7章 愛と憎悪

26 歪み

「魔導防壁!はやく!」


 グイッと横から部屋に無理矢理引き込まれると指示を飛ばさせる。亜美の声があまりに焦りを帯びたものだったからこれは思っている以上に深刻なのではないかと踵を素早く鳴らす。防壁が完璧に出来たと同時に大量の水が目の前の見えない防壁に叩きつけられる。


「どどどどゆことですか!?敵襲みたいなのですか!?」


「私が聞きたいわよ!何を連れ込んだの!?あれは誰だったの!!?」


 混乱して要領を得ていない質問だったが大体誰のことを指しているかはわかった。リュシアンのことを言っているのだろう。と、いうことはこの攻撃をしているのはリュシアンを狙っている敵……ということになる。視線を上げ、思わず変な声が出かけた。というか少し出たかもしれない。


 彼の姿は、というか格好は1度見れば忘れることはそうそうないだろうインパクトを持っている。その上独特のファッションなので被っているそっくりさんという訳でもないだろう。そうとなればなぜ彼はこんなにも憎悪に溢れた顔をしているのだろうか。彼は確か《ルキウス》のことが……結界を作って死を否定しようとするほどまで大切だったはずだ。


「クリストファーさん?」


 ギラギラと輝く胸元にある剥き出しになったコアが、彼の表情を下から照らし余計に恐ろしい顔に変えている。美しい瞳も、整った愛らしい顔もここまで憎悪に歪むのかと息を呑む。


「ルキウスを……隠してるな?ルキウス、僕のルキウス、ずっと……ずっと探していた《本物》のルキウス」


 なんという事だ。彼は事務所のルキウスの本質を見抜いていたのだ。そういえばキャッツアイ達が出していたヒントの中になぜクリストファーは愛しのルキウスのいる事務所ではなく政府に属しているのかというものがあった。彼は、政府に属することでずっと情報を探していたのだ。《本物》のルキウスの情報を。


「お、落ち着きましょう。一旦、一旦ね!……亜美さん、他の事務所職員はどこにいるんですか?絶対私と亜美さんじゃ、かないっこないですって!」


「他のやつはちょうど政府から要請がいくつも来たから出ていったわよ!今いるのはあんたと!ルキウスと魔女とその弟子!そんで客人2人!」


 客人2人というのはアベルも含まれているのだろう。さすがに客人は巻き込めないという判断で私が呼ばれたのかもしれないが、人選ミスではないだろうか。


「絶対キャッツアイさんの方が適任ですって!それに蕾さんもいます!頼るならそっちを頼った方が!」


 ズンっと1層防壁にぶつかる水圧が強くなるのを感じる。多分この水圧はまともにくらうと死ぬ。まじで。防壁だっていつまでも保てる物ではない。とにかくここには助っ人が必要だ。


「蕾がいるの?あーー、でもだめだめ!今の期間はまともに……」


 そこまで言ったところで宝石を透過したような美しい影が私たちに被さったことに気がついた。多量の水に紛れていつの間にかこんなに近くに近づかれていたのだ。同時に鉄錆のような鼻にくる血に似た匂い。仕掛けてくる、そう思って防壁を強化しようと力を込めるより先にクリストファーは動いていた。


 三又に別れた槍を丁度私と亜美の間に当たる位置に突き立てると、槍の先端から水流を生み出すと、いとも容易く防壁を打ち破った。それと同時に亜美と私の間に水の壁が出来あがる。慌てた亜美が私とクリストファーのいる方へ行こうと手を伸ばしたが、一瞬落雷のような光が発生したかと思うと一気に彼女の体は壁まで吹き飛ばされた。


「これで2人きりだ」


 にこりともせずクリストファーは死刑宣告のように告げる。私は腰を抜かしかけていたが、何とか立ち上がると少し後ろに下がって距離をとる。とは言っても元から入口の近くだったのだからすぐに背中が壁に当たる。


