第7話 来訪者の子孫

[都市伝説:街中に赤鬼現る!?女子高生の制服姿で走る影!!]


 城戸あずさはスマートフォンでネットニュースの記事を見ながら、呑気そうにあくびを噛み殺した。


宿題に追われ夜遅くまで起きていたせいで眠気が抜けない。


「ふぁー、はあ。えーと、良爺ん家は……ここか」


 聞いていた通りの外観の家の前で足を止めると、彼女はスマートフォンをしまい、インターホンを押した。


少し経った頃に足音が上がり、玄関が開く。


そこから出てきた老人を見て、彼女は気安く声をかけた。


「おいっす」


「おお、あっちゃん。良く来たねぇ。ささ、上がんなさい」


「それじゃ、お構いなく。お孫さんは?」


「来てるよ。よろしく頼む」


「へいさ」


 靴を脱ぎ、あっちゃんと呼ばれたあずさは老人の家へと上がった。


 老人、月島良蔵よりも先に居間に上がりこむと、そこにいる見知った女性、長瀬静流に「ども」と声をかけた。


「城戸さん、遅刻ですよ」


「ごめんごめん。ちょっと前に、白い子見かけた気がしてさ」


 長瀬の表情が、途端に厳しくなる。


「……『少女』ですか?」


「多分。あの子匂いがしないから、どうしても目で追わないといけないんだよね。ただの見間違えかもしれないし」


「……そうですか。お疲れ様です」


「次はきっと大丈夫―――っと」


 そこであずさは、長瀬の対面に座っている人物に気付いた。


 スーツを着た若い男が一人、訳が分からないといった様子できょとんと目を丸くしていた。二十を少し過ぎているのだろうが、その割には頼りなく見える。


 どこかで覚えがある、と思った直後、すぐに思い出す。


 男も、あずさを見る目を丸くして「ああ!」と声を上げた。


「先週の喫茶店の子!」


「やっぱりあの時の。知ってる匂いがしたと思った」


 互いが知己であると分かり、初対面の相手に感じる意識の壁とでもいうべきものが一気に吹き飛ぶ。


 その次に浮かぶのは、相手への疑問だった。


「で、お兄さんなんでここにいるの?」


「え?ええと、ここ僕のじいちゃんの家……」


「じいちゃん、って……」


 あずさの目が、下座にいる良蔵に向く。


 そしてすん、すんと鼻を鳴らす。


「あ、匂いそっくりだ。でも……、ふむ」


 あずさは良蔵と青年とを見比べ、想像を凝らす。


 青年を想像の中で老けさせ、活力に満ちた表情をさせてやると良蔵に似ている事に彼女は気付いた。


「なるほど、一箇所だけ似てないや。聞いた通りだ」


「同感です」


 あずさの台詞に長瀬が同調する。


 一人置き去りで話を進められた男、直は首を傾げて恐る恐る聞いた。


「……あの、何と?」


「「しょぼくれた顔が良く似合う」」


 異口同音に真っ向から言われ、直はそのショックを露骨に表した。


 眉間に眉を寄せた、落ち込んだ表情を見て二人は顔を見合わせた。


「納得」


 あずさがそう漏らした後、長瀬が改めて直に向き直った。


「……失礼しました。すでにお知り合いのようですね。なら話は早いです」


 長瀬は、直の隣に座ったあずさを平手で指し示す。


「この子は城戸あずさ。今後は、基本的に彼女と協力して活動してもらいます」


「……あの、その前にいいですか?」


 直が話しの切れ目を狙って口を挟んだ。


「何でしょうか?」


「……その、全然話が見えないんですけど」


 そう言われて長瀬が少しだけ黙り込む。


 少しして、彼女はあらかじめ用意していた書類の束を机の上に出した。


 直がダブルクリップで留められたそれに目を落とすと、その表紙には「ストレンジャーズ・チルドレンについて」とのみ書かれていた。


「……ストリートチルドレン?」


「ストレンジャー、です。異邦人や来訪者を意味します」


