第3話 賃金が上がらない

 日本では、暫くサラリーマンの給料が上がっていない。

 元々基本給は、一般的には賃金カーブというものに従って年々昇給する。

 このカーブの上昇率(勾配)は、年代によって変化する。例えば二十代は緩やかで、三十代は次第にカーブが立ち上がり、四十代にピークを向かえてから上昇率が下がり始める、といった具合だ。勿論、カーブの勾配が急であるほど、翌年の給料は多く上がる。

 賃金カーブは、年齢給と職能給の二つで構成されるのが普通だ。

 つまり一つは、年齢によって年齢相応の賃金がいくらになるのか、そのカーブを見れば分かる様になっている。このカーブは、通常五十代のどこかでフラットになる。

 どこかでフラットになるということは、歳を重ねるだけで給料は上がらない仕組みになっているという事だ。

 職能給は、役職や実績に応じた等級毎に、カーブが決まっている。勿論等級が上がるほど賃金水準が高く、またカーブの勾配が急になる。

 よって年齢給が飽和しかかっても、等級が上がればその分の給与が上がる。逆に等級が上がらなければ、五十代に入ってからの昇給は絶望的となる。

 そうならば、少なくとも上昇率がフラットになるまでは、カーブに従って給料が上がるではないかと思われるかもしれない。

 それはその通りである。

 ではなぜ、サラリーマンの給料が上がらないと言われるか。ぞの理由は、ここ十八年余り、毎年のベアがほぼゼロに近いからである。

 賃上げ交渉(春闘)の時期になると、新聞やニュースで取り上げられる賃上げ額が、このベアというものだ。

 前述したカーブ上で決まっている賃上げは、春闘で闘わなくても既に保証されている。

 ベアとはつまり、このカーブ全体を、どの程度上に持ち上げるかというものである。カーブ全体が持ち上がれば、元々カーブ上にあった上昇分+カーブが持ち上がった分(ベア)が、実際の賃上げ額となる。

 カーブ全体がどの程度持ち上がったかを手っ取り早く見る指標は、初任給だ。つまり、カーブの始まるスタートの値が、カーブ全体の持ち上がり金額を象徴的に表している。敢えてややこしい表現をするのは、必ずしもカーブ全体が、平行移動するわけではないからだが、ほぼ全体が初任給アップ分持ち上がると考えてもらってもよい。

 この初任給推移をざっくりと紹介すると、以下のようになる。(大卒初任給)


1968年   30600円

1973年   62300円

1978年  105500円

1983年  133200円

1988年  153100円

1993年  190300円

1998年  195500円

2003年  201300円

2008年  201300円

2012年  201800円

2020年 約210000円


 ベアは2019年でやや上向き、2020年でようやく初任給が約210000円となっている。

 しかし俯瞰的に見れば、1968年頃の五年間は倍で推移していたものが、次第にベアの伸び率が縮小し、1993年以降は微増傾向となっている。

 この傾向は、バブル景気と呼ばれた好景気感が一気にしぼんだ時期とシンクロしているが、それから十八年間、日本の初任給はほとんど上がっていない。厳密には、下がった年もある。

 つまりこの間、賃金カーブ全体はほとんど上昇せず、カーブ上昇率が緩やかになった世代、あるいはフラットになった世代は、何年も賃金アップがないに等しい状況に置かれたという事だ。

 これが、日本の賃金は暫く上がっていないと言われる所以である。

 ここで、賃金が上がらない事の是非は論じないが、賃金がどんどん上がる時期に住宅ローンを組みマイホームを購入した世代は、気付けば給与に占めるローン返済額が軽減する一方だったのに対し、賃金上昇がなくなった時期に住宅ローンなどを組んだ人たちは、いつまでもローン返済の負担感が変わらないという違いがある。

 給料が五倍になれば、借金の返済も五倍になるわけではないのだから、返済は楽になるはずだ。

 かつては物価の上昇率も大きかったのかもしれないが、所得の中で大きな割合を占める住宅ローンの負担感が減る事は、その世代の人に大きなゆとり感をもたらしたのではないだろうか。しかも、購入した物件の資産価値が上昇すれば、それを売り払い、そこから借金返済をしても、多額の現金が手元に残るというケースが多々あったと思われる。

 物価が上昇し、それに合わせて賃金が上がるというのは、急激過ぎるインフレを除けば、直接的には見えにくいこうした経済効果がある。

 ゆとりが出れば消費に繋がり、それがまた経済効果を生むという好循環を生じさせるのだ。

 経済循環の件はこれだけでは語り切れないが、この二十年近く、日本経済はこうした好環境とは逆の状況に置かれ、悪循環を生んだ。

 給与が上がらず、雇用環境は不安定になり、生活が楽にならず、できるだけ消費を避ける。

 例えば子供を多く作らない、または全く作らない、それ以前に結婚をしない、大きな買い物はしない等々だ。

 いくら金利を下げ、貯金をしても無駄だ、金利が安いのだから借金をして車でも家でも買いなさいとあおってみたところで、金の巡りが一向に好転しなかったのが、ここ二十年の事だ。

 国内の車の販売台数は下がり、住宅ローンの契約数も低迷し続けている。住宅ローンの新規貸し出し金額は減少し、貸し出しストック量である残高も減少。銀行は、住宅ローンの貸し出し先を、中古住宅やリフォームにも拡張しようと躍起になっている。

