4章 ネズミ
15 再会
「それで、私の部屋に訪ねたってことはなにかちゃぁんとした理由があるのよねぇ?」
私は今、魔女ことキャッツアイの部屋に訪ねている。理由は簡単だ。己の力不足を感じたから。能力は全く戦闘向きではない。その上、魔道防壁も強度が足りないのでは足引っ張りにも程というものがある。
「私の師匠になってください」
キャッツアイは私の言葉を聞いてぱちくりとその大きな瞳で瞬きをした。予想とは違う答えだったのだろうか。しばらく考えるような間を空けてから彼女は答える。
「そう、それじゃあ弟子3号ってことね。よろしくね、子ネズミちゃん」
にんまりという言葉がよく合いそうな表情で彼女は手を差し出してきた。正直断られるかもと思っていたので反応に遅れたが、急いで手を握り返した。
「ありがとうございます!よろしくお願いしま」
「じゃぁ、早速お使いよろしく〜」
握手と同時に握りこまされたのは1枚のメモだった。出鼻をくじかれて固まる私にキャッツアイは魔女に似合わない満面の笑みで送り出す。
「うさぎの店で全部揃うはずよぉ。全部揃えるまでなにも教えないからねぇ」
屈託のないその笑みを見て私は心の底からやはり彼女は魔女なのだと、改めて痛感した。
うさぎさんの店は1度行ったから道はわかる。それから注意すべき点も。買うつもりのない物もこっそりしのばせて、後から請求してくる悪い癖があるらしいからそれだけ気をつければいい。
本当だったら誰かに付き添って欲しいところだが、アベルの件でまだなにか調べたりしているらしい。事務所はいつになく慌ただしい雰囲気で、逆に暇をしているのは私やキャッツアイくらいだ。というかキャッツアイは暇をしているというよりサボっているのだろうけど。
仕方ないので道に迷わないように気をつけながら、1人で向かうことにした。流石に仕事の優先順位的にぬけぬけと道に自信が無いからついてきて下さいとは言えない。
入り組んだ路地を右へ左へ。何度か道を間違えて行き止まりに突き当たったりしたが、なんとかうさぎさんの店の前まで辿り着けた。
「もうちょっとわかりやすいところにあればいいのに……」
事務所と違って政府公認ではないのなら無理な話だろうけど。誰に愚痴を言う訳でもなく、ぼそりと零した言葉はしんとした路地に響くことも無く吸い込まれる。蕾さんと来た時は扉をいきなり開けていたが、流石にそんな度胸はない。
ただ、店なのは店なのだから一応勝手に入っても良いのだろう。気持ちばかりの控え目なノックをしてから扉をゆっくりと開ける。耳触りの良い入店を知らせるベルが鳴った。
「いらっしゃいー。って桜子ちゃん?」
店のカウンターから姿を現したうさぎは、前回来た時とは違い現代アート的な姿をしていなかった。人の手に人の足。きちんと2本ずつ付いているそれは私が見ても違和感を感じることは無い。
「あ、えーっとキャッツアイさんのお使いに」
あまりジロジロ見るのも失礼にあたるだろうと、キャッツアイから手渡されたメモを取り出す。それからそのメモに書かれている文字を見て固まる。
日本語じゃない。英語でもなさそうだ。全く読めない。
「ん?どれどれ、見せてごらん」
固まったままの私に優しい笑みを浮かべて、うさぎさんはそっとメモを持った手にそっと自分の手を添えてから覗き込む。
急に近づいた顔にどきりとする。まつげが長い。それからやはり何度見てもハウライトラピスによく似ている。
うさぎさんはふむふむと呟いてから顔をこちらに向ける。ガラス玉のような美しい金色の目とバチリと合う。思わず後ろに少しのけぞってしまう。
「これくらいならすぐに用意してあげよう。その間お茶でもいかがかな?」
「いや、あの、お使い分しかお金を持ってなくて……」
キャッツアイにメモと一緒に持たされた茶色の布袋をポケットから取り出す。チャリと中で硬貨が擦れたような音が鳴る。
お茶代をあとから請求されても、出すお金が無いという必死のアピールだ。伝わるかどうかはわからないが。
「えっ?あぁ、いや、あはは。そんなにお金にがめついように見えたかな?お茶くらいタダで出すよ。大切なお客さんだし、その上可愛らしい女の子だからね」
