第22話 お化け

 その日、あずさは生気のない顔のまま弁当を食べ終えると、黙って弁当箱の蓋を閉めた。


 同じ机を囲んでいた友人の千鶴が、あずさの様子に声をかける。


「……あずちゃん、本当に今日どうしたの?元気ないよ」


 本心から気遣っている千鶴に、あずさは「ん?」と返事を返した。


 やはり浮かないその反応に、千鶴は更に詰め寄る。


「やっぱり変だよ。ご飯食べてもずっとだんまりなんて、らしくないじゃん。何か悩みでもあるの?」


 その言い草に、あずさは少しだけ苦笑を返すのみで、すぐに千鶴から目を逸らした。


「別に……。ちょっと、怖い夢を見ただけ」


「夢?どんな?」


 詳しく話せ、とでも言うような無言の圧力に、あずさは薄く口を開く。


「……すごく臭くて、すごく強いお化け」


「お化けぇ?」


 千鶴は肩透かしを食らったように驚くと、すぐに相好を崩してくすくす笑った。


「何それ、そんなに怖かったの?」


「……うん。いつかまた、すぐに会いそうで、その時どうすればいいか、分かんないの」


 千鶴はあずさの言葉が冗談を言うものではないと気付いたのか、すぐに笑うのをやめた。


「逃げらんないの?」


「……うん。逃げたいけど、逃げちゃダメなの。逃げられないの」


 夢の内容を語るにしては悲壮なあずさの口ぶりに、千鶴も表情を次第に曇らせる。


 彼女にはあずさが何を危惧しているのかは分からなかったが、それが茶化せるようなものでない事だけはおぼろげに察せられた。


「そっか。……何か、できることがあったら言ってよ」


「うん。ありがと」


 あずさが力なく頷いた時、彼女のポケットでスマートフォンが震えた。


 メールの受信を知らせるそれが何なのか確認するため、画面を見る。


 知らないメールアドレスの下に、件名が表示されていた。


[月島です。空いてる日はありますか?]


 あずさの目が丸くなった。




 その日の昼時、直は大学の廊下で志乃とばったり出くわした。


 目が合った瞬間、志乃が速足で彼に駆け寄ってきた。


「直君、大丈夫だった?」


 それが一昨日の、オックスバーミッシュに遭遇した時の事だとすぐに分かり、直は頷いた。


「う、うん。志乃ちゃんも無事だったんだね」


 昨日は会えず、そのため心残りになっていた懸念が晴れて、直の胸が軽くなった。


「あたしの心配なんて直君にはまだまだ早いよ。もっと自分の事、自分でしっかりできるようになってから言ってよね」


 これを言われると直には返す言葉もなかった。


 こう言われた事は一度や二度ではないし、重々自覚している。


「あたしは怪物から離れてたし。でも直君は怪物のすぐ近くにいたでしょ?あたしもうびっくりして、逃げちゃって言うのもなんだけど、大丈夫かなって……」


 罪悪感を見せる様子の志乃に、直は苦笑し「大丈夫」と返した。


「こっちも心配だったよ。志乃ちゃんがちゃんと逃げてるか、怪我してないかとか……」


 志乃がきょとんとし、目を丸くした。


「……あれ?置き去りにしたの、怒ってないの?」


「あれは仕方ないよ。逆の立場なら、僕だって逃げてるもん」


 志乃は表情を変えずじっと直を見て、やがてぷっ、と吹き出した。


「優しいなぁ、直君は」


 志乃はくすくす笑い始めた。


 直はそんな反応をされた理由が分からず、しどろもどろになる。


「え、ええと、僕何か変な事言った?」


「うん。あたし以外に言ったら、絶対怒られるよ」


「ええ……?」


 やはり直にはまるで分からず、首を捻るばかりだった。


 必死に考える彼だったが、ふと別の事を思い出す。


「あ、そうだ!城戸さんに会うんだった。ごめん、今日はもう行くね」


「お、浮気?」


「友達でしょ、もう」


 志乃に手を振って別れると、直は廊下を速足で進み、外へと出ていった。


 志乃は直の後姿を見送ると、ふう、と息を付き肩を落とした。


「……潮時、かな」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る