27 本物

「クリス、何をしてる?」


 戸を開けて入ってきたのは、リュシアンではなく事務所のルキウスだった。素で状況を理解出来ていないような顔をしてこちらをぼんやりと見ている。危ない目に遭うかもしれない。クリストファーの視線が明らかに怒りを帯びてそちらに向かったのを見て私は慌てて声を張った。


「危ない!!」


 それとほぼ同時にクリストファーが鉄錆のような匂いをまとわせながらルキウスの元へ突っ込む。開かれた右手から水流がどこからともなく生まれ、それが三又に別れた槍へと姿を変える。ルキウスはぽかんとした表情のまま固まっていた。


 今から私が魔道防壁をはってもクリストファーを止めることは出来ない。それでもなんとか震える足で立ち上がり、せめてコートの端でもつかめたらと駆け出して手を伸ばす。でも届かない。どうしようもなく無力な私の手では敵わない。槍の先端がルキウスの眼前へ迫る。クリストファーが口の端を歪に釣り上げた。


「まさか、俺が、この俺が無策のままお前なんぞに貫かれるかと思ったか?」


 あと数ミリ、といったところで不意にルキウスは重力を無視するように軽々と飛び、槍の先端に立つ。同時に噎せ返るほどの消毒液の匂い。クリストファーの憎悪に歪んだ顔が、恍惚とした表情へ変わっていった。


「ルキウス、ルキウスなんだね?《本物》の、僕の」


「いつから俺がお前なんぞの所有物になった?それに《本物》って?馬鹿らしい。馬鹿らしいぞ」


 クリストファーにはわからないだろうが、服装を見れば私にはわかる。彼は間違いなく事務所のルキウスだ。見分けがつかないのだろうか。確かに2人はよく似ている。


 だが能力を使った時の独特の癖が出てない、ピアスをつけてない、アームカットの跡もない彼はどこからどう見ても事務所のルキウスであった。しかし、ルキウスはまるでリュシアンのように振舞ってみせる。


「その僕に気を使わない……いや、使い方を知らない喋り……ルキウス」


「お前、俺を貶してるのか」


 ルキウスが怪訝そうな顔で槍の上を悠々と歩き、クリストファーに顔を近寄せる。瞬間だった。クリストファーは槍を手放し、重力に負けて落下するルキウスの横腹を勢いよく蹴り飛ばした。聞いたこともないような音がしてルキウスの体がくの字に曲がり吹っ飛ばされるのがやけにゆっくり見えた。


「ぐぅっ……な、にを……!」


 痛みに顔を歪ませながらもなんとか壁に手をつけ立ち上がるルキウスに、クリストファーは何も言わず無表情で槍を手に近づこうとする。まずい。そう思い、2人の間に割って入るように立って魔道防壁を展開する。床に広がっていた大量の水がクリストファーの元へ集まると、その姿は再び子供のそれに戻る。


「はぁあああああ……。あのさ、僕をからかってるの?見分けがつかないわけがないだろ。それでルキウスのつもり?僕は!《本物》のルキウスには必ず愛称で呼んでいた!それも分からない偽物なんかに……」


「リュリュ」


「は?今……」


 ルキウスは口角をニヤリと吊り上げガチンと歯を鳴らす。槍を突き出し今にも刺殺せんとしていたクリストファーが硬直する。それをいいことにルキウスはゆっくりと立ち上がると嫌に自慢げな表情をした。そしてすぅ、と大きく息を吸う。


「やれ本物だの偽物だの意味のわからない定義のしっかりしていない物に囚われているらしいな。馬鹿馬鹿しい、馬鹿馬鹿しいにも程がある、あるぞ、クリス。肉体から生まれた方が偽物で魂から生まれたものが本物?お前のその定義はどこの受け売りだ?姿が違うから偽物?性格が少し変わったから偽物?癖が違うから偽物?その原理で考えると一体この世のどこに本物と言える存在がいるんだろうな。馬鹿馬鹿しい、本当に馬鹿馬鹿しい。成長してないどころか退化したようだな」


