第6話
人気の無い地下駐車場で、そのOLは自分の車へ向かっていた。
ヒールの音がコツ、コツとコンクリートに囲まれた空間に大きく響く。
細く小さな銀の腕時計に目を落とし、彼女は歩みを速める。
そこで自分の足音に重なる別の足音に気付き、彼女は顔を上げた。
近づいてきたのは、白いスーツを着た若い男だった。
色が色なので芸人かとも思えたが、顔を見て彼女は自分の憶測を改めた。整った顔立ちは美しく、女性と見まがうようなものだったのだ。
その男は彼女の前で、足を止めた。
思わず彼女も足を止める。
「お美しいお嬢さん、よろしいですか?」
彼女を見て、その美男子は薄く笑った。
OLは男の表情をうかがう。
「何でしょうか?」
ナンパだろうか?
まんざらでもない気分で彼女は次の言葉を待つ。
「お耳を貸していただけないでしょうか?」
彼女は少し遠い距離から言われたその言葉に違和感を抱いたが、言われた通りに右の耳を男に向ける。
近づいて何かを囁かれるのかと思っていた彼女だったが、次に起こった出来事は彼女の予想の範疇外だった。
耳に一瞬、火傷のような痛みを感じた。
思わずそこを押さえて、彼女は気付いた。
耳殻に触れるはずの手が、何の異物感もなく、なだらかな頭の横を撫でている。
男を見ると、男はそれまで持っていなかったものを摘んで、彼女に向かって微笑みかけた。
「ありがとう。ちょうど耳が、崩れてしまっていたんだ」
そう言った男の足元に、何かが落ちた。
女は真っ白になった頭のまま、それを見る。
そこにあったのは、いびつな形をした、くすんだ色の肉の固まり。
男がつまんでいたのは、それよりは発色の良い、ほぼ同じ形のものだった。
男が手を軽く振り、平たい肌色のそれを揺らす。
それが何かに気付いた瞬間、彼女は上ずった声を上げた。
無理も無い。それは彼女の耳だったのだ。
気付いた瞬間、ぬたりという、血の感触が彼女の心を慄かせた。
彼女の目の前で、男の顔からまた肉片が落ちた。
男は剥き出しになった歯茎を隠そうともせず、微笑を浮かべたまま続ける。
「おやおや困ったなぁ。……では、唇をもらえませんか?」
表情だけならそれは穏やかなものだっただろう。
だが、顔の下半分がただれ落ち、鼻も傾き、歯根までが露になった男の顔は、もはや恐怖を煽るものでしかなかった。
「ひ、ひぃいぃっ!」
耳の傷も構わず、女は脱兎の勢いで来た道を戻ろうとした。
すでに男が回りこんでいた。
自分を間近で見下ろしてくる男を見て、女は腰を抜かした。
男は右手を自分の頭に近づけ、摘んでいた女の耳を、自分の耳のあった位置に押し付けている。
合わせ目からはぷつぷつと、小さな赤い泡がいくつも湧いていた。
やがて男が手を離すと、女のものだった耳は男の頭に貼りつき、赤い泡が失せた。
女の耳だったものは、今や男の耳になった。
男がゆっくりと右手を持ち上げる。
その指が騙し絵のように細く、長く伸び、白く変わる。
指の一本一本が、鋭利な刃物のように尖った。
「ああもう面倒くさい……全部ください」
ぴっ
男が軽くその手を振った。
伸びた人差し指が女の顎に触れ、額のすぐ上までを淀みなく通り抜ける。
何かが宙を舞い上がり、数秒経って、糸が切れたように女は仰向けに倒れた。
その顔は真っ赤で、そして真っ平らだった。
男は飛んできたもの、つまりは切り取った女の顔を刃のままの右手で受け止め、その表面を左手の指で器用に剥がす。
女の顔の皮を剥がした後、残りを放り捨て、顔の皮を自分の顔に押し付けた。
男はしばらくそのまま動かなくなる。
少し経った頃、男は顔を上げた。
離れた両手の下からは、先ほどのOLの顔があった。
しかし、次に浮かべた表情と声は彼女のものではない。
「ふうぅ。やっぱり女の顔が一番だね」
OLの顔となった男は、上機嫌にそう言うと、軽い足取りで地下駐車場を後にした。
皮を剥がされた真っ赤な髑髏が、虚ろな目でじっと蛍光灯の明りを見つめ続けていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます