第7話
その頃康夫は、晴海埠頭のある倉庫に監禁されていた。襲撃を勤めた連中は、康夫の身柄を引き渡すと、まるで煙のように姿を消した。それと入れ替わったのは、単にガラの悪いヤクザたちだ。
先ほどの連中が戦闘部隊という研ぎ澄まされた空気を纏っていたのに対し、代りの連中はただ凶悪で、単細胞な犯罪集団という感じだった。
康夫は椅子の肘掛けに両手首をくくられ、自由を奪われていた。十人の強面が、康夫の周囲を取り囲んでいる。それ以外の仲間が建物の随所に散らばり、外の様子を伺っていた。
天井の高い倉庫だった。二階の高さの壁際にスチール製の廊下が渡され、その上にも等間隔で人員が配置されていた。全てが周囲の様子を伺い、物々しい警備の様相を呈している。総勢で、三十人は下らない気配だ。
康夫を取り囲む連中の中に、なぜだか白衣を着る男が混ざっている。白衣は痩身で、頬が病的にこけていた。歳は五十前後に見える。頭髪や無精髭には、随分白いものが混ざっていた。
康夫の正面には、にやけた顔をしている三十後半の男がいた。身長が高く派手な金髪頭で、体はがっちりしているのに如何にも軽そうに見える男だ。倉庫の中は薄暗くても、彼は真っ黒なサングラスをかけている。
その金髪が、康夫に訊ねた。
「あんたが康夫さんだね。間違いない?」
康夫は、勢いよく頷いた。
白衣の男が注射器を用意している。その手元の机には、大きなヤットコやペンチ、プライヤー、キリ、割り箸、メス、断ち切りバサミ、先の鋭いフックが並んでいた。何のための道具か、康夫は考えたくもなかった。見なかったことにしようと必死に自分の頭を騙そうとしたが、恐怖を消すことはできなかった。
「どうやら道具が気になっているようだねえ。彼は道具を上手に使う専門家でね、馬鹿高いバイト料を払って来てもらったんだ」
白衣は黙々と、道具の動き具合を確認している。康夫たちには一瞥もくれない。金髪は構わず続けた。
「何が上手かって、とにかくひどく痛いのに、死にはしないんだ。本人がもう殺してくれと涙やよだれを流して懇願するのに、でも死ねない。あっ、もちろん気絶くらいはするんだけどね、そのくらいなら直ぐに叩き起こされる。どんな道具がいいか、あんたに選択権はない。僕にも選択権はない。全て彼が決めるんだ。なんせ彼は、スペシャリストだからね。あんたのために教えてやるけど、彼に人の心はないよ。見ているこっちが目を背けたくなるようなことも、彼には平気だ」
前口上の好きな男だった。饒舌な言葉の数々は、金髪にとって一つのセレモニーのようだ。
「どう? 少しは怖くなった?」
康夫は二度、勢いよく頭を縦に振った。
その反応に、金髪は楽しそうに笑う。
「随分素直だねえ。あんた、陰のドンって言われてるんだって?」
康夫は滅相もないという調子で、今度は頭を左右にブルブル振った。それで金髪は、再びあけっぴろげに笑う。
「いやあ、あんた、面白いよ。さて、本題に入ろう。実はあんたに訊ねたいことがあってね」
金髪が、インテリ風のスーツ姿の男に向かって顎をしゃくると、彼はノートパソコンを持ってきた。男の銀縁メガネに電灯の明かりが反射し、ときどきキラリと光る。パソコンの電源が入りインテリが手際よくタイピングすると、一円連合の極道システム画面が現れた。
「このシステムは、あんたが考案したんだって? よくできてるそうじゃないか。だからちょっと拝見したいんだが、IDとパスワードがないと中に入れないんだ」
そう言って金髪は、ねっとりとした目で康夫を見た。康夫は黙って、相手の目を見返した。恐怖におののく目付きだった。
