第21話 長瀬の耳

 良蔵の家で卓を囲む直と長瀬、そしてあずさの顔は一様に浮かないものだった。


 戦わずして、逃げた。


 この事実は、バーミッシュと戦うのが目的である彼等の集まりにとって、最もあってはならないものだった。


「……あれは」


 重苦しい沈黙の中、直が恐る恐る口を開いた。


「あれは、何ですか?僕はまだ三人くらいしかバーミッシュを見てませんけど、あれは段違いでした。臭いもそうですけど、顔がなんだか、不気味と言うか、アンバランスで―――」


 長瀬が直に、険しい目を向けた。


 直が気圧され、息を呑む。


「……あれは現在、最も危険とされるバーミッシュです。良蔵さんですら、仕留められませんでした」


 直が驚きから、え、と声を漏らした。


「あなたのおじいさんは私の知る限り、最も強いストレンジャーズ・チルドレンです。その良蔵さんですら手を焼く、規格外の化け物。それが、あいつです」


 そこまで言うと、長瀬は言葉を切った。


 奥歯を噛みしめる、ぎり、という小さな音が直には聞き取れた。


「……私達が見逃されたのは、おそらく奴が今の顔に満足しているからでしょう。もし奴の顔が万全でなければ、すでに私達の誰か、あるいは全員が無事ではなかったはずです」


 恐ろしい話の中、全員、という単語に直は違和感を抱く。


「え、狙われるって……、顔が目当てなら一人だけじゃ……」


「奴の顔、アンバランスと言いましたね。そんな顔の持ち主を選んでいる訳ではありません」


 直は最初、言われた言葉の意味が分からなかった。


 言わんとする所を理解するのには時間がかかった。


 察した瞬間、彼の顔は青くなった。


「……え、まさか」


「ええ、継ぎ接ぎです。奴は多数の人間から、好みの部品を奪って顔を作ります」


 直は言葉もなかった。


 途方もない数の殺戮と、猟奇的な嗜好。


 それらが事実だと裏付ける強い悪臭が、鼻の奥からまざまざと思い出された。


 こみ上げる嘔吐感を、直はどうにか堪える。


 長瀬が長い髪に隠れた、自分の右耳を押さえた。


「私も一度、奴に襲われた事があります」


「え!?」


 直は思わず立ち上がり、長瀬の方に身を乗り出した。


 近づいた直の顔に、長瀬が眉間に皺を寄せる。


「……近いですよ。傷でも探す気ですか?」


 言われて直は、そう取られる可能性に気付いた。


 無論、長瀬を心配しての事だったのだが、誤解を大いに招きかねない反応だった。


「す、すいません。そんなつもりじゃ……」


 謝りながら、彼は身を引く。


 長瀬は答えず、代わりに右手でわずかに右の髪を掻き分けた。


 髪の隙間から覗いたものを見て、直は息を呑む。


 長瀬の右の耳殻は、半分ほどしかなかった。外側が、切り取られていたのだ。


 直線状の断面には、列を作るように肉が歪に盛り上がっている。


 痛々しいその傷跡は耳孔に迫るほどで、その耳孔を塞ぐように小さな補聴器がはめ込まれていた。


 長瀬が男に激高するのは無理もない。こんな傷を、命を奪われる恐怖と共に刻みつけられたのだ。


 その時長瀬が感じたであろう恐怖はもちろん、その後に沸き上がった屈辱感や怒り、そして件の相手を打ち倒すべきだという強い執念も、直は自分の想像も及ばないものだと思い知らされた。


 傷を見せた後、長瀬は静かに髪を元に戻した。


 申し訳なさそうに俯いた直に、長瀬は変わらぬ厳しい目を向ける。


「……奴等を野放しにしておけば、いたずらに被害を増やすだけです。それこそ、私のように、です」


 その言葉は、強い戒めのこもったものだった。


 直の胸に重いものがのしかかる。


 長瀬はあずさの方を見た。


「城戸さん、奴が現れた今、あなたや直さんの役割はとても大きなものになります。今後の活動について―――」


「ナガさん、ごめん」


 それまで青い顔のまま俯いていたあずさが、長瀬の言葉を遮った。


 何事かと眉をひそめる長瀬の前で、あずさは立ち上がる。


「私、気持ち悪いから帰る」


 それだけ言って、彼女は顔を伏せたまま早足で部屋を出ていった。


 直がそれを呼び止めようと立ち上がりかけ、戸惑いながら長瀬を見る。


 長瀬は何も言わず、険しい顔のままあずさを見送っていた。


 やがて玄関で引き戸が閉まる音が上がった後、直が恐る恐る長瀬に尋ねる。


「……と、止めなくて、よかったんですか?」


 長瀬は直をじろりと見、眉間の皺を深くした。


「今の私じゃ、何を言っても彼女を追い詰めます」


 そんな事も分からないのか、とでも言うような威圧感に、直は縮こまり、小さな声で「すみません……」と言うしかなかった。


 と、その時、底抜けに明るい電子音が居間で上がった。


 直は不意打ちのようなその音にすくみ上るが、音の様子に気付き、次第に怪訝な顔になる。


 長瀬のポケットから上がる電子音はアップテンポなリズムを思わせる、軽快なものなのだ。


 先ほどまでの空気と比べれば、場違い極まりない。


 長瀬の表情に、険しさとは異なるものが浮かんだ。


 直にはそれが、疲労のように見えた。


 長瀬は気乗りしないのか、鈍い動きで自分の携帯を取り出すと、メロディーを遮るように通話ボタンを押した。


 その後、ゆっくりと無事な左耳に携帯を当てる。


「……はい」


『ハーイ、ミス・ナガーセ!げんきー?』


 底抜けに明るい男の声が、携帯電話の中から上がった。


 直はその声に耳を疑う。


 初めて聞いた声ではない。


 豹転に関わるハウルフォンからの電子音声に、そっくりな声なのだ。


 長瀬はというと受話器を耳から離して、頭に響く高音に眉をしかめた。


 その後彼女は、しぶしぶといった様子で再び携帯を左耳に当てる。


「……どうかしたんですか?」


『どしたもワッツもないよ、何でそんなにつれないの?セガールはね、今日も君が心配で三時間しか眠れなかったんだ!分かる?夜に三時間、昼に三時間、合わせてシックス!もうこれ健康だな、ハッハッハ!』


 底抜けに陽気な声で、中身のない言葉が上がる。


 高笑いを上げる携帯に直が呆然とし、長瀬はそんな彼の前で電話を切る事なく、声へ応対した。


「三分で願います」


『ワァオ、簡潔ぅ!結論から言っちゃう系!?まるでセガールに、無駄な話が多いみたいじゃないか!』


「セガール?」


 直が思わずその名を呟く。


 長瀬は直を見て、疲れた顔のまま唇の前で指を一本立ててみせた。


 直はその意図を理解し、黙って頷く。


『まあいいさ、セガールは寛容にして包容力満点、愛されて年齢イコール彼女いない歴。そう、孤高にして頂ーぉ点。誰もがセガールに微笑みという花を差し出さずにはいられない、好かれん坊将軍。今日も、君には笑ってほしい』


「冷笑ってご存知ですか?」


『アイノーウ。夏には欲しいよね、アレ。単品で売ってくんないかなー』


 全く頭を使ってないような反応がぽんぽんと出てくるその電話に、直は理解が追い付かず首を捻る他なかった。


 それに応対する長瀬は、表情こそ浮かないものの、慣れた対応だった。


「それより、何の御用ですか?何か、話したい事があるのでしょう」


『バレた?ほら、最近作ったテレフォーン型変身ツール、えーと何だっけ、ああそうそうハウルフォン、今だから言うけどさーあ、そいつにちょいと仕掛けをしたん、だー。ニュービーなハウルにしか効果が出ないと思うけどー、出た、見た、気付いた?サプラーイズ?』


