第24話 竜牙兵
直とあずさの背筋を、さっと冷たいものが走った。
二人で同時に、声のした方を見やる。
いた。
直たちのいるベンチの対面にある公園の入り口から、芝を踏みつけながら、男がづかづかと二人の方へ歩み寄ってきていた。
ヘアジェルで強引に逆立てた茶髪に、いずれも大きな目、鼻、口。
そして、むせ返るような強い死臭。
直とあずさはその表情をこわばらせ、弾けるように立ち上がって男を凝視した。
なんでここに。
そんな問いを察したように、男が歩みを止め、二人を見て、癖のように得意げに顎をしゃくる。
互いの距離はおおよそ10メートルほど。
互いに歩み寄れば近く、じっと待てば遠い、そんな距離だ。
「え、何?俺空気読んでない系?そんな目で見られるとか、マジあり得ないんですけどー」
上機嫌な言葉とは裏腹に、目は笑っていない。
「……な、何で……?」
直がどうにか声を絞り出して尋ねると、男は眉をわずかに持ち上げた。
「あぁん?何でってお前、この辺は最高の狩場だぞ?学校が多いんだからな」
その言葉の意味するところを、直は最初理解できなかった。
あずさも同様で、怪訝そうに眉をひそめる。
しかし、すぐに二人の顔は、さっと青くなった。
直は大学を、あずさは高校のある方向を見やり、再び男を見る。
「お前、まさか!」
そう言う直に、男は大きな目をわずかに細め、にい、と大きな口の端を横に広げた。
「そろそろ部品を見繕おうかなー、ってな」
そう言う男の濃い色の右目が、ゆっくりと外側へと下降していく。
よそ見をしているのではない。
眼球ごと、ずれているのだ。
男の顔に現れた、蝋で出来た福笑いのような変化に、あずさがひっ、と上ずった声を上げる。
直は咄嗟にあずさの前に立った。大学には志乃もいる。
「そ、そんな事……!」
「お、やる?やっちゃう?」
男が弾んだ声を上げて身を曲げ、直を見上げるように睨んだ。
直はポケットのハウルフォンに伸ばしかけた手を止め、困った顔で下唇を噛んだ。
直は、三分通話しなければ豹転できない。
助力を乞うようにあずさを振り返ると、彼女は直に懇願するように彼を見上げていた。
未だ男に対する恐怖が彼女から抜けていない。
つまり、彼女はヴィオキンにはなれない。
「……っ!」
直は先ほど自分が彼女に言った言葉を思い出す。
『僕があずさを守る』
「逃げよう、あずさ!」
直は踵を返し、彼女の手を掴んだ。
あずさは足に力が入らなかったのか、うまく腰を上げられず前につんのめるようにして直を追う格好になった。
男に背を向け、彼女を引きずるように直は走る。
追わせるつもりもあったから、決して急がせなかった。
遠ざかる二人を、男は慌てた様子もなく見送りながら、つまらなそうな顔になって背筋を反らした。
「んだよ、ダッセぇな。つっても、今動くと目が取れちまう。……ったく」
右目を手首の辺りで押し上げながら、男はけだるげに言った。
そして、次の行動に移る。
男は口を開け、片手をそこに差し入れた。
親指と人差し指で歯を一本つまみ、指に力を込める。
「……ふんっ」
ぱき、と音を立てて、歯が折れた。
男は痛がる様子もなく手を戻し、引き抜いた歯を見て呟く。
「んじゃ、よろしく、っと」
歯をつまむ指に更に力を込める。
みち、とかすかな音が上がった直後、大きな音を立てて歯が砕けた。
はずみで飛んで行った歯のかけらが散らばって地面にぱらぱらと落ちる。
異様な現象が、起こった。
細かくなった歯のかけらはいずれもが小さく振動し、そして膨れた。
水を吸い上げ生長するかのように、いびつに膨れ上がったのだ。