「なになに、そんなに怯えることはないんだよ。必要な情報をくれたら、あんたは無罪放免だ。もし黙秘するなら、白衣の先生にお仕置きをしてもらう。さあ、どうする? 今あんたには、選択の自由がある。どっちでも構わない。最悪のケースでもちょっと時間をかければ、結局あんたはしゃべることになるんだから。どこかの骨が折れて、指の本数が少し減るかもしれないけれどねえ」
「それを教えたら、本当に開放してくれるんですか?」
金髪は、約束すると言った。
「わ、分かった。教える。IDはyasuoだ」
エリートがパソコンにそれを打ち込む。康夫はパスワードも躊躇なく言った。
「パスワードはsadakoinochiだ」
金髪がパソコン画面を見た。エリートがリターンキーを押すと、極道システムのメニュー画面が立ち上がった。エリートが金髪の方を向いて頷く。
「なるほど、随分シンプルなパスワードだねえ。sadakoというのは、あんたの奥さんだろ? 仲睦まじいんだねえ」
金髪がねっとりそう言うと、エリートに向かって声を張り上げた。
「全部見えるのか?」
「へい、見えているようです」
金髪は、パソコン画面を覗き混んだ。緊急司令という赤字が点滅している。その文字をクリックしてみると、若旦那が拉致された。全組織を動員し捜索せよ、と出た。
金髪は笑った。
「あんた、やっぱり大物だねえ。随分慌てているようだ。さて、第二のお願い。データサーバーに入りたいんだが、どうすればいい?」
康夫はつばを飲み込んだ。狙いはやはりそこだったのだ。康夫が暫く沈黙していると、金髪が白衣に向いて言った。
「先生、そろそろ出番ですぜ」
白衣の不気味な顔が、ゆっくりと康夫の方へと向く。その目は死んだ魚のそれのように、まるで生気が感じられない。
たまらず康夫は叫んだ。
「話します、話します。全部教えます」
同じように康夫は、サーバーアドレス、パスワードを伝える。金髪は素直な奴だと喜び、エリートに確認した。
「どうだ? データが見えるか?」
「大丈夫です。データベースに入れてます」
「よし、すぐにサーバーアドレスとパスワードを本部に知らせろ。本部で全てをダウンロードしてもらう」
エリートがキーボードを叩いて「兄貴、連絡しました」と言った。
金髪はこの上ない上機嫌な顔をした。
「康夫さんよ、あんたのおかげで今日は大収穫だ。本部のお偉いさんも大喜びだろう。これでこの俺様も、随分幹部バッチが近づいた」
「これで気が済んだろう。さあ、約束だ。僕を開放してくれ」
「そうだったな。少し寂しいかもしれないが、東京湾に放してやるからちょっと待ってな」
金髪が白衣に目配せした。白衣は薬品の入った注射器を机の上から一本取り、注射針を上に向けながら康夫の方へと歩いてくる。それで康夫の顔面が蒼白になった。
「ちょっと待て。約束が違うだろう。僕は全てを教えたじゃないか」
金髪は下衆な笑みを顔に浮かべる。
「確かに約束はしたが、生きて解放するとは言ってない」
直後、事態が急変した。
白衣が金髪と並んだタイミングだった。白衣はなぜか、手に持つ注射を金髪の腕にぶっ刺し、薬を金髪の中へぎゅっと押し込んだ。
「てっ、てめえ、なにしやがんだ」
金髪が叫ぶと同時に、頭上に並ぶ窓ガラスの、激しく割れる音が響いた。外から何かが撃ち込まれたのだ。
倉庫の中に、激しい光が走った。金髪が腕で自分の目を覆ったのと同時に、彼の大きな体がその場に崩れ落ちる。白衣が彼に注射したのは、即効性の強力な麻酔だったのだ。