 一拍の間。


 否。もっと長かった。


 長瀬の口元がみるみる引きつり、震える声でゆっくりと言葉が紡ぎ出された。


「……やっぱり、あんたか。この、道楽者!」


 最後の言葉は怒声だった。


 直もまた、驚くのを通り越して、口元を引きつらせるしか反応の仕様がなかった。


 男の言葉に、心当たりがあったからだ。


 今しがた聞いた事が真実なら、直が豹転した姿がヒーロー然としたものになったのは、全てこの男の仕業になる。


 電話の主は二人の反応から起こった出来事を察したのか、たった一言こう返した。


『やったぜ』


「してやったりみたいに言わないでください!訳が分かりませんでしたよ!」


『サプラーイズ!』


「いらん!何でもそう言えば許されると思ってるんですか!?」


 肩で息をしながら更に何か言おうとする長瀬だったが、それで何かが変わるわけでもないと思ったのか、気分を切り変えるように深く息を吸い、吐きだした後、冷静に話を締めくくった。


「……次からはちゃんと言ってください。現場が混乱します」


『オウ、ソーリー。説明書にも書かなかったのはセガールもちょい反省。ただし、直感的な操作ができるようにはこだわったユーザーフレンドリーな一品、手を抜いた仕上がりではない事は断言しましょう。そう、セガールは職人気質。気難しいけど優しい子なの』


「誰のお母さんですかあなたは。……ああもう、どっと疲れました。今日の事は報告書に上げておきますから、後で確認しておいてください」


『マジか超ぉ楽しみなんだけどー。そうだ、もしかして良ちゃんのグランドサンいる?だったら一回挨拶を……』


「あなたの相手なんて、慣れない人には拷問です」


『君結構言うね。オケーイ、楽しみにしとくよ。んじゃねー』


 返事を聞くと、長瀬はすぐに通話を切った。


 画面を確認した後、疲れたように再び深く、長く息を吐く。


 彼女を心配するように、直は恐る恐る声をかけた。


「……何というか、強烈な人、でしたね」


 長瀬はすぐには答えなかったが、軽く首を縦に振ってみせた。


「優秀な協力者なのですがね。ハウルフォンもブレスも、さっきの方が製作したものです」


「あ、じゃあさっきのがあのセガールさんなんですね」


 直がそう言った瞬間、長瀬が耳を疑うようにわずかに眉根をひそめた。


「……知ってるんですか?」


「え?いや、あの……、以前頂いた資料に製作者の名前が書いてあったんです。なぜか印刷していた名前が全部マジックで消されてて、その下に『セガール』って手書きで書いてましたけど」


 長瀬もそれには覚えがあった。


 長瀬が作った資料の中には、セガールを自称する男の本名を入れた部分がいくつもある。


 内容の確認をもらうために男に資料を送った所、ご丁寧に男の名前が全て消され、直が言った通りの修正が加えて返されたのだ。


 長瀬は渡した資料がちゃんと読まれていたことに感心し、多少機嫌を直した。


「……今後あの人と話す機会はあると思います。悪い人ではありませんので、今のうちに慣れていただければ幸いです」


「わ、分かりました……」


 返事をした直は、ふと気づく。


 男と話し終えた後の長瀬には、先ほどまでの険しい様子は見られず、すっかり鳴りを潜めていた。


 直からすれば、彼女がここまで誰かに振り回され、感情を露わにしたのも初めて見るものだった。


 もしあのまま二人で黙っていたとしたら、こうはならなかっただろう。


 もしかしたら、セガールという男は、長瀬を気遣って電話をかけたのかもしれない。


 そう考えると、直はセガールに感心と、尊敬の念とを抱いた。


 その矢先、直は気付く。


 気遣わなければならない相手が、まだいる。


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