第8話
金髪が目を覚ますと、なぜか自分が椅子に括りつけられていた。目の前に、猪俣と白衣がいる。何もない、コンクリート打ちっ放しの密室だった。裸電球が天井からぶら下がり、机が一つポツンと置かれていた。一つの壁に、大きな鏡が埋め込まれている。
白衣は無言で、注射器の準備をしていた。金属の道具も、机の上にきれいに並んでいる。
猪俣の大きな顔がにやけた。
「お目覚めのようだな。さて、これからお前に色々訊きたいことがある。気の毒だがな、お前には一切の選択権がない。俺は気が短えから、先ずは恐怖を味わってもらうことにする」
白衣が注射器を持って、金髪に近付いた。
「てめえ、裏切りやがったな」
白衣は無言で、金髪のスーツの袖をめくった。
「おっ、おい、止めろ、一体それはなんだ」
金髪の叫びは、静かに無視された。注射器の針が、彼の静脈へすっと入る。液体が金髪の体内へ注入された。金髪の膝が、がたがたと震え出す。白衣は注射が終わると、今度はその手をペンチに持ち替えた。
「おっ、おい、今度はなんだよ」
猪俣が静かに口を挟む。
「お前は若旦那を拉致したんだ。最悪だったな。俺たちが絶対に許せないことを、お前はしてしまったんだ」
ペンチが金髪の鼻を挟んだ。鼻が潰れてしまいそうになるほど力が入る。そのままペンチは思い切りねじられた。金髪の悲鳴が上がる。顔面は血だらけだ。
「さあ、答えろ。お前は一体誰だ。どこの組のもんだ」
今度はペンチが、金髪の右耳を挟んだ。そのまま耳が引きちぎられた。再び悲鳴が上がった。二人は金髪が何か答えるのを、待つつもりはないようだ。拷問はお構いなしに進行する。今度は大きなプライヤーが登場した。
「ちょっと待て。話をするから、待ってくれ」
白衣はお構いなしに、プライヤーで金髪の人差し指を挟む。
「頼むから止めてくれ。全部話す」
指は手の甲側に、無慈悲に折り曲げられた。ごきっという、鈍い骨の折れる音と金髪の悲鳴が重なる。プライヤーは次の指を挟む。そして折り曲げられる。
「御託はいいから、早く話してしまえ」
プライヤーは次の指に移動した。
「山村だ。俺は山村組の」
ごきっ。
「うおぉ! 頼む。頼むからもう止めてくれ。俺は山村組の、ヒィッ!」
金髪の指が、一本づつ裏返っていく。既に四本がそうなっていた。そうなると、手のひらと甲が裏返ったみたいに見えた。
金髪が痙攣する自分の腕を見て、涙を流す。
「山村組の?」
「大田だ」
ごきっ。
「おぉっ! 今回の件を命令したのは、うちのオヤジだ。オヤジは極西の執行部だ」
プライヤーが彼の左手に移動する。
「何が狙いだ」
「データだよ」
ごきっ!
「ぐおぉ。なあ、頼むから止めてくれ。何でも話す。全部話すからよ」
ごきっ!
「ひぃっ」
「極西の本部が絡んでるんだな?」
「詳しいこたぁ知らねえ。多分そうだ」
ごきっ!
「ぐおぉぉ。なっ、なぁ、後生だから止めてくれ」
金髪のズボンの股間が濡れている。小便を漏らしていた。身体が小刻みに震えている。
「お前を五体満足で返すつもりはない」
猪俣は冷酷だった。言葉には抑揚がなく、怒りの感情すら読み取れなかった。
凄惨な拷問が続く。金髪は気絶し、その度に冷水をぶっ掛けられて叩き起こされた。彼は何度も闇に包まれた。最後は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにし、早く殺してくれと懇願した。
何度目かの闇に包まれた金髪が、ふと目覚めた。身体は椅子に括りつけられたままだった。恐る恐る肘掛けに縛られた自分の手を見ると、海老反りになったはずの指がまともだった。一体何がどうなったのか、金髪には分からなかった。
背後から声がした。拷問の最中、何度も聞いた、あの感情のない恐ろしい声だ。
「お前が語ったことは、全部ビデオに撮ってある。どうだ? 見たいか?」
金髪はぶるぶると頭を振ったが、白衣がビデオカメラを金髪の前に差し出した。
そこには、確かに椅子に括りつけられた金髪が映っている。妙だったのは、体の数箇所に電極が貼り付けられ、更にでかいゴーグルのような機械を自分がはめていることだ。そして身体を震わせながら勝手に悲鳴を上げ、全部話すと喚いている。まるで一人芝居をしているようだった。
「お前が勝手に、色々な証拠を提供してくれた」
「なんだ、この映像は? 俺は一体、何をしている?」
「企業秘密でね。詳しいことは言えねえ」
金髪は、特殊な幻覚剤を体内へ入れられたのだ。意識が朦朧とし現実と夢の判別もつかなくなると、今度は立体画像が見える眼鏡モニターをはめられ、拷問はその中で進行した。いわば、バーチャル拷問である。しかしそのリアリティは、薬の効果と電流による刺激で、おもちゃとはわけが違う。現実、金髪は身体に激痛を感じるほど、脳が騙された。この拷問のすごいところは、良心の呵責を感じることなく、一切遠慮せずに拷問をエスカレートできることだ。そのおかげで、対象に最大級の恐怖を植え付けることができる。