 ぐるぐる回る思考の中、クリストファーの立てた襟から除く首輪がバチバチと音を立てて細い首を電流で焼いていることに気がついた。


 彼は政府直属のUHMだ。行動や能力は制限されているということなのだろう。近くに立つと肉を焼くような独特の匂いが漂ってきてゾッとする。でもかなり無理をしているはずだ。すぐに攻撃を仕掛けてくる様子はないが、念の為魔道防壁をすぐに貼れるように踵を僅かに浮かせる。


「お、落ち着いて話をしましょう……?首……そうだ、首大丈夫ですか?なんか、ほら、やばそうな音してますけど……」


「このくらいどうって事ない。生ぬるいくらいだよ」


 意外なことに返事をしてくれた。緩やかに未だ肉の焼けるような匂いのする首元をさすると妙に穏やかな顔で笑う。その異質な表情に吐き出そうとされている言葉が途端に恐ろしくなった。


「するのも、されるのも、慣れてる。生きてた頃からね。きっと平和に生きてきた君にはわからないだろうけど、本当に狂えるほどの痛みっていうのは体にくるものじゃない。心を犯すものなんだよ」


 ゆっくりと細められる瞳。愛しいものを思い出すようなそんな瞳だ。それなのに怖気が走る。瞳の奥にどこにも発散できず溜まりに溜まったヘドロのような欲情を感じ取ったからだ。


「ルキウス、僕のルキウス。ずっと探していたんだ。意地悪しないでよ。旧友が再会する、それだけの事だよね?それに君は完全に外野。僕らのことをとやかく言われる筋合いはないと思うし」


「ルキウスさんは……あなたとの再会を拒んでいました。あなたの人生を縛りたくないと……」


 ごくりと唾を飲み込んでから言葉をなんとか紡ぐ。そう、リュシアンはクリストファーとの再会を望んでいなかった。他ならぬクリストファーの為に。それならば私がここで怖気付いてどうする。ここで説得をなんとかして、それで……。


「説得して帰ってもらおうと?大体嘘をつくならもう少しまともな嘘にしない?ルキウスが僕の人生……いや、他人の人生なんて気にするわけない」


「なんでそう言い切るんですか!だって彼は本当に……!」


 あなたのことを心配していたと続けようとした言葉は、口を抑え込むように塞がれる事で言うことが出来なかった。ひんやりとしたまるで死人のような冷たい手は、その小ささに似合わないくらい強い力で私を拘束する。顎が割れるんじゃないかと思うほどの痛みを覚え、自然と涙が頬を伝う。


「何も、何も知らないっていうのは幸せだけど愚かなことだと思わない?ねえ、君は疑問に思ったことはない?どうして人間がUHMなんていうふざけた化物になるなんて。強い思いを持ったまま死んだ者がなるなんて言われているけど、実際はそうじゃない」


「ぐっ……う」


 グイッと無理に引き寄せられ、人形のように整った顔がまつ毛が当たりそうなほど近づく。ちらりと横目で亜美を見るが壁に当たった体勢のままぐったりとしていて動かない。気絶しているのかもしれない。


「こんな時まで人の心配?流石、優しい人間は違うね。そういう人は僕みたいな人間のことは大嫌いだろう?いいよ、教えてあげる。元人間の化け物がどれだけ歪んでいるか」


「ゲホッ!ゴホゴホ!」


 不意に手を離されて咳き込む。思わず目を伏せてしまい、クリストファーのつま先しか視界に入らない状態になる。するとムッとするほどの鉄錆のような匂いが立ち込め、足が成人男性のサイズまで大きくなり靴も白と青のブーツから落ち着いた色の革靴に変わっていく。


 視線を上げると少年の面影を残した大人の姿をしたクリストファーがそこに立っていた。服装は今までもは全く真逆で露出している部分は顔のみで、ロングコートに黒の革手袋までしている。長く赤いリボンで括られていた髪は肩ほどで切り揃えられ、少し垂れた目にはくらい影が落とされている。