 長々とルキウスはクリストファーに対して罵倒に近しい言葉を浴びせる。首を折れるんじゃないかと思わず心配する勢いで曲げるともう一度歯をガチンと強く鳴らす。同時にクリストファーの作り上げていた水の壁が波打った。


「光の屈折をいじれば姿は偽れる。演技をすれば性格を偽れる。名前も、姿も、何もかも偽れる俺からしたらやれ本物がどうの偽物がどうの言っているほうが馬鹿らしく感じるが……どうした?俺の死を回避するループの間に頭がイカれるところまでイカれたか」


 瞬く間にルキウスの姿が変わる。はね散らかした髪に深く刻まれたアームカット、顔に細かく残る傷。そしてルキウスよりもより一層美しく輝く宝石のようなリュシアンの瞳。


 その姿を見るや否やクリストファーは槍を手から離した。その表情は歓喜とも情欲ともとれる。震える唇はなかなか言葉を紡げない。何を言おうとしているのかリュシアンにはわかっているはずだが、あえてその口から言わせたいらしく何も言わずただ薄く微笑みをうかべ首を傾げたまま待つ。


「リュリュ……リュリュなんだね?」


「同じことを2度言わせる気か?」


「あぁ、違うんだ。リュリュ、僕が愛称で呼ぶと決めている方のルキウスで間違いないか確認したいだけなんだ……」


 先程までの荒ぶりは身を潜め穏やかに話しているものの、未だに肌ではピリピリとした殺気のようなものを感じる。私は気をつけるようにと伝えたくてリュシアンの方を見ると、ちらりと視線を向けられ僅かにだが頷いてくれた。彼もクリストファーの妙な気配はしっかりと感じ取っている。


「ふん、そういう意味なら間違いないな。ただ、俺は今ルキウスではなくリュシアンと名乗っている。そこは考慮しろ」


「あぁ、うん。わかったよ。なんで行方をくらませてたのかとか、そういった質問はもうどうでもいいね。こうしてまた会えたんだからさ。僕に会いたくないなんてそこの娘に言われたけど、リュリュはそんなこと言ってないよね?言ってたとしてもそれは本心じゃないよね?」


「あの時はデュクドレーがそう言えば俺への攻撃的態度を改めると思ったから言っただけだ」


 しれっとリュシアンはとんでもないことを言う。私は思わず文句を言いかけたが、それに気づいたリュシアンは口に指を当て黙るように指示を送る。なにか作戦の内なのだろうか。


「ルキウスは嘘をつかない。ただし70パーセントの真実しか見えない。そのかわり俺は見ようと思えば思うだけ真実を見ることが出来る。その代わり俺は嘘をつく」


「リュリュ、何が言いたいの?」


 クリストファーの視線は不安げに揺れる。かくいう私もリュシアンがなにをしようとしているのか、何を言おうとしているのかわからずにいる。困惑する私たちを見てリュシアンは微笑みながら首をさらに傾げる。


「なあ、個人を個人たらしめる要素ってなんだと思う?自分の意思?でもそれは世界から見れば凄くちっぽけなものだ。それでは足りない。じゃあなんだ?他人から見た姿、印象?」


「待って、待ってリュリュ。何を言おうと……」


「ルキウスはクリストファーとアベルを除く他の人からの印象で作られている。では、俺は?俺だけではUHMになるに満たない存在。それがある大きな意思で変異した。その意志の持ち主が持つ印象、それで出来ているのが俺だとしたら?それは果たして生前のルキウスと同じ人物と言えるだろうか……」


 そこまでリュシアンが言った時だった。クリストファーが真っ青な顔で地面に槍を突き立て、大きな音で言葉を遮る。僅かに開かれた口はわなわなと震えており、完全にリュシアンの言葉を拒絶していた。