元の二倍、三倍となおも体積を増すそれらは、更にその形状を変えていく。
二本の細いものが生え、その先端を地に付けると、細いものは長さを増しながら根元を持ち上げ、立ち上がる。
同時に、持ち上げられた塊は高さを増し、やがて三つの突起を上部に生む。
左右の二つはひょろりと伸びて先端を下に向け、真ん中の一つは短く伸びた後に先端を球形に膨らませた。
歯のかけらだったもの全てが同じ変化を終え、静かにたたずむ。
赤錆に似た色に染まったそれ等の形状は、どれもが人の骨格そのものだった。
全ての関節が赤い粘液でつながれているために自壊を免れており、自身の足で自重を支えている。
男から逃げていた直とあずさが、後ろを振り返りそれ等に驚いた。
「な、何あれ!骸骨!?」
「え、ええ!?知らない、あんなの、あたし知らない!」
二人の、特にあずさの上ずった声を聞きつけたかのように、赤い骸骨の群れが同時に頭を上げ、一斉に二人の方を見た。
骸骨は六体、十二の空の眼窩が二人に向けられる。
一本の牙から生まれた六体の骸骨の群れが、二人へ殺到した。
恐ろしい事に、いずれも踏み出す衝撃で崩れる事なく、滑らかな動きで走ってきている。
からからと、恐ろしく軽い足音を重ねて迫る骸骨の群れに、直とあずさは更に焦り足を速めた。
直は息を切らせながら、思い出したように慌ててハウルフォンを取り出す。
「なっち、どうする気!?」
「長瀬さんに連絡だよ!」
親指で電話帳を呼び出し、長瀬の番号へとつないだ。
「まるまるばつ、まるまる……えーと、八十二点。次の子は……と」
長瀬は今しがた採点し終わった答案用紙を重ね、また別の生徒の採点に取り掛かった。
「消し跡だらけね、これ。字も汚いし、減点しようかな……」
そう呟いて再び赤ペンを取り、正答の書かれた教員用のテスト用紙とを見比べる。
そんな調子で、彼女は黙々と丸とバツとを使い分ける作業に勤しんでいた。
彼女の勤める学習塾は夕方の五時から。
出勤までに全員分の採点を済ませておかなければ、授業に支障が出る。
「六十五点、か。採点ミスは……ないか。んー、そんなに難しくないはずだけどなー」
授業のやり方を見直すべきか、と考えた途端、彼女の携帯が鳴った。
表示された『月島直』の文字を見て、彼女はペンを離した。
『はい、長瀬です』
長瀬の声を受け、直はしめたと安堵した。
広い公園の中にある、茂みの並ぶ薄暗い道に入りながら電話に集中する。
「月島です。今、あの男に追われています!」
ハウルフォンに声を張る直。
電話の向こうで、長瀬が息を呑むのが伝わった。
『今どちらに?』
「空坂自然公園です。あの、赤い骸骨がいっぱい出てきて……」
『!竜牙兵!?』
突然の未知の単語に、直は戸惑う。
彼の戸惑いを読み取ったように、長瀬は続けた。
『奴だけが生み出せる、奴の下僕です。力はそう強くはありませんし、単純な行動しかできません。落ち着いて冷静に挑めば、敵わない相手ではありません』
「す、ストレンジャーズ・チルドレンならですか?」
『私でも勝てます。人数で来られたら別ですが、一対一ならどうにかなります。弱点は、頭です』
直は言われた事がにわかには信じられず、隣を走るあずさに目を向ける。
表情に疑問を浮かべる彼女に、教えられたままを言う。
「あの骸骨になら、普通の人でも勝てるって……」
「ほ、本当!?」
「長瀬さんが言ってる。弱点は頭だって……」
「……そっか、じゃあバーミッシュと一緒だね」
あずさの表情がやや明るくなる。
直は彼女のそんな顔に、動揺をひと時忘れられた。
おかげで行動する勇気がわいた。