「これが本当の僕の姿。醜い、大人の姿。なんで醜いなんて言うと思う?」


「わ、わからないです」


「僕は子供の頃大人の人に7日間かけて身体中弄り回されたからね。わかる?未成年連続誘拐拷問致傷事件だったっけ。僕以外の子供はみんな死んだ。まともな環境じゃなかった。家にも居場所がなかったから助かっても心は癒えなかった。ねえ、大人になってしまった僕がその心の隙間を埋めるのに何をしたと思う?」


 クリストファーの声は淡々としていて今までとは打って変わって穏やかなものだった。しかしそれが余計に恐怖をかりたてる。自分がされた事件のことをまるで部外者のように語るその顔が恐ろしい。私が何も答えられずに固まっていると、はなから答えを期待してなかったようにクリストファーは言葉を続ける。


「自分がされたことをしたんだよ。なんであの時僕だけが助かったのか。他の子供も平気なのか。試してみたかったんだ。そしたら、ふふっ、変な事だけどさ、皆死ぬんだ。皆、皆皆死ぬ。そればっかりしてたら楽しくなってきちゃって、多分頭のどこかが壊れちゃったんだ。生きてた頃から化け物みたいになっちゃったからUHMなんてふざけた物になってるんだ。大人は嫌い、子供は好き。子供を自分と同じ目に遭わせるのが好き。でもさ、子供って大人になっちゃうんだ」


 ガクガクと足が震える。私の目の前に立つこの人は人殺しなのだ。それも1人じゃない。何人もの罪のない子供をいたぶって殺して楽しんでいる、精神異常者だ。


 いつかの姉川盃反の言葉が頭の中を回る。人間からUHMになった者の多くは精神に疾患を抱えている。彼は、加害者ではあるが、被害者でもあるのだ。心のケアがきちんとされてなかったから事件を起こすことになった。そして、きっとその罪を償うことも、自分の罪を贖罪する機会も与えられずに死んでしまった。そんな彼の続ける言葉が恐ろしい。落ち着いた声が、座った目が、どうしようもない恐怖を与えるのだ。


「ルキウスは子供のままだ。成長しない。ずっと子供のまま……。ルキウスといる時は不思議と子供を見ても何も欲が湧かなかった。ルキウスは僕の心の拠り所だった。賢く、美しく、人の心を知らない……まさに天から遣わされた者だと思わない?」


「それは、違いますよ。ルキウスさんだって人間だった!」


 解けぬ洗脳ほど恐ろしいものはない。夢見心地の顔をしてルキウスのことを語るクリストファーは正気ではなかった。私は勇気を振り絞って声を上げるが、その言葉は届かないのかクリストファーは眉一つ動かさない。


「ただの人間なわけがあるか……ルキウスは穢れ1つ知らない美しい存在だった。なのに、なのに!この事務所でルキウスを名乗る奴を見たか!おかしいだろう!あんな、まるで普通の人みたいに」


「それがルキウスさんの望んでいた姿だったとしても否定するんですか?」


 思わず口から出た言葉にあっと思う。ストンとクリストファーから表情が急に抜け落ちたからだ。まずいことを言ってしまったのかもしれない。心臓が早鐘を打つ。底知れぬ恐怖がそこにあった。ピタリと固まり動かない彼は、何をしてくるかわからない。わからない事がこんなに恐ろしいなんて。呼吸が自然と早くなる。


 何か、何か打開策を考えなくては。このまま話をしていてもきっと彼は納得しない。だとしても今の彼とリュシアンを会わせるのは何故かとても危険な気がした。せめて誰かが異変に気がついて来てくれればいいのだが、こんな騒ぎになっているのに誰も来る様子がない。


 ぐるぐると思考は回り、焦りだけが募る。そんな私に呆れ返ったような顔をしてクリストファーが靴先を向ける。彼が何か言おうと口を開いた時だった。

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