 単語の意味は分かるが、何を指してそう言っているのかが直には分からなかった。


「あの、読んでも……?」


「どうぞ」


 長瀬の許可を得ると、直は紙の束を手に取り、その表紙をめくった。


 その途端、童話のような書き出しと、その内容を表すようにクレヨンで描かれたような挿絵が直の目に飛び込んできた。




[むかしむかし、ここではないどこか。たくさんのせかいが、だれの目にも見えないばしょにありました。いろんなせかいにすむいろんな人たちは、ちがうせかいの人たちとであうことがありません。だからみんな、じぶんたちのせかいで、じぶんたちのせいかつをのんびりとすごしていました]




 青い夜に似た背景の中で、文面の言うたくさんの世界を表すようにシャボン玉のような円がいくつも描かれ、その一つ一つに様々な風景が描かれている。


 直は一瞬目を疑い、その後、正気を疑うように長瀬を見る。


「……続きがあります」


 答える長瀬に、照れや恥じらいはない。


 直は首を捻りながら紙面を再び見下ろし、次のページをめくった。




[ある日、一つのせかいで、女の子が生まれました。白いふくをきた、ながいかみの女の子。女の子はふしぎなちからをもっていて、たくさんのせかいを行き来できるのです]




 シャボン玉の一つに、その少女の姿が描かれている。


 説明通りの姿をしたその少女は、絵本のような絵柄の中で唯一コミック調に描かれており、それが一際異質なものである事を強調しているようだった。




[女の子はいろんなせかいへいって、いろんな人たちに、こんなことをいいました。『わたしといっしょに、すてきなせかいへいってみない?あなたのほしがる、すてきなものがたくさんあるの』。いろんなせかいの、いろんな人が、そんなことばをしんじてかのじょについていきました]




 次のページには、いろんな人たち、と書かれた者の一人と思わしき人影に、少女が含みのある顔で声をかけている絵があった。


 少女はまるで、昔話に出てくる、甘い言葉で相手をだます狐かウサギのように描かれている。




[女の子はある一つのせかいに、たくさんのいろんな人たちをつれていきました。そのせかいには、いろんな人たちのしらない、たくさんのいろんなものがあったのです。いろんな人たちはよろこんで、そのせかいへいってしまいました]




 何人もの人影が、喜んでいると思わしき様子で、夜の街を思わせる背景の中ではしゃいでいる絵が現れた。


 少女は目立たぬ位置に立ち、彼等の様子をにこやかに見つめている。




[やがて、いろんな人たちの中から、いろんなはんのうがあらわれました。女の子につれてこられたせかいにまんぞくする人もいれば、まだたりないという人もいましたし、中には、もうじぶんのせかいにかえりたい、という人もいました]




 次の絵では、それまで影のような青で描かれていた人影達が異なる色で塗り分けられていた。


 満足しているらしく座っているものは黄色いが、まだ足りないとどこかへ走っている人影は赤、もう帰りたいと思っているらしきおろおろしている人影は水色といった具合だ。


 彼等を見る少女の顔は、それまでと同様で、にこやかで曇りがない。


 直はここまで読んで、山場の分からない話だなと首を捻り、次のページをめくりにかかった。


 その途端、ページの端に見えた色にぎょっとする。


 余白が、赤と黒の不穏なまだら模様で埋まっているのだ。


 恐ろしい内容の予感に、彼は恐る恐るそのページをめくった。


 先のページと構造はほとんど変わらない。


 しかし背景の波打つようなおぞましい色彩と、少女の浮かべる酷薄な笑みがその言わんとする内容の恐ろしさを引き立てた。




「……ですが、女の子はもういろんな人たちをかえそうとはしませんでした。女の子はさいしょから、たった一つのせかいにいろんな人たちをとじこめるのがもくてきだったのです」




