第6話 ようやく会えましたね

 あれからまた数日たちましたが、相変わらず庭に彼は現れません。


 私はというと、アルバイトを始めました。大学から少し離れた大きな通り沿いにある飲食店のホールスタッフになりました。面接なんて初めてだったので、だいぶ緊張しました。授業にも慣れてきたので、もうそろそろ遊ぶためのお金が欲しいのです。

 そういえば、サークルは友だちに誘われてボランティアサークルに入りました。ボランティアとは言いますが、よくあるゴミ拾いや地域のイベントのお手伝いなどのものではなく、動物愛護サークルです。主に譲渡会のお手伝いをするそうですが、大学の場所が場所なのもあって月一、二回ほどしか活動していないそうです。活動日もあまりないうえに、飲み会も想像していたよりもずっと少ないものでした。先輩もいい人が多そうですし、長く続けられると嬉しいですね。


 そういえば、アルバイトから家に帰るときはあのアパートの近くを通って帰ることになります。決して狙っていたわけではなく、たまたまなのですが。通るときには必ずあの部屋をちらと視界に入れてしまいます。



 金曜日のアルバイトは夜のシフトに入っています。この時間帯は結構忙しいのですが、ちょっと面倒な人がこのシフトに入ることは絶対にないので気持ちはかなり楽です。面倒な人、というのは数年前からここで働いている中年女性なのですが、何かにつけて「最近の大学生は大変ね」という言葉から始まる自慢話が止まらなくなるのです。ここ数年で新しく来た店長よりも長くここにいるらしく、なかなか強く注意できないようです。

 夜のシフトに入ると家に帰るのが二十二時過ぎになります。それなりに街灯はあるのですが、東京のように家が密集しているという訳ではなく、あまり安心感はありません。私はいつも少し早足で帰っています。


 あのアパートの前を通るときだけ少しだけ歩調を緩めます。今日も誰かが口論しているような声が聞こえるのですが、前とは違って男性と女性のようです。あの部屋にはまさか男性二人と女性とで暮らしているのでしょうか。いったいどんな関係なのでしょう。少し気にはなってしまいますが、あの男性が来なくなってから私の彼らへの関心も徐々に小さくなってきていて、声が聞こえなくなるころには頭の中は別のことに塗り替わっていました。


 家につきお風呂を沸かした後、いつものように家の裏を確認しに行きました。一人暮らしのお風呂はすこしもったいない気がするのですが、夜のシフトから帰ってきたときはたいていお風呂に入ることにしています。やはりお風呂に入らないでシャワーで済ませるより、お風呂に入ったほうが疲れが取れる気がするのです。


 家の裏に見知らぬもの影がありました。あの物置の裏あたりに人がもたれかかっているように見えます。

 私は部屋の電気をつけ、スマホを片手にその人影に近づいていきました。さっきまでうるさった心臓の音が急に遠くなり、すべてのものごとを真上から見ているかのような、不思議な感覚でした。


 あの男性です。どこかが痛むようで、私の方に一瞬目をやったもののすぐにまた眉間にしわを寄せ目を瞑ってしまいます。

 私は彼に救急車を呼ぶかどうかを尋ねました。パニックにならずによくそう言葉をかけられたものだな、と少しばかり自分に感心してしまいます。

 しかし彼からは予想外の言葉が返ってきました。呼ばないでくれというのです。どう考えても病院に行くしかないのに、彼は気でもおかしいのでしょうか。


 私はとっさに彼を引き摺るようにして家の中に連れ込みました。彼の言葉を無視して救急車を呼ぶのが正解だとは分かっていましたが、私のどこかにあった隠れた欲求がそうさせてしまったのです。そういえば、されるがにままに引き摺られていた彼は何を考えていたのでしょうか。

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