うさぎは一瞬だけ鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしてすぐに破顔した。気を悪くはしてないらしく、むしろ楽しそうにカウンターの奥の扉を開ける。扉の先はちょっとしたキッチンと机にベットがある部屋だ。
「客間はなくてね、自室で悪いけど。店の方じゃ座ってゆっくりできないだろうし。どうぞ、レディ。ハーブティーはお好きかな?」
「あっ、はい。好きです」
レディと言われて少し頬が熱くなる。なんだか事務所ではあまり女の子扱いされていなかったからか、耐性が低くなっている気がする。浮ついてしまった心に警戒心は飛んでいってしまって、招かれるまま部屋に入る。
うさぎの部屋は紅茶と花の良い香りがした。きちんと整頓された部屋に、机の上にはみずみずしい淡い色の花がガラスで出来た花瓶に挿されている。ヨーロッパ調に揃えられた家具も、自炊しているのか生活感はあるものの清潔なキッチンもとても魅力的な部屋だった。
私が椅子に腰かけるのを確認してから彼はキッチンの方へ行き、お茶を淹れ始める。商品の用意はいいのかなと思ったが私がお茶を飲んでいる間にするのかもしれない。
気が張る仕事が続いたから少しはのんびりしてもバチは当たらないだろうと、この時間を堪能することにした。やがて可愛らしいティーセットを持って彼が戻ってくる。
「事務所の仕事は大変?疲れた顔をしちゃってるからリラックス効果のあるお茶にしたけど」
「ありがとうございます」
ふわりと香るお茶の香りに思わず目を細める。上品なジャスミンの香りは飲む前から心を解す。机に並べられた2つの白を基調としたティーカップにお茶が注がれるのをのんびりと眺める。あぁ、なんていい時間なのだろう。
「噂で聞いたよ。Dエリアでキツい仕事があったって。桜子ちゃんも連れていかれたのかな?」
「えぇ、まぁ。あんまり役に立てなかったですけど……」
一口お茶を口に含むと上品な香りと味に包まれる。反対側の席にうさぎは座って少し心配そうな顔をしながら会話を続けた。
「役にって……桜子ちゃんはまだ18でしかも普通の女の子じゃないか。気に病む必要は無いよ。事務所の奴らが桜子ちゃんに配慮出来てないだけだし」
「いえ、私の能力は使えると評価してくれているからこそ頼られているんだと思います。だからそれに応えられないのが歯痒くて……」
「そっか、桜子ちゃんは頑張り屋さんなんだね。怪我は?」
「もう治りました。他の方より軽かったですし」
「怪我してたの?怖い目にあったんじゃない?」
うさぎの心配が妙にむず痒い。事務所では私の怪我の調子を確認するくらいで誰も心配はしてくれなかったからだろうか。そっとティーカップを持った側の手に彼の少しひんやりした大きな手がそえられる。
「私は心配だな。君みたいな可愛らしい女の子が戦いに駆り出されるなんて」
そえられた手はスルスルと私の手をなぞる。
「え、あの」
「こんな華奢な手をした女の子なのに」
「うさぎさん……?」
「ね、傷見せてよ。跡になっちゃあまりにも可愛そうだからさ」
あっ、まずい。下心剥き出しの甘い口ぶりにのせられかけていた。経験したことない状況に頭がパニックになる。やっぱり誰か誘って無理にでもついて来てもらえばよかった。
「緊張してるの?大丈夫、怖くないよ。私に任せ……」
うさぎは席を立ち、私の背後にゆっくりとまわろうとした。その時だった。彼の部屋の扉がとんでもない勢いで吹き飛ばされたのは。遅れて硝煙の香りがこちらまで漂ってくる。
いきなりのことで完全にフリーズしてしまうが、うさぎが笑顔を張りつけたまま静かに扉に背を向けないように窓の方へ向かったのが見えた。
パキリと飛び散った破片を踏む音が響く。敵か、それとも……。
緊張感漂う中、現れたのは意外な人物だった。
「うさぎ?何しようとしてたのかな?僕に教えて欲しいなー?」
捲られた袖、剥き出しになった機械義手から圧縮されていた空気が抜けるような独特の動作音が聞こえる。
笑っているが笑っていない様子のカテリシカは殺意のようなものを隠すことなくうさぎに向ける。
「いやぁ、お茶を飲んでただけだよ?ね?」
うさぎは助けを求めるようにこちらに話を振ってきたが無視を決め込む。正直少し怖かったし、庇う理由はない気がする。
「うーさーぎー?君はほんとに本っ当に節操なしもいいところだよね…………切ろうか。どことは言わないけど、切ろうか?」
「待った待った!未遂!誤解の可能性がある!」
「誤解もどうもなーい!18歳に手を出そうとした時点でアウト!!」
鉄拳制裁とカテリシカはうさぎに殴りかかるが、するりと滑らかな足取りでそれをうさぎはかわす。
「やめてやめて!洒落にならない!」
「本気だから大丈夫!!」
「尚更大丈夫じゃないじゃないか!私は陶器製だぞ!砕けてしまう!」
カテリシカは何度も拳を振るうが、見事とも言える柔軟な動きでその全てをうさぎはかわし続ける。やがてうさぎはかわしながら近づいていた窓へ飛び込んで突き破る。
尋常ではない逃げ足だ。カテリシカは息切れをしながら、割れた窓から逃げた方向を覗き見たが諦めたらしくこちらの方を向く。
「大丈夫だった?なにもされてない?」
「す……すみません。ありがとうございます」
「あいつ、あんな奴だからここに来る時は次からは僕に声を掛けて……。はぁ、とりあえず間に合ったようでよかった」
カテリシカは本気で私のことを心配してくれていたらしい。ゆるゆると多めに息を吐き出す。
そこでやっと私は事務所にも自分の事を心配してくれる人がいたことに気がついた。そして同時にどうしようもなく申し訳ない気持ちが溢れる。
「ごめんなさい……私……」
「ごめんっ!」
被せるようにカテリシカは謝罪し、頭を深く下げた。思わず呆気に取られたが、彼は恩人である。謝罪される理由がない。
「謝らないでください。私が1人で大丈夫だと判断したのが間違いだっただけで……」
「違うんだ。桜子ちゃんに1人で行くことを決断させるような状態だったのに放置していた僕が悪い。……僕が悪いんだよ、桜子ちゃん。本当にごめん」
「頭を上げてください。謝らないでください……。私、カテリシカさんが来てくれて……安心したんです。だから、お礼を言わせてください」
「お礼なんて……僕より桜子ちゃんがうさぎの店に1人で行っているって教えてくれた彼に言ってあげて」
「彼?」
カテリシカが向ける視線の先、そこに彼は立っていた。茶髪に焦げ茶の瞳、どこか現実離れしたような浮いた印象を持つ彼は年こそ近そうだが見覚えがあるようで思い出せない。
ひょっとすると少しばかり年下なのではないかと思う顔立ちを見ながら記憶を探る。そうしているとふと、ある人物が頭の中に浮かんだ。
「もしかして坂田くん?」
「蒼真でいい。夏八木、久しぶりだな」
坂田蒼真は私と同じ高校で元クラスメイトだ。ただ、学校にかよっている間は黒髪で眼鏡もかけていたし大人しいイメージがあったのだが。兎にも角にも普通の人間である彼がどうしてこの場所を、私がここにいるとわかったのだろうか。
進学の勉強をしていたはずだが、平日というのに彼は学校に行くにはラフすぎる格好をしていた。
「それじゃあ、蒼真くん。まずはお礼を言わせて。ありがとう、すごく助かった」
「別に……。夏八木が」
「私の事も桜子でいいよ」
「桜子が遅いから見に行ってこいって言われただけ」
それだけ言うと蒼真は持っていた紙袋を投げてよこした。それを取り落とさないように慌ててキャッチする。そして頭の中の疑問を口にした。
「蒼真くん、学校は?どうしてここがわかったの?」
他愛のない、ただの疑問だ。別に何かを詮索しようという気持ちもない。しかし、蒼真は心底嫌そうな顔をして顔を背けた。その挙動にますます疑念が湧き、もしかしてなにか厄介な事に巻き込まれているのではないかとかそういったものだが、続けて質問をする。
「確かUHM庁に入るための専門学校に進学してなかったっけ?もう実地研修……なわけないもんね?」
「間に合わないから」
ぽつりと独り言のような声量で告げられた言葉の意味をわからずにいると、蒼真は完全にそっぽを向いて店の外に出ていってしまった。
彼が渡してきた紙袋の中身を確認してみたが、いくつも入ったそれらがキャッツアイのお使いの品かどうかはわからない