第13話 まぶしい子
髑髏の怪物と鬼とが明るいドーナツ屋の中で暴れ回る。
怪物は丸太のように太い腕で鬼へ殴りかかるが、鬼は怪物の頭や腕を踏み付け、空中へと高く跳び上がって距離を取る。
鬼は振り回される腕を器用に空中で捌きつつ、直へと目をやる。
「なっち、早く!」
その声で、直は慌ててハウルフォンを手に取った。
怪物、バーミッシュは実在していた。
ならば他にも聞く事がある。聞く相手がいる。
直は電話帳アプリを押し、目当ての人物の名前を探しあてた。
幸いなことに、すぐに電話は取られた。
『はい、長瀬です』
「長瀬さん、月島です!あの、孫の方の!」
『はい。どうされました?』
長瀬の声は落ち着き払ったもので、直は幾分か冷静さを取り戻す。
「えと、その、何から話したらいいのか……ひゃ!」
正面から飛んできた椅子を慌ててしゃがんで避けながらも、直は怪物達の争いから目を逸らさなかった。彼の後ろで、壁に激突した椅子が音を立てて砕ける。
『……交戦中ですか』
「は、はい!あずささんが、バ、ババ……」
「バーミッシュですね。で、どちらに?」
『空坂駅のミスドです!』
オックスバーミッシュが空中から鬼に額を蹴り飛ばされ、背中からアクリルの壁に激突した。
これまで乱闘の衝撃に耐え続けていた壁についにヒビが入り、大きくしなる。
禁煙席の外側で、観衆から一際大きな悲鳴が上がった。
『……また派手にやってますね』
彼女の声色には落胆の色が濃く表れていた。
受話器の向こうのため息を聞き取り、直は恐る恐るその理由をうかがった。
「あの、どうかしたんですか?」
『……それを語る前に、彼女について説明すべきですね』
ヴィオキンが再び宙に跳び上がってオックスを蹴りつけた。
すぐさまオックスが振るった拳を、両手で叩くようにして空中でいなし、床や柱を蹴って再び接近し、攻撃。
直の見ている間それは何度も繰り返されていた。
これまでヴィオキンは立っている時間より、宙を浮いている時間の方が長い。
『彼女はヴィオキン。感情が高ぶればそれだけで鬼のような姿と高い身体能力を得る、好戦的なストレンジャーの血を引いてます』
「ハッハァ!」
オックスから突き出される拳を避けて、高笑いを上げるあずさ、もとい、ヴィオキンが宙で一回転し、怪物の眉間にかかとを叩きこんだ。
鈍い音を立てて骨の表面が軋み、頭蓋の表面にヒビが走る。
「ガフッ……」
息を詰まらせるオックスバーミッシュ。
ヴィオキンの口元が、歓喜に歪んだ。
『好戦的なのはいいんです。人類に友好的でさえあれば、それは私達にとってありがたい事なんですが……』
「ィイィ、シャア!」
踵を打ち込んだ足が引かれ、空いたもう片方の足先が、矢のように放たれた。
その蹴りでオックスの頭蓋に穴が空き、乾いた音が上がった。
ヴィオキンは全身のばねを使って脚を引き抜き、宙を独楽のように回りながら、軽やかに着地を決めた。
オックスバーミッシュは彼女と距離を詰めようとはしなかった。
身を戦慄かせ、額の傷を押さえて背を丸める。
頭蓋の傷。
それはバーミッシュという怪物にとって、大きな意味を持っていた。
太い指を持つオックスの手の下で、額にできた穴からヒビが際限なく伸びていき、頭蓋全体を覆っていく。ぱき、ぱきと乾いた音が何度も上がり、重なっていく。
「ア、アァアア……ア!」
喉の奥からふり絞るような悲鳴。
それがオックスバーミッシュの断末魔だった。
ぱきぃ、ん……
ガラスのグラスが割れるような音を立てて牛の頭蓋骨は粉々に砕け散り、怪物は首を失う。
直後、その肉体が急速に色を失い、頭を追うように砕けた。
落としたガラス細工が粉々になるような様に、直は息を呑む。
後には何も残らなかった。
残ったのは荒れ果てた店内と、その中心で膝を付く赤鬼。
やがて赤鬼の全身があちこちで渦を巻き、水面に浮かんだ油のように色や質感を変えて、赤鬼は城戸あずさへと戻った。
彼女は指を組んで両手を上げ、うんと伸びをした。
「んんー、と。これでオッケイ。なっち、報告よろしくー」
振り返ったあずさの顔は実に晴れやかだった。
直の手からリボンを取ると、それをポケットにしまう。
一方の直は目の前で繰り広げられた光景の変化についていけなくなり、呆然としたままになっていた。
受話器の向こうから響く長瀬の言葉も、いつしか耳から耳へ通り抜けていた。
『……という訳です。……聞いてますか?』
「オウ、もうしてたか。んじゃ失礼」
あずさは動かない直からハウルフォンを取り上げ、電話に出た。
「ナガさん、今終わったよー」
『いいところで出ましたね。辺りの被害は?』
「ぅえ!?あー……」
途端にあずさの表情が引きつった。
いたずらがばれた子供のような顔をしながら、店内の惨状を見渡す。
木目の床は踏み抜かれ、ささくれた穴がいくつもある。
曲がった柱、ひびが入って白んだアクリルの壁。
床には倒れた机や椅子の破片がいくつも転がっていた。
怪物だったものの名残は一切が消え失せており、そのせいで人為的な破壊の跡という印象が一層強くなっていた。