ちらりと背後に目をやると、竜牙兵と呼ばれた赤い骸骨達が直達を追って、茂みの陰から走ってきているのが見られた。
人二人が両手を広げて通れる程度の道幅のためか、二列になって追ってきている。
「……二人、一度に相手できる?」
あずさが直に問う。
直は振り返り、竜牙兵の並びを見て彼女の言わんとする事を察した。
「直線コースでやろう」
直が提案する。
あずさは首を縦に振った。
なだらかなカーブが左右に続く道を二人は走り、たどり着いた直線コースを更に進む。
曲がりくねった道を進む髑髏の行列も律義に二人を追う。
六体全員がカーブの連続を抜け切ったその時、直とあずさは同時に足を止め振り返った。
手を伸ばせばもう少しで触れるといった距離まで先頭の二体が近づいたその時、二人は同時に片足を振り上げ前へと蹴り出した。
「それっ!」
「うりゃっ!」
迫る竜牙兵の先頭二体の胸骨に、二人の前蹴りがカウンター気味に入る。
見た目通りの軽い踏みごたえを返し、二体の竜牙兵が前へ踏み出そうとしていた足を泳がせ、身をしならせた。
後続の竜牙兵達が足を止めずに殺到し、そのせいで先頭にいた竜牙兵の背に次々と衝突していく。
がしゃん、がしゃんと音が上がり、骸骨の群れはもつれあうように後ろへ吹っ飛んでいった。
直とあずさが、同時にこぶしを作って「よしっ」と呟いた。
しかし視線を前に向け、逃走を再開しようとした矢先、二人はその場に踏みとどまった。
前方から別の竜牙兵の群れが現れたのだ。
直は公園の中に敷かれたこの道が、公園の中央にある森を囲むように伸びているのを思い出した。
反対側から、回り込まれたのだ。
直とあずさは息を呑み、逃げ道を探そうと左右に目を巡らす。
しかし、ボックスウッドの茂みに挟まれた一本道に逃げ場はない。
木々の間に潜り込もうとしても、木々の並びは入り組んでおり、根によって地面の隆起も激しくなっている。
足を取られるのを考えると、逃げ道には選べない。
『どうしました、直さん!?』
ハウルフォンから長瀬の緊迫した声が上がった。
「は、挟み撃ちです!やられました!」
答える直の背後で、最初の竜牙兵達がむくりと起き上がった。
糸に引かれたマリオネットのような挙動で立ちあがるその様に、疲れやダメージは微塵もうかがえない。
「な、なっち……」
あずさが直の袖を握り、彼にすがる。
直は唇を噛み、前後にいる竜牙兵の群れの様子を窺う。
「よーし、逃がすんじゃねぇぞー」
直達の前方を阻む竜牙兵の群れの奥から、男の声が上がった。
竜牙兵達が道を譲るように左右に開く。
下僕を掻き分け、男がゆっくりと二人へ歩み寄ってきた。
今も右目が外へとずり落ちそうになっているらしく、右手を頬骨の辺りに添えている。
張りつめた眉間の皮には、破れた跡が見えていた。
「お前等ほっとくと顔狩りしてるダチがあぶねーんだよなー。ウッチーとかミッチーとかやられてんしよぉー」
面倒だと言わんばかりの気だるげな言いぐさで、男は左の手で後頭部を掻く。
「だ、誰の事……?」
恐る恐るあずさが口を開いた。
聞きつけた男が露骨に不機嫌な顔になる。
「あぁ!?こう言や分かるのか!?牛とネズミの事だよ!」
直とあずさはすぐに思い出した。
あずさが倒したオックスバーミッシュと、直が倒したラットバーミッシュの事だ。
「白いガキはこっちに連れてくるだけで、俺達の安全にゃあ全っ然ノータッチだ。バーミッシュの身は、バーミッシュが守らにゃならねぇ。だーから俺みたいな強い奴が出張らにゃなんねぇんだ。あー、めんどくせ」
男は手持ち無沙汰に、左の手でつまんでいたものをこねるようにもてあそぶ。
それは、鋭くとがった牙だった。
男はその手を、口元に持っていく。
「見ろよ、これ」
指先を口の端に引っ掛け、薄く開いた口の中を二人に見せつける。
見えた口内に、二人はひっ、と声を上げた。
人間の歯は並んでいなかった。
鋭くとがった牙がずらりと並ぶその口内は、不自然なほどにずっと深い。
明らかにヒトの口ではない。
更におぞましいのは、その中だ。
牙に囲まれた薄暗い下顎のくぼみには、食べ残しのように溜まったものがあった。
いくつもの目玉や耳、人間の皮……。
無造作に詰め込まれたように乱雑に並ぶその様は、さながら顔の部品の不法投棄場だった。地獄と言ってもいい。
二人の、人間より優れた嗅覚が、男の口内から立ち込める唾液にまみれた血の臭いや腐敗臭、そしてすえた黴の臭いをも嗅ぎ取る。
生きる者を忌避させる、死の臭いだ。
二人は喉の奥から酸いものが込み上がり、咄嗟に口と鼻を押さえて目を逸らした。
男は上あごの奥に並ぶ、牙の折れた跡を晒して言った。
「見ろよ、これ。三本も歯ぁ取っちまったよ」
男にとって口内の惨劇は、取るに足らぬ事のようだった。
直は男の顔を直視しないように、前へと視線を向ける。
男の後ろに並ぶ竜牙兵は六体、直達の後方に詰めているのも六体。
道を挟む木々の間を無理やり抜けても、二人のうちどちらかが捕まりかねない。
依然として、二人に逃げる余地はなかった。
男がつまんでいた牙をいじるのに飽きたように、それを砕かずに足元に落とす。
牙は道に埋まっていた石ころに当たって、かん、と気味のいい音を立てて跳ね、直達のいる方向へと転がった。
しかしすぐに止まり、動かなくなる。
牙が、変化を始めた。
竜牙兵が歯のかけらから出来上がるのと同じように、いびつに膨れ、足を得て立ち上がり、上体を成す。
しかし、出来上がった姿は竜牙兵とは大きく異なっていた。
肉を持つ手足や胴は太く、毛皮の代わりに青銅色の鱗が全身を覆っている。
オックスバーミッシュに勝るとも劣らないその巨体の主は、骨を模したような鎧をまとっている。
その色は竜牙兵と同じ赤錆色で、首に据えられた頭蓋骨も同じ色をしていた。
その頭蓋骨もまた、異様な造りだ。
前に突き出た鼻と牙の並ぶ大きな口はワニに似ているが、頭部の左右からは牛に似た角が真横に向けて生えており、その切っ先を前方に向けている。
竜という架空の生物の頭蓋骨を、そのまま形にしたようだ。
直はその出で立ちを見て、男とその怪物とを交互に見る。
竜のバーミッシュと聞いて思い浮かべたままのものが、男の前にいるのだ。
見間違えかと戸惑う直の疑問に答えるように、男が得意げに言う。
「超竜牙兵、って感じ?」
超竜牙兵と呼ばれた怪物は、両肩を軽く回して胸を張った。
その様は置物や作り物とは違い、確かな呼吸の気配を伴なっていた。
あずさが怯えから、驚きの声を上げる。
「ば、バーミッシュを作った!?」
「違う違う、超竜牙兵っつってるじゃーん」
「……別物?」
直が超竜牙兵の赤錆色の頭蓋骨を見て呟く。
今まで彼が見たバーミッシュの頭部は、どちらも黄色く薄汚れた乳白色の頭蓋骨だった。
反射的に、ハウルフォンで長瀬に尋ねる。
「あの、長瀬さん……」
長瀬からの返事は、聞こえなかった。
電話に出ないのではない。
確かに彼女のものらしき声は聞こえているのだが、マイクが風に吹かれているのか、ぼうう、ぼううと大きな音が上がっているのだ。
そのせいで、直は長瀬の言っている事が分からなかった。
「え、何ですか?あの、長瀬さん!?」
聞き直す直だが、電話の向こうで上がる音は変わらない。