 消費が伸びなければ経済は伸びず、賃金や雇用に悪影響を与えるという、まさに負のスパイラルの中を迷走した二十年となった。

 この期間、雇用する側の目先は、コストが高く能力が落ち、しかも扱いにくい中堅から高齢者を排除し、いつでも状況に応じて首を切れ、しかも低コストな非正規雇用へと向いてしまった。

 そもそも正規社員のコストは安くない。年功序列で賃金が上がり、加えて目立たないように社会保険料がじわりと上がっている。雇用される側は天引き額が増え可処分所得が減少するので分かりやすいが、実は社会保険料の半額を負担せねばならない雇用する側の負荷も大きくなっている。

 だからといって、日本で社員を首にするのは簡単ではない。日本のサラリーマンは、しっかり法律で守られている。給料カットは社員既得権益への不当介入であり、不利益変更とみなされ実現し難いのも、雇用する側が法律で縛られているせいだ。

 簡単に首にできず、給料も状況に応じて変更できないとくれば、おいそれと社員の給料を上げるわけにはいかないというのが、雇用する側の心理となるのは想像に難くない。

 会社が潰れてしまえば、多くの社員が路頭に迷う。一時的に景気が上向いたとしても、年々経費が増えてしまうなら、賃上げには慎重にならざるを得ないだろう。更には最近、株主配当への配慮という圧力が強まっている。一方で企業は、売れる物、儲かる物を生み出せない。まさに泣きっ面に蜂という状況だ。

 ここで、アメリカの例を比較として出してみたい。

 よく、アメリカの初任給は高いと言われる。ざっくり比較するなら、日本の大卒新人は賞与を四ヶ月とし、年間所得がおよそ三百五十万円であるが、それに対しアメリカでは、初年度が平均で五百五十万円程度と言われている。中には新人から年間所得が一千万円を超えるケースもある。

 これは、日本企業とアメリカ企業の、新人に対する期待内容の違いがもたらす結果と言えるが、アメリカ企業は、高給ながら期待に沿えない社員を簡単に首にできるため、問題にはならない。逆に期待に沿う事のできる社員は高給でも雇い続ける価値があるため、企業にとって損はないという事になる。

 このようなドラスティックな仕組みを好むか、それとも能力の有無に関わらず、みんなが平均的な給料を貰え、雇用もある程度保証される仕組みを好むかは、国民次第という事になる。選挙権がある以上、国民は選択できるのだ。

 黙って景気の好転を待っているだけならば、失われた二十年を今後も繰り返す事になるかもしれない。これまでの二十年はどうにかなったのかもしれないが、これからの二十年は、更にきついものになるだろう。

 ここで興味深い参考データがある。アメリカの賃金上昇率を所得別で見ると、所得上位五%はここ四十年で六十七%の賃金上昇、上位十%は六十ニ%も上昇しているが、中間のミディアン(五十%)の賃金上昇率は、ここ四十年で十九%しか上がっていない。

 十九%と言えど元々所得金額が低く、上位から下位を同じ軸で並べて四十年間の賃金推移を眺めると、上位層は急激に上がっているの対し、センターから下位は、グラフがほとんどフラットに見える。

 つまり所得の中間層からそれ以下は、四十年間、ほとんど賃金が上がっていないというのがアメリカの実態だ。

 ここに高所得者と中間層や低所得者層の、明らかな分断が見えてくる。

 もっとも中間層の四十年前の所得はUSD42100で、2011年がUSD50100であるから、中間層は初任給を生涯引きずっているということかもしれない。勿論その中には、上位層へステップアップした者もいるはずではある。

 トランプ前大統領は、こんなアメリカ事情につけ込み、自分の熱狂的支持者を生み出した。彼は置き去りにされた労働者階級、低所得層に光を当て、社会の中で彼らを引き上げると約束してきたのだ。

 しかしアメリカ社会は、簡単に変わらなかった。

 そもそもトランプが、本気でそんな事を考えていたかも怪しいのだけれど。

 分断を是正すると言いながら、結局彼は、国の分断を一層顕著にして、大統領の座を去った。

 そして、会社にとって付加価値を産めない者は給料を上げない、あるいは首にするという事が、アメリカでは相変わらず徹底されている。

 そのことが、期待の持てる者や実績を残せる者への高給を可能にしている。

 バブル終焉後、日本の雇用環境は大きな変化を見せてきた。加えてコロナ渦で、働き方や経済が、大きな影響を受けている。

 過保護に慣れた日本人は、そんな変化に反応している。政府の舵取りを批判し、格差社会を是正せよと叫び、生活を補助しろと言っている。

 一方で、ピンチはチャンスとばかりに、黙々と上昇志向をたぎらせる人がいる。

 コロナ環境下で我々を手厚く保護しろと叫ぶ人たちは、嵐が去った後にどうするつもりだろうか。その時こそ自助努力をすると言うなら、今それを、可能な限りすればいい。

 それができない人は、おそらく環境が好転しても変わらないだろう。いつの時代にも大きな物に巻かれながら、どこかに身を寄せ、目立たないよう怠惰に生きるのではないか。

 日本の生んだ大企業病とは、おそらくこんな感じだと思われる。それで何が起こったかは、敢えて説明する必要はないだろう。それが現状だからである。大会社が倒産寸前まで追い込まれ、リストラを断行し、収益改善に手をこまねいているという現実だ。

 もし日本が変化を見せるとしたら、今がチャンスなのかもしれない。好むと好まざるとにかかわらず、激動を余儀なくされているからである。

 果たして日本は、どんな選択をすべきだろうか。

 それには国としての舵取りも大切ながら、国民の意識や総意が、更に重要になると思われる。

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