第31話 半生

 直と長瀬、あずさの間で、未だかつてない静かな、重い空気が流れた。


 沈黙は肯定を意味し、肯定は静かに、ゆっくりと直の怒りを生んだ。


「……いつからですか?」


 直が問う。


 長瀬は目を伏せたまま、ぽつり、ぽつりと語り始めた。


「……十年前、私があの男に襲われてから、です」


 まずはそう言って、彼女は右耳に軽く触れた。


 十年前。ドラゴンバーミッシュが彼女を見て言った言葉だ。


「その時から、私はバーミッシュの事を知りました。そこからハウル、ストレンジャーズ・チルドレン、白い少女と、必要な知識は簡単に得られましたよ。父もハウルでしたから、私が襲われたと知ったら全て教えてくれました。どう頑張っても私が豹転できない事も……。だから私は、悔しかった。戦う力がほしかった。それが叶わぬなら、せめて自分の代わりに戦える誰かが欲しかった」


 そこで彼女は言葉を切った。


 直に真実を伝えるために、こみ上げる感情を抑え込んだのである。


 落ち着いた頃、再び彼女は話し始める。


「……私はその後、バーミッシュの事件を追うようになりました。もちろん、父や良蔵さんと一緒にです。現場ではただの人間として、巻き込まれた人達を逃がす仕事に専念しました。人死にが絡む以上、ご家族がバーミッシュの被害に会われたり、現場に居合わせたせいで巻き込まれる方も少なくありません。そんな人達の中に、前原さんもいました」


「前原……、志乃ちゃん」


「ええ、そうです。当時中学生だった彼女を、私が現場で助けました。それ以来の縁です。彼女もご家族を、バーミッシュに襲われているんです」


 直が強張った喉で、無理に唾を飲んだ。


「……その時すでに、直さんの事は良蔵さんから聞き及んでいました。当時あなたは中学生。彼女もそうで、しかも同じ学校に通っていた。だから私は、彼女に頼んだんです。『甥と仲良くしてあげて』、と」


 直はきっと長瀬を睨んだ。


 仲良くしてあげて。


 なんと響きのきれいな言葉だろうか。


「よくもそんな事が言えましたね」


 直の言葉に、あずさが怯えを含んだ目で彼を見た。


 長瀬も彼を見、そして許しを乞うように視線を下げる。


「ええ。私は身勝手でした。彼女は私の望む通りにあなたに付き添ってくれました。しがらみになるような他のつながりを作らせず、さりとて他人を拒み憎むような真似をさせないように。私の代わりに戦えるハウルとなる日まで、ずっと……」


 重い沈黙が降りた。


 誰もが口を開くのをためらうような間の後。


 ずっ、と。


 鼻をすする音が上がった。


 その音に、長瀬は顔を上げる。


 直は深く俯き、膝に乗せた手を強く握りしめていた。


「そんなのって、ないよ……!ずっと、友達と思ってたのに……!」


 嗚咽が彼の喉から洩れ、更に彼の背が丸くなる。


 長瀬はいたたまれない顔になって、なだめようと手を伸ばしかける。


 しかしすぐに、自分にそんな資格はないと感じ手を引いた。


 あずさも、直のすぐそばで声をかけようとするも、言葉に迷っておろおろしていた。


 やがて長瀬は、意を決したように居住まいを正し、彼に言った。


「全て私のせいです。彼女に非はありません。彼女があなたをだましたのでなく、私が彼女にそうさせたのです。どんな理由があれ、私が今まであなたの人生を捻じ曲げたのは事実です。まず私は、それをあなたに謝りたい」


 長瀬は深く直に頭を下げた。


「……っ、今更ですよ!こんなの僕の人生じゃない!ずっとあの子に縛られてた!あんな子なんて……」


「なっち!」


 あずさが直に縋りついた。


 悲鳴に近いその声に、直と長瀬が彼女を見る。


「あたし、なっちに助けられたよ!なっちがあたしを助けたの!誰もなっちにそうしろなんて、命令しなかったでしょ!?」


 直の袖を握りしめ、じっと顔を見つめてあずさは直に言う。


 直は赤くなった目で彼女を見ていた。


「なっちがすっごく優しいの、あたし知ってるよ。優しくしろ、なんて誰にも命令されてないんでしょ。なっちは自分で、あたしにも、志乃さんにも優しくしてるの。何から何まで人に決められてなんかないよ」


 あずさの必死な言葉に、直も長瀬も聞き入っていた。


「あたし、なっちの優しい所が好き。きっと志乃さんもそうだよ。なっちが優しいから、皆なっちに何も言わないでつい甘えちゃったの。だからお願い、嫌いだなんて言わないでよ。じゃないと、ええと……」


 あずさはそこまで言って、続く言葉に探すように視線をさまよわせた。


「……そのー……あの……」


 続きを待つ二人の目を受けながら、彼女はなおも口ごもる。


 やがて、彼女は恐る恐る口を開いた。


「……その、困る」


 何の色気もない単語で、あずさの言葉は締めくくられた。


 期せずして空いた間に、全員が黙り込む。


 やがて、ぷっ、と吹き出す声が上がった。


「ふ、ふふっ……、困るんだ」


 そう言ったのは、直だった。


 あずさと長瀬の目が、彼に向く。


 直は手の甲でぐしぐしと目をこするとあずさを見つめた。


「友達困らせちゃダメだよね。ちょっと動転しちゃったよ」


 直の表情は、目こそ赤くなっていたが、普段の落ち着きを取り戻していた。


 二人の顔がわずかに明るくなる。


「ありがと、あずさ。ちょっと思い詰めてた。……そうだよね、考えてみればそんなに悪い事じゃないや」


 え、と長瀬が目を丸くした。


「長瀬さん」


 直に呼ばれた長瀬が、改めて背筋を伸ばす。


「……僕にした事は正直ショックでした。……でも、事情があるのは分かりましたし、誰かを不幸にするためにしてたんじゃないのも理解しました。だから……、許すとか、そういう話は、もっと後にしたいと思います」


「え、つまり……?」


 戸惑う長瀬に、直が口を開きかける。


 その矢先、ハウルフォンが鳴った。


 何事かと全員の目が直に集まり、直はポケットからハウルフォンを取り出す。


 その液晶にはメールの受信が表示されていた。


『志乃ちゃん:当分会えないや。じゃあね』


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