禁煙席のスペースには直とあずさ以外は誰もおらず、逃げ出した人々や集まった野次馬がアクリルの壁の向こうで珍しそうに何人も覗き込んでいた。
携帯電話やデジカメで撮っている者も多い。
「やっば」
あずさは咄嗟に観衆に背を向け、直の頭に手を乗せて下に押さえつけた。
訳が分からず押されるままに膝を付く直。
あずさは自分と直の顔を隠すように膝立ちになると、再び電話に答えた。
「……被害、甚大?あと超見られてる」
『だと思いました』
長瀬のため息を聞きつけたあずさが眉根を寄せた。
「む。そりゃ後が大変になるのは分かるけどさ。連れ出す間もなかったんだよ?」
『あなたの事ですから『あんたバーミッシュだろ』ってすぐに言ったのでしょ?もう少しうまいやり方があるはずですよ』
「んー、まあ。でも、つい」
『それが危険というんです。……早く裏口なりトイレの窓なりから撤退してください。破壊は厳禁ですよ』
「あい」
あずさはハウルフォンを切って直に返すと、直の手を引いて洗面所の方に駆け込んだ。
洗面所に面した喫煙席の扉は店の入り口とは反対の位置にあり、逃げ辛くなるからか、扉の周りには誰もいなかった。
なので二人はすんなりと喫煙席を出られ、奥まった場所にあるトイレの扉の傍に並ぶ非常口の前まで来られた。
非常口の扉が開かれ、冷たい風が二人を迎える。
あずさは直の手を引いたまま、店の壁と隣のビルとに挟まれた狭い隙間にある非常階段へと走った。
「の、登るの!?」
「降りたら捕まるでしょ!」
先導するあずさを追って直は階段を駆け上がった。
金属製で軋む音も大きいため、足の置き方に気をつけながら彼女を追う。
直は誰かが追ってこないか不安になって後ろを見たが、誰かが来る様子はなかった。
最後の踊り場まで到達すると、彼女はそばにあった扉の前でしゃがみ込んだ。
「ここでじっとするの。下からは意外と見えてないから、周りが静かになるまで待つの」
「う、うん」
直も彼女に倣ってしゃがんだ。
二人で壁際でじっとし、耳をすませる。
表通りの喧騒は思いの他細い路地に響いていたが、二人に気付いたらしい声は全く聞こえなかった。
少しして、彼は沈黙に窮し、小声であずさに聞いてみた。
「あの、これ、いつまで待つの?」
「んー、経験則上、二時間くらいかなー。短いよ?野次馬って意外と追っかけてこないし、目立たないものにはすぐ飽きるから。警察呼ばれるのも意外と遅いし」
「……目安は?」
「ちょっと待ってたら、警察が集まるでしょ?そっからしばらく経って、野次馬が帰り出すくらいまで。そしたら、それに紛れて逃げるの。私等、大っぴらに言えない事やってるからねー。あ、もちろん、見つかりそうになったら豹転して大ジャンプだよ」
「……」
直は言葉もなかった。まるで脱走犯だ。
やり残したことがないかふと思いを巡らせ、すぐに思い出す。
「あ、志乃ちゃん……!」
直は反射的に腰を上げるが、すぐにあずさに止められた。
「志乃さんなら大丈夫だよ。逃げたの、あたし見たから」
直は引き止められたのに動揺したが、誰かに見つかるのもまずいと思い、すぐに屈み直した。
志乃が無事だと聞かされて、安心できたのも理由にある。
待つ以外にする事がなくなり、直は何気なくポケットの中を探った。
ちょうどハウルフォンがあったので思い出したように点け、着信履歴を開いた。
下の段には同じ苗字が並んでいたが、一番上には長瀬と、次にあずさの名前があった。
「……城戸さん、電話切った時、通話時間見た?」
「はえ?あ、そうか。なっちには大事だっけね、それ。んーと、三分ちょっと?」
「そう。……あれだけ、かかるのか」
改めて、直は三分という時間の長さを思い知らされた。
長瀬に聞かされた話は、すべて本当だった。
直はそれを思い知り、だからこそ苦悩していた。
彼も祖父やあずさのように、姿を変える事ができるとも聞かされていた。
それが本当なら、彼はあの時あずさに加勢していなければならない。
そのためにはハウルフォンにかけられたプロテクトを解かなくてはならない。
そのプロテクトを解く条件は、一つだけ。
ハウルフォンで三分以上話す事だ。
あずさの事後報告込みでようやく三分なら、今後どんな話で間を持たせればよいのか。
加えて、話し終えて姿を変えたら、次は怪物と戦わなくてはならなくなる。
異様で強大な、髑髏の怪物とだ。
「……ねぇ」
小声で尋ねる直。
「どうしたの?」
「なんで君は、あんなのと戦えるの?」
その質問に、あずさは最初きょとんとした。
その後、ふふ、と笑って答える。
「あんなのほっといたら、いつか友達が危なくなるじゃん」
当たり前のようにさらりと言うと、彼女は再び周囲の様子を探ろうと黙って物音に耳を傾けた。
直は言葉もなかった。
照れも恥じらいもなく、彼女はただそれだけの理由で危険に挑んでいる。
そんな、自分よりも年下の少女が、直にはまぶしいとすら思えた。
同時に、自分がひどくみじめに思えてきた。
とても彼女と同じ言葉は言えない。
彼女の傍で居心地の悪さを感じながら、直は吹き付けてきた夜の風に身を震わせた。
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