第3話

「クソが」と彼は小さな声で上司の背中に愚痴を吐いた。その様子を見かねた同僚がランクトンの肩に手を乗せて同情の言葉をかける。


「またゴーディのデブと喧嘩かよ。ランクトン」


「ゴーティのデブの次はポールフのファットマンがおでましか」


「君のその減らず口、直したほうがいいぜ」


「わかってるよ」


 ランクトンは参った、という表情で両手を挙げた。その顔には少しばかり疲れが見える。本部長のゴーディとランクトンは犬猿の仲であるということは所内に知れ渡った事実だった。


「食べる?」と技術顧問のポールフは片手に持ったベーグルをランクトンに突き出すが、ランクトンはそれをそんな気分じゃ無い、と断った。ゴーディが神経質になるのと同じ理由で、ランクトンもそれなりにナイーブな気持ちだった。


「ポールフ、世界平和指数が変動しない理由ってのはなんだ」


「わかんないね。わかったら君が調査をする羽目になってないわけ」


「そりゃそうだよな。数値弾き出すAIがぶっ壊れてたんじゃないのか。俺たちがずっとそれに気がつかないだけで」


 ランクトンがそう言うと、ポールフは口にくわえていたベーグルを吐き出すようにして笑った。


「ランクトン。君は本当に知らないな!」


「何が」


「世界平和指数を算出するAIはブラフマAI、つまり俺たちの日常生活に深く関わる『モノのインターネット』を統括するAIと全く同じなんだよ。世界平和指数のバグはそのままブラフマAIのバグを意味している。ブラフマが壊れているっていうならさ、君のクーペはどうやってここまで来たっていうんだ?」


「よくわからないが……ブラフマが壊れてるってことはないんだな」


「ブラフマがイカれているより、僕らの捜査に間違いがあったことを見つけるほうがずっと容易だろうね」


 ——捜査のしなおしをしなきゃなんねぇのかよ。とランクトンは心の中でつぶやいた。けれどもポールフの言うことが正しければ、世界平和指数は絶対的な存在で誤りは無いらしい。そして技術面の知識に関して、ポールフは世界一と言っても過言では無い。ポールフの言葉にもまた、誤りは無い。


「お前のデスクにバディに関する情報をまとめておいた。お前はアナログ媒体の方が性に合っている反技術主義者だろ」


「そういうわけじゃない……。ん。ちょっと待て、なんでお前が俺の新たなバディについての情報をまとめているんだよ。ハッキングでもしたのか、個人情報を」


「……は? ああ、そうか。お前はまだ何も聞いてないんだな。お前のバディは人間じゃ無い。個人情報なんて保護されてないのさ」


「じゃあ犬か?」


「君にしてはつまらない冗談だな。アンドロイドだよ。カエサレア型の一番目。カエサレア・ファーストだ」


「アンドロイドがバディだと?」


「DOGsじゃあ別に珍しい話じゃないだろ。なんでそんなに驚いているんだ」


「今までそんなことがなかったからだよ」


 ランクトンは答えながら、今まで不幸にも死んでいった仲間たちを思い出した。その内の数人のイメージは朧げでうまく思い出せなかったが、たしかにアンドロイドは今までいなかったはずだ。


「君は優秀だ。すくなくともタイマンで君とバトって、勝てるやつなんてほとんどいないね。けれども、君の戦闘力が高すぎて、他の柔な奴じゃ君についてこれなかった」


「……ジェフたちは柔じゃない。運が悪かっただけだ」


「ごめん。悪気があって言ったわけじゃないんだ……本当に。ともかく、カエサレア・ファースト。彼女なら君の良いバディになると思う。人間ベースの思考回路を搭載しながら、宇宙開拓用のそれやブラフマAIと同程度の性能を誇る……俺が地球で見た中で抜群に素晴らしいアンドロイドだな。しかも、見た目も良い——まぁ、君にそんなことを言っても何も響かないと思うけれど」


「それも、余計な一言だ」


 そう言ってランクトンは自分のデスクへと向かった。普段、そこにいることが少ないため、彼のデスクはほとんど新品同様だった。だからこそ、置かれた資料の束がなんとも浮いて見える。


 資料を作ったのはポールフだろうか、と彼は考える。まっさらな紙に、自分の名前だけ書かれた表紙をめくりながら、そのようなことを考える。二ページ目を見てから、ランクトンは思わず顔をしかめた。おそらくカエサレア・ファーストのスペックについてまとめているのだろうが、項目は多い、数字も高いのか低いのかわからない。辛うじて数字の横の単位に聞き覚えはあったものの、その数字が高ければ良いのか、低ければ良いのか、技術工学の知識がない彼にはさっぱり理解できなかった。ポールフは気の利く男だが、自分の持っている知識は他人が持っていて当然、と思っている節がある。決して嫌なやつではないが、人の気持ちを汲み取るのが苦手なところが玉に瑕だ。とランクトンはしみじみと実感した。


 結局、会ってみなければわからない。事前情報など、未来ではいくらでも覆る。この世の中に絶対的なものなど、存在しない。ブラフマAIでさえも、それは例外ではない。ランクトンはデバイスを取り出すと、自分宛のメッセージを確認した。DOGs本部から、バディとの合流場所は二階ロビーであることが伝えられている。時間は今から二十分後で、今は少しだけ時間があった。


 ランクトンはそのままデバイスを操作し、国際テロ組織「アンセム」についての情報を読み返すことに決めた。デバイスのディスプレイは一瞬強く発光したかと思うと、アンセムについての基本データを映し出す。

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