 直は続く恐怖を警戒し、ゆっくりと次をめくる。


 しかし、次のページはほぼ真っ白だった。




[いろんな人たちは、さいごまでじぶんのせかいにはかえれませんでした。それからどんな人生をおくったか、それは人それぞれです。さいしょからそのせかいにすんでいた人たちとうまくつきあえた人もいれば、かいぶつあつかいされた人もいます。ひょっとしたら、むかしばなしにでてくるおにやかいぶつも、そんな人たちかもしれませんね。きみのとおい、とおいごせんぞさまも、ひょっとしたら……?]




 物語の最後をしめくくるように、挿絵のある場所には[おしまい]の文字だけが大きく書かれていた。


 残りのページはまだまだあったが、内容が一区切りついた事で、直は長瀬へと視線を戻した。


 悪趣味なおとぎ話に、素直な疑問をぶつける。


「……何ですか、これ?」


「誰にでも分かるように書いた、ストレンジャーズ・チルドレンの説明です」


 長瀬の隣で、あずさが口を開く。


「これすっごく分かりやすかったの。あたしはこれで色々覚えられたんだー」


「苦労した甲斐があります」


 あずさの弾んだ声に長瀬が冷めた口調で返す。


 直にはますます理解が困難になっていた。


「……あの、SF作家さん、なんですか?」


「いいえ。絵本作家でもありません」


「じゃなかったら、まるでこれが事実みたいな話になると思うんですが」


「ええ。そうです」


 長瀬の態度は揺らがない。


 直の彼女を見る目がどんどん胡乱なものに向けるそれへと変わっていった。


 直がちらりとあずさの方を見ると、彼女は黙ったままにこにこと機嫌よく直を見ているだけで、長瀬をなだめたり言葉を訂正したりする様子はない。


「……もしかして、さっきお二人が言ってた白い子っていうのが」


「はい、その少女です」


 直はそう言われ、前のページに戻って絵の中の少女に目を落とした。


 少女はコミック調の、妙に洗練された画力で描かれているため、拙さの残る他の絵の中で一際浮いている。そのため、かえって現実感のない存在のように見えた。


 そもそも、内容自体が突飛に過ぎる。


 改めて絵本部分を頭からさっと読み返し、直はその顔に渋面を浮かべる。


「……この話を、事実だって言うんですか?」


「ええ、そうです。白い少女も、他の世界の住人も、私達の身近に確かに存在するのです」


 直は宗教の勧誘を聞いているような気分だった。


 どうしても信じられず、隣にいる良蔵を見る。


「じいちゃん、あの……」


 声をかけようとして、その言葉が途中で消える。


 自分の見たものが信じられず、良蔵の顔を探してわずかに上を見やる。


 目が合った。


 が、直の見た顔は彼の良く知る祖父のものではなかった。


 顔どころか頭頂、首筋から全身に至るまでもが長い銀色の毛で覆われており、その体躯は膨れ上がったかのように大きい。


 薄く黒い唇の隙間から並ぶ牙、前に突き出た濡れた鼻。


 頭の上に生えた、尖った耳。


 そして、むっと香る、獣のにおい。


 どの特徴を拾っても、犬か狼のものだ。


 見慣れぬ獣の存在に目を疑い、そして、まさかと思って声をかける。


「……じ、じい、ちゃん?」


 直の声に、その獣は鼻先を彼に向け、牙の並ぶ口を開く。


「……本当なんだよ。直君」


 獣の喉から上がるのは、まぎれもなく良蔵の声だった。


 直は喉の奥から上がりかけた、動揺とも悲鳴とも取れるものをかろうじて飲み込んだ。


 良蔵は狼同然となった顔で孫を見下ろし、告げる。


「俺達は別の世界から白い少女によってここに来た、来訪者の子孫。意味する通り、ストレンジャーズ・チルドレンって事だ」


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