必死に呼びかけて電話に集中する直だったが、ここで目の前の事態に気付く。
超竜牙兵が手の届く距離にまで彼に迫っていた。
慌ててハウルフォンを耳から離し通話時間を確認すると、三分はすでに超えていた。
しめた、と思ったその直後、直のその手は超竜牙兵の手によって下から弾かれた。
「ああっ!」
手を離れたハウルフォンに直が悲鳴を上げる。
ハウルフォンはボックスウッドの茂みの中へと飛んでいった。
腕の痛みを忘れハウルフォンの飛ぶ先を見る直に、今度は横っ面へ裏拳が飛んだ。
直の脳の芯が揺れた。
打たれた瞬間意識が飛び、体が大きく横に流れる。
傍の木に肩からぶつかり、直は無様に地面に転がった。
「……っ、……あぁっ……!」
痛い。痛みで身体が動くのを拒む。目も霞む。
何より衝撃で頭の芯が熱を持ってぐらぐらと揺れ続け、まるで煮えた酒を無理やり飲まされたようだ。
そのせいで手足が上手く動かない。
横になって身を丸め、打たれた頭を押さえて呻く事しかできない。
直のその有様に、男がはっ、と鼻で笑った。
「ダッサ」
超竜牙兵が、あずさの襟首を片腕で掴みあげた。
息の詰まった彼女がぐっ、と声を上げ、その両足が宙に浮きあがる。
超竜牙兵は空の眼窩であずさを見た後、主である男を無言で見やる。
「おう、そうだ。そいつ連れてこい」
超竜牙兵は頷き、あずさを持ち上げたまま男の方へ行こうとした。
「……!ま、待て……」
直が這って超竜牙兵の太い足に近づき、しがみつく。
超竜牙兵は足を止め、煩わしそうに直を見下ろした。
男も直を見、ちっと舌打ちする。
「んだよ、てめえ。お前の顔には興味ねぇんだよ」
超竜牙兵が足を振って直を振り払い、仰向けに転がった直を竜牙兵が数体駆けつけ直の手足を抑え込む。思いの他、力が強い。
「は、離せ……っ」
身じろぎするだけで頭の芯から焼けつくような痛みが直を襲う。そのせいで、手足に力が入らない。
男は超竜牙兵の連れてきたあずさに顔を近づけ、まじまじと見入る。
あずさは男への恐怖と悪臭から、息を詰まらせて必死で顔をそむけた。
やがて男がぽつりとつぶやく。
「……目、かな」
ずり落ちそうな自分の右目から、男が手を離した。
あずさがその言葉の意味するところに気付き、はっと男を見る。
「学校に行く手間が省けたよ」
男の右手が、ゆっくりとあずさに近づいていく。
男の指先が尖り、肌色の皮の下から鋭いものを突き出していく。
皮が破れ、獣のものに似た鋭い鉤爪が露わになった。
あずさを見る男の右目はなおも下降を続け、ついに鼻より低い位置にまで下りていた。
顔から零れ落ちるのも時間の問題だろう。
人間の姿を徐々に忘れていくような男の顔のあり様に、あずさは慄き、その恐怖は高潮に達しようとしていた。
「嫌……嫌ぁ!」
首を掴む超竜牙兵の手をほどこうとするも、恐怖でひきつった体には力が入らず、びくともしない。足も、泳ぐように宙を掻くだけだ。
男の手がどんどんあずさに近づいていくのを見て、直が奮い立つ。
「う……、う、おおおおぉぉっ!」
遮二無二、もがいた。
手足を押さえる手近な竜牙兵に未だ痛む頭をぶつけ、ぐらついた隙をついて手をほどく。
自由にした腕を振り回し、拳や肘で他の竜牙兵を殴り飛ばして自由を得ると、彼は這うように前へ飛び出し、男のわき腹へ肩からぶつかった。
「うおぅ、っとと……」
男がたたらを踏んで横へ流れ、あずさから数歩離れた。
あずさが直を見てその表情に驚きを浮かべる。
バランスを失いかけつつも踏みとどまった男は、しがみつく直に忌々しそうな視線を落とした。
