第27話 臭い
男が変化を止め、胡乱げに声の方を見る。ハウルとあずさ、そしてタイガーもそこを見た。
小柄で長い髪をした、ドレスのような白い服を来た少女がいた。
ハウルは彼女に見覚えがあった。
直接会った事はない。
見たのは、かつて手に取った書類の中でだ。
ストレンジャーズ・チルドレンの歴史において、きわめて重要な存在としてコミック調で描かれていたその姿は、今目にしているものと極めてよく似ていた。
「白い、少女……!」
ハウルは思わず、そう呟いた。
少女はハウル達を一瞥すると、憮然とした顔で怪物然となった男を見上げ声を張る。
「あなた、分かってるの!?私達の存在が明るみに出れば、この先あなたも、あなたのお仲間もこっちで生きづらくなるのよ!ただでさえ、あなたは目立つんだから!」
男はヒトでない頭蓋を晒しかけたままの顔で、少女を見下ろす。
「うるせぇんだよ、ガキが。これは俺達バーミッシュの問題だ。バーミッシュがバーミッシュの敵を潰して、何が悪い」
少女はいびつな巨体を間近にしても、なおも動じない。
「あのね、ここではそうして姿をさらすだけで、あなた達はたくさんの敵を作るのよ?今まで通り、こっちの人間をのほほんとさせたままの方が顔を得やすいでしょ。獲物を脅して逃がすのが、賢い狩人のやる事なの?」
その言い草に、ハウルは信じがたいものを見る目で少女を見た。
あずさも敵を見る目で少女を睨む。
男は言いえて妙と感じたのか、これまでの剣幕を収めたようだった。
「……だったらそこの、裏切り者はどうすりゃいい?」
裏切り者という言い草を受けて、タイガーが男に鼻先を向けた。何も言わず、じっと男を見ている。
「それこそ、バーミッシュの問題じゃない。当事者達同士で話しなさいよ」
そう言って、少女は横に手を伸ばし、その指先で軽く空を押した。
きい、と音が上がり、ドアのように景色が切り開かれた。
絵に切れ込みを入れたようなその現象に、ハウルとあずさが息を呑む。
切れ目から見える隙間は暗いのに明るく、宇宙を覗いているようだった。
出来上がった隙間は、大人一人がどうにか入れる程度の高さのものだった。
それを見ていた男の身体が、少しの間の後、みるみるしぼんでいった。
首を縮め、尾や翼を背中で飲み込んでいく。
面の皮の下にあった顔も、前に突き出ていたのが引っ込んでいった。
しかし、かつて男の顔をしていた皮は、今やしなびて垂れた果物の皮のようになり、もはやヒトの顔ではない。
人間大になった男のようなものは、ぼろきれ同然となった服をまとったまま、ハウル達の方をみてチッ、と舌打ちの音を上げた。
少し屈んだ姿勢になって少女の前を通り過ぎ、切れ込みの中に入り込む。
すぐに、その姿は景色の陰に消えた。
それを見送っていたタイガーも、男を追うように歩き始めた。
ハウルは離れていくタイガーに、あ、と声を上げる。
そして気付く。
何と声をかければいいのか。
敵ではあるが、ただの敵だと切って捨てるような気にはならない。
ただの怪物として、どうにも憎み切れない理由がある。
彼の戸惑いを知ってか知らずか、タイガーがふと足を止め後ろを見やる。
「……我々は敵同士だ」
見透かしたようなその言葉に、ハウルは息を詰まらせた。
敵同士だ。改めて言われて気付く。
その通りだ。……そうだろうか?
自分でも整理できない感情を抱くハウル。
なおも言葉に迷い黙り込む彼に、タイガーは言った。
「じきに、また会う」
それだけ言うと、タイガーは速足で隙間の中へと入りこんだ。
二体の異形を隙間の傍で見送った少女が、ハウルとあずさの方を見る。
「あいつ等がどんな話をしようが、どっちみち、あなた達は彼等の敵よ。忘れない事ね」
挑発的なその言葉に、あずさが身を乗り出した。
「ちょ、ちょっと。あんたは何なの?何しに来たの!?」
これまでの出来事に、余裕を失ったあずさが声を張る。
少女はこれに全く動じず、むしろ、楽しそうに口元を押さえてふふ、と笑った。
「言ったでしょ。ここであいつ等を目立たせたくないの。もっとふさわしい時、ふさわしい場所でこそあいつの激情をあおりたいのよ」
「……?どういう、事なの……?」
問うたのはハウルだった。
疲労から覚束ないものとなった彼の疑問に、少女は楽しそうに答えた。
「私はケーキを作っているの。お母様が喜ぶような、素敵なおいしいケーキをね」
「……は?」
聞こえた答えに、ハウルが首を捻る。
あずさも怪訝な顔をして、少女をまじまじと見ていた。
「じゃあね」
少女は二人の疑問を置き去りに、自らも景色の隙間の中へと消えた。
直後、バタン、と隙間が閉じ、絵のようになっていた部分の景色は元の空間へと戻っていた。
置き去りにされた二人は戸惑いから動けずにいた。
やがて沈黙を振り切るように、ハウルが左腕からハウルフォンを引きはがす。
ハウルの全身が油の膜のように色や質感を変え、直の姿へと戻った。
「……何だったの、あの子?」
膝を付いたまま、率直な疑問を口にする。
問われたあずさも、満足な答えが出せなかった。
「分かんない、全然。……でも、もう、大丈夫、なんだよね?」
それが身の安全を指して聞いているのだと、直は察した。
鼻をひくひくさせ、辺りの臭いを嗅ぐ。
「……うん、多分。変な臭いはもうしないし、誰かが近づいた感じもないね」
「そっか、よかった……」
あずさはそれだけ言うと、へたりとその場に座り込んでしまった。
直が何事かと、彼女に身を寄せる。
「だ、大丈夫?怪我したの?」
そう言われたあずさが呆けたように、目を丸くして直を見上げる。
そうして彼を見た後、彼女は思わず噴き出した。
くくく、と喉から声を上げ、やがて、少しばかり大げさに直に言った。
「なっち、それこっちの台詞!」
はしゃぐ様子で、彼女は直の肩に肩をぶつけた。
間近に来たあずさの顔に、直は目を丸くする。
「う、うん?あ、うん、僕はもうそんなに身体は痛くないけど……」
「ははは、そっか。さっすが男の子」
楽しそうに言うあずさに、直も次第に安堵からふふっ、と笑った。
「よかった。僕の知ってるあずさだ」
「お、口説くぅ?」
「そんなんじゃないよ」
「知ってる」
あずさはすっかり上機嫌になっていた。
直もその様子に気を良くし、落ち着きを取り戻す。
そうして冷静になった後、直はあずさに思った事を口にする。
「……今回は、敵に助けられたよ」
真面目な感想に、あずさは真顔になるが、すぐに冷静になった。
「……まあ、ね。まさか三分も真面目に待ってもらえるなんて思わないし」
「うん。……あの虎のバーミッシュ、強いけど……」
「うん……」
あずさは直の言いたい事が、すぐに分かった。
同じものを感じた、もっと言えば、同じ臭いをかぎ取ったからだ。
タイガーが、どうしてもただの敵とは思えない。
タイガーバーミッシュからは、荒野の乾いた土の臭いしかしなかったからだ。
血の臭いも、腐肉の臭いもない。
それだけで、タイガーが今まで誰も人間を殺した事のないバーミッシュだと、はっきり確信できたのだった。
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