だった。銀色の髪はダメージを受けていてボサボサとしている。資料で見た男と比べればまるで偽物でないかと疑ってしまうほど、貧相な見た目をしていた。しかし、揺れる前髪から覗く彼の両目は、ランクトンが見た資料よりも遥かに鋭く、そして研ぎ澄まされていた。
強い照明が彼を照らしているため、彼の顔は幽霊のように白く見える。そう、彼は獅子や虎といった暴力的な恐怖の存在ではない。軽々しく、さりげなく、そして一種鮮やかに命を奪い去る、幽霊か死神のような恐怖の存在なのだ。
そんなジャック・ルイスリーは二人を見ると、奇妙なことに笑った。そして驚くことに「待っていた」とまで言ったのである。その声はか細いものの、芯は通っていた。
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