「それとな、お前さんに電話が入ってたよ。電話に出てみたら、相手がかなり怒っててなあ、勝手に色んなことくっちゃべった」
猪俣がレコーダーのボタンを押すと、オヤジの怒鳴り声が流れた。
『大田ぁ、なんだこのデータは。住所は全部皇居じゃねぇか。必殺技が猿回しって、なんだよそれ。おいっ、聞いてんのか!』
『聞いてるよ。お前は誰だ』
猪俣の声だった。
『……。お前こそ誰だ』
『猪俣ってもんだ。今度はおめえが名乗る番だ。で、おめえは誰なんだ』
ここでプツリと電話が切れた。
「おめえさん、何のデータを送ったんだい?」
金髪は黙り込んだ。康夫から情報を取って、確かにデータがあることを確認した。しかし、データの中身まではじっくり確認しなかった。
「まあ、どうでもいい。あとです巻きにして、このビデオと一緒にお前さんを神戸まで送ってやるよ。事務所の前に転がしておきゃあ、誰かが拾ってくれんだろう」
金髪の顔が真っ青になって引きつった。
「それだけは勘弁してくれ。そうなったら俺はバラされる。頼む、後生だから、俺をどこかにかくまってくれ。俺の知ってることは何でも話すから」
「おいおい、それはちぃと虫が良すぎんじゃねえのか。おめえも極道の端くれなら、腹くくれや」
隣の部屋では、康夫と貞子がその様子をマジックミラー越しに見ていた。もちろん音声もスピーカーから流れている。
「やっちゃん、あの金髪にパスワードも全部教えたんでしょう? それがどうしてああなっちゃうのよ」
「あれは偽サイトと偽データベース用なんだ。こんなときのために、全部偽物を用意しているのさ」
「その偽サイトのパスワードは何なのよ」
「sadakoinochiだ」
貞子は大きな口を開けて笑った。
「それじゃあ、足りないじゃない」
「そうなんだ」
本物のパスワードは、sadakoinochi-foreverである。もちろんパスワードを決めたのは、貞子自身だ。
「やっちゃんも、色んなこと考えてんのね。驚いちゃったわよ」
いざというときのための偽サイトや偽データベースに偽パスワード、そしてGPSシステム。更には軍隊並みに訓練された特殊部隊と装備。効果的で近代的な拷問システム。全て康夫と猪俣の二人三脚で整えたものだった。
項垂れた金髪が、最後の力を振り絞るように言った。
「一つだけ教えてくれ。プロフェッショナルの先生が、なぜ裏切ったんだ」
白衣は言う必要がないと思ったが、猪俣が首を縦に振ったので、教えてやることにした。
「ここの五所川原親分は、わしにとって命を捧げても足りないくらいの恩人なんじゃ。あんたが仕事の依頼をしてきたときに、わしはすぐこの猪俣さんに連絡をとった。なんせシステムに、緊急事態の詳細が流れておったからのう。だからわしは、知らんふりを決め込んで、あんたの依頼を受けたんじゃ。一円連合はのう、あんたらの居場所も全部掴んでおったよ。倉庫内部の動きも、あの特殊部隊の盗聴や盗視で全部筒抜けじゃ。彼らは虎視眈々と突入のタイミングを伺っておった。一円はもはや、あんたらチンピラの敵う相手ではないんじゃ。今度何かを誰かに依頼するなら、せめて地元から連れてくることじゃな」
そう言って白衣は、骸骨のように顎をカクカクさせて笑った。彼が初めて見せた笑いだった。
かくして金髪は、本当にす巻きにされて神戸へ送られた。口も目も目張りされ、す巻きの彼は彼の事務所の前に放り出された。
康夫は金髪のことを心配しかくまってやろうと提案したが、猪俣は言った。
「若旦那、あいつはいけねえよ。信用できねえ。もう少し骨のあるやつなら考えてもよかったんですが、奴の場合、そこまで面倒見きれませんや。まあ今回は、いい薬になったんじゃないですかね」
猪俣と貞子は、そこで豪快に笑った。
後日、猪俣が一枚の写真を康夫に見せた。
「若旦那をさらった奴は、こいつですかい?」
写真の中の男は、人相が識別できないほど顔が腫れ上がっていた。しかし潰れかかった目は、確かにあの狐目だった。
康夫が顔をしかめて頷くと、猪俣が言った。
「囮が若旦那のベルトを使い続けていたんで、居場所を突き止めるのはわけありやせんでしたぜ。一人見つかれば、ちょっと先生に協力してもらって、あとは芋づる式ってやつでさぁ。これであいつらも、二度と若旦那に手出ししようなんて思いやせんぜ」
その後猪俣は、極西系山村組組長山村に、自分の指を送らせけじめを付けさせたという噂が流れた。送られた指は、山村と大田の二本あったらしい。しかしそれが、自ら切り落としたものか、あるいは死体から切り取られたものなのか、康夫には最後まで分からなかった。
康夫は密かに、金髪の無事を祈るのであった。
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