窓ガラスから撃ち込まれた閃光弾に、倉庫内の全ての人間が目をやられた。すぐに窓から別の固形物が投げ込まれ、それがいくつも床にごろごろと転がると、一斉にガスが吹き出る。倉庫内は、あっという間に煙幕が充満した。鼻をつく刺激臭が辺りを包み込む。
視界の利かなくなった倉庫内では、警備の連中が右往左往した。毒ガスが流れたと誤解した者は、息を止めて出口を求めた。
今度は正面から、激しい金属音が鳴った。倉庫のシャッターを、車が突き破ったようだ。最初の閃光弾から、ほんの十秒くらいである。流れるような攻撃だった。倉庫内の大勢の人間は、状況を把握する暇さえない。突然銃声が響く。誰かが突入した車の方へ撃ったのだ。
「馬鹿、銃は使うな。仲間に当たる」
怒声が飛んだ。視界は利かない。車のドアの開く気配があった。どやどやと人がなだれ込む物音。そして怒声、罵声、悲鳴、うめき声、ばちばちというエレキ音。
白衣は康夫の傍らにしゃがみ込み、康夫を縛り付けるロックタイトをニッパーで切った。
「若旦那、身を低くして、ここでじっとしていて下さい」
康夫は言われた通りに、椅子の背もたれを掴んでその場にしゃがみこんだ。そして辺りの様子を黙って伺う。白衣の骸骨のような顔がすぐ近くにあった。彼も康夫と一緒に、事態が収集するのを待っている。
やがて、二人の体格のよい迷彩服が、康夫の傍らにやってきた。装着する防毒マスクを外すと、それが貞子と猪俣で、康夫は驚いた。
貞子は素早く康夫の身体全体を確認し、「やっちゃん、大丈夫?」と言った。
「お陰様でなんとか」
その言葉で、貞子が康夫を抱きしめる。
「さっ、さだちゃん、苦しい。息ができないって」
貞子は笑った。猪俣もその場にしゃがみ込み、康夫と貞子を背に、辺りに鋭い眼光を走らせていた。手には拳銃を持っている。
五分もすると、室内に充満していたガスが晴れてきた。薄っすらと部屋の中が見えてくる。ガスマスクとアイガードを装着する、迷彩服の男たちが大勢いた。床には先ほどのガラの悪い連中が、ごろごろと床上に倒れている。上部のスチール廊下の上も同様だった。天井の窓から、三本のロープが垂れ下がっている。どうやら天井の窓からも、同時突入があったようだ。
倒れている連中の殆どは、改造を施した強力スタンガンに気絶させられたものだった。
猪俣が言った。
「どうやら制圧が完了したみたいですぜ」
一同が立ち上がったときだった。物かげから男が飛び出し、康夫を目掛けて飛びかかろうとした。至近距離だ。サバイバルナイフが振り上げられる。
猪俣が叫んだ。
「危ねえ!」
次の瞬間、康夫の隣にいた貞子のげんこつパンチが、男の顔面にめり込んでいた。サバイバルナイフが宙を舞い、男もニメートルくらい吹っ飛んだ。貞子の動きが速すぎて、康夫には彼女の繰り出すパンチが全く見えなかった。男は白目を向いて、鼻血を出しながらだらりと床に仰向けになっていた。もしかしたら、死んでいるかもしれなかった。どうしてこんな危ない場所にやって来たんだとあとで貞子を叱るつもりでいた康夫は、あまりの驚きに、二の句が継げなかった。
それを見た猪俣が、「だから危ねえって言ってやったのに」と、哀れんだ目を男にくれた。
貞子は武闘派の五所川原組で、おそらく右に出るものはいないというほど、突出した武術の使い手だったのだ。貞子が本気を出せば、猪股でさえ敵わないだろうと噂されるほどだった。
「よし、撤収だ!」
猪俣が戦闘服集団に叫ぶ。
「おっと、こいつだけは連れていけ」
猪俣が金髪を見て指示を出す。金髪は、白衣の打ち込んだ麻酔で、よだれを流して熟睡していた。
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