「も、もういい。もういい。リュリュはそうやっていつも僕を惑わそうとする。今言ったのだって嘘なんでしょ?リュリュが、僕の想像で出来た物なんて」


「そうだな、嘘の可能性もある。でも可能性の話だ。本当の可能性だって充分……」


「黙って!黙れ!黙れよ!」


 クリストファーは槍を何度も床に突き立て、とにかく言葉を聞かないようにしている。リュシアンの言う可能性を認めるということは、ルキウス・ヴェザードの完全なる死を認めることになるからだ。クリストファーはそれを恐れている。あまり刺激しすぎるのはいけないのではないかとリュシアンの服の裾を少し引っ張る。


「もう少し穏便に話せないんですか?」


「なんだ?お前。クリスの味方面か?真実と虚構を織り交ぜて話すのは昔からだ。あいつが昔より弱ってなければ大した事にならないし、荒治療の方が早く効く」


「そういう問題じゃ……」


 こそこそとふたりで話していると、唐突にクリストファーが笑いだした。ギョッとしてそちらを見ると俯いたまま肩を震わせている。こりゃミスったかもなとリュシアンがぼそりと呟いた。ミスったかもじゃないでしょと、文句を言いたい。


「いいよ、別に……もうなんでも……僕はリュリュを迎えに来たんだ。また、やり直そう。何度でもやり直せる僕の結界で」


「それは、本心じゃないだろ」


 クリストファーの提案にもドキリとしたが、間髪入れずにリュシアンが否定した方が驚いた。リュシアンの生存の道を探す、それがクリストファーの結界だったはずだ。そのために何度でもやり直す。そういう結界。本心じゃない、とはどういう事なのか。

 リュシアンの否定の言葉にクリストファーはゆっくりと顔を上げる。そしてとても嬉しそうにリュシアンへ笑いかけた。


「そうだね、何度繰り返しても死ぬ。それはもう決定事項だ。だから、さ。何度も僕のために死んでよ。今度は僕が殺してあげる。何度でも、色んな方法で。大丈夫、死んだらまた殺す何度でも殺す犯して侵して殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す。僕が満足するまで、永遠に。ねぇ、そのくらいの事くらい赦してくれるでしょ?僕のリュリュ」


 ゆらりと水の中で揺蕩う魚のように体を揺らしながら1歩ずつ近づいてくる。クリストファーのその尋常ではない様に怖気の走った私は強く魔道防壁を張った。彼をリュシアンに近づけさせてはいけない。ただその事だけが頭を占めている。クリストファーもそうだ。今彼はリュリュのことしか目に入っていない。だから、反応が遅れた。


「父さん!!!」


 横から急に熱風が吹き付けると亜美の声が高らかに響いた。床にうっすら残っていた水が一瞬で沸騰し、蒸発する。同時に事務所内の温度が一気にぐんと上がったのを感じた。まるで火に囲まれているみたいな……いや、よく見ると亜美を中心に炎がとぐろを巻いていた。そしてそれは床を、柱を、天井までも舐めるように拡がる。その炎の中に人影に似た物を見た。


「何かと思えば人の事務所で痴話喧嘩かよ!よそでやれ!」


 人影を中心に炎が大きく渦巻き、何かが爆ぜる音に混じりながら声が響く。この声はケイトだ。いつの間にか帰ってきていたのかと思ったが、事務所の玄関は私の視界にずっと入っていたから一度も開いていないのを確認している。


 では、廊下に繋がるドアかと思うが、それは背後にあったから開けばクリストファーが必ず気付くはずだ。まさか気付いていて何も反応していないとは思えない。じゃあ2階だが何か方法を使って窓から入ったのかと視線を巡らせるが、どの窓も鍵まで閉められている。


「いったいどこから……?」


「説明は後だ。タンク、娘と合流してドーム状に防壁を作れ。蒸し焼きにしない程度には気をつけてやる」

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