「邪魔すんなっつの。ハウルの癖によぉ」
男の肘が、直の背中を打った。
二度、三度と打撃が続くが、直は退かない。
「友達なんだ!手を出すな!」
必死で直が声を張る。男が舌打ちする。
「ああうぜぇ!俺の邪魔をすんな!」
「嫌だ!」
男の膝が直の胸を打った。
息が詰まるその一撃に、直がわずかに怯む。
男が直の襟首を掴み、無理やり引き離す。
振りかぶって繰り出された男の拳が、直の顔を打った。
直がのけぞり、背後の木に背中からぶつかる。
竜牙兵達が男の前へと殺到し、直を取り囲んだ。
直は俯き、痛む顔を押さえて呻く。
「つうかよぉ、なんで豹転しねぇ!?なめてんのか!?」
男が恫喝し、直は返答に迷う。
ついと右に目を逸らしてハウルフォンを探し、雑草の茂る中に青いものを見つけるが、手を伸ばしても届く距離ではない。
竜牙兵の群れを抜け、視界の左に位置する男や超竜牙兵から離れた場所だ。
「どうせ俺より弱いんだから邪魔すんな!うぜぇんだよ!」
一方的で暴力的な物言いに直は怯む。
こんな言葉を向けられるのは初めてではないが、それでも精神に響く。
胸に詰まるものに、吐き気すら感じる。
それでも、彼は退かなかった。
「……弱いのは」
直は男を見る。
その目は、怯えたものではない。
「あ?」
「弱いのは、理由にならないだろ」
「はーぁ?」
「友達に、怪我させる奴から、逃げる理由に、なるかあぁ!」
直は吠えた。
踏み出し、立ちはだかる竜牙兵の頭を殴り飛ばした。
殴る手が痛むのも構わず、男の脇を抜け、あずさを掴む超竜牙兵へと走ろうとする。
二体目を殴りつけた所で、彼は後ろに迫った竜牙兵達に上着を掴まれ前進を阻まれた。
そこで、直は軌道を変えた。
きゅ、と右へ跳ぶ。
虚を突かれたように、竜牙兵達の手が直からほどかれる。
男が怪訝な顔をし、直の向かう先を見る。
直は頭から滑りこむようにボックスウッドの中に滑り込んだ。
彼の手が、茂みの中で転がっているハウルフォンを掴む。
すぐさま立ち上がり、ハウルフォンの通話を切った。
ハウルフォンの画面が変わり、テンキーと四桁の空欄が表示される。
『Released the lock. Ready set for morphing』
低い男の電子音声がハウルフォンから流れた。
男がハウルフォンの音声に怪訝な顔をする。
「なんだ?そりゃあ」
直は男と、あずさを捕まえる超竜牙兵を睨んだまま画面上のテンキーを叩く。
[0][0][2][3]
『Consent to your fighting. Good luck.』
直はハウルフォンを持つ手を大きく振りかぶり、左腕のブレスに装填した。
「豹転!」
ばちん、と固い音を立ててはめ込まれたハウルフォンが、ブレスを通じて直の肉体に変化を与えた。
生まれた振動が彼の血肉を揺らし、頭の芯に熱をもたらす。
彼の全身は、衣服を巻き込み、空色の体躯に変わった。
顔は直線で構成された狼のものになり、その後顎が大きく開いて鏡面のような顔がせり出す。
狼の顎の中で、ヒトに似た双眸が強い光を放った。
変化した直を、男が目を疑うように目を細めて見る。
変化を終えた直は、両肩を回し腰を落とした。
「グルゥアッ!」
ハウルとなった直は吠えて地を蹴り、竜牙兵達を飛び越えて超竜牙兵へと迫った。
竜の二本の角を両手で掴み、その額に片膝を乗せて、更に空中からのしかかる。
超竜牙兵は首をもがれると察したのか、あずさを離し自ら倒れこんだ。
もつれあうように転がる二体の異形が、道を飛び出し森を抜ける。
竜牙兵達がそれを追い、男が舌打ちしてその後を歩く。
地面に落とされたあずさは、座り込んだまま掴まれていた首を押さえて咳き込み、直達の行く先を涙目で追った。
すでに角から手を離していたハウルは開けた草原に転がり抜けた途端、いち早く起き上がると、遅れて転がり出てきた超竜牙兵の顎を蹴り飛ばした。
蹴られた超竜牙兵がさらに転がり、ハウルと距離を取ってむくりと起きた。
低木の茂みを抜けて総勢十二体の竜牙兵がハウルへ殺到する。
ハウルはそちらを振り返り、広げた両手の指に力を込めた。
「グゥルルァッ!」
発達した脚力にものを言わせ、上空へ飛び上がった。
赤い骸骨達は、頭上に躍り出た狼男のような異形を見上げる。
高い。
建物の三階分の高さまで跳びあがるその様は、ハウルの常人離れした身体能力を表すものだ。
ハウルは空中で、左手のブレスに装着されたハウルフォンの画面を叩く。
画面が点灯し、光る線で描かれたハウルの全身図を表示させる。
ハウルの指が、画面の中に映る両手を立て続けに叩く。
画面の中で、ハウルの両手が点灯した。
『OK. Let’s Crash! Now!』
ハウルが空中で両手を広げる。
その十の指先が、緩いカーブを描いて鋭く伸びた。
研ぎ澄まされた爪を得た腕が大きく広がる。
そして、それらの切っ先が竜牙兵達に向けられ、落下によってみるみるその距離を詰めていく。
竜牙兵達を射程に収めたハウルが、その両手を振りかぶる。
「ワイルドネイルクラァッシュ!」
一気に真横に振られた両腕が、すぐ近くの竜牙兵達の頭部を捉えた。
二体の竜牙兵の頭部に爪が打ち込まれ、頚椎から引き抜かれる。
爪の食い込んだ頭部は共にハウルの手の内のまま、すぐに別の竜牙兵達の頭部にぶち当てられて、もろともに粉々に砕けた。
早々に四体の竜牙兵の頭部を砕いたハウルは、未だ止まらない。
鉤爪を振るい、残る竜牙兵達に反応する暇すら与えず、その頭蓋骨をかすめ取っていく。
鉤爪で掴まれた頭蓋骨は、瞬く間に別の竜牙兵の頭蓋骨に叩きつけられる。
獣が跳ねるごとく、ハウルの動きは機敏だった。
早々に十二の頭蓋は粉々に砕け散った。
頭部を失った竜牙兵達が膝を折り、次々と自ら粉々に砕け散った。
原形も残らず、赤錆色のかけらが宙に舞う。
塵が日の光を乱反射し、片膝を付くハウルを控えめに、しかし煌びやかに照らした。
ハウルがゆっくりと起き上がり、立ち尽くす超竜牙兵を見据えた。
元に戻った指先で拳を作り、握りしめる。
「次はお前だ」
そう呟き、赤い竜の頭蓋骨をねめつけた。
男が退屈そうな顔で超竜牙兵を見やり、顎をしゃくる。
超竜牙兵はその指示を読み取ったように、ハウルへと向き直った。
ハウルが超竜牙兵へと歩み寄っていく。
ざく、ざくと雑草を踏みしめる静かで控えめな足音が上がる。
その足音が、重なった。
ハウルが足を止める。
足音は続いた。
ハウルと超竜牙兵、男、そして遅れて様子を見に来たあずさも音の出どころを見る。
それは公園の入り口から、堂々と歩いてきていた。
鋭い爪の生えそろった足、細くも締まった体を包むのは骨を思わせる鎧。
そして、黄と黒との線が成す縞模様を持つ毛皮。
後頭部には、白く長い髪を思わせる毛の束が垂れさがっていた。
牙を持つその頭部は、まごうことなき虎のもの。
「……虎?」
茂みの陰から見ていたあずさが呟く。
聞きつけたその言葉を肯定するように、虎のバーミッシュが足を止めた。
そして、口を開く。
「同族を、見捨てる訳にはいかんのだ」
牙を打ち鳴らしながら、その怪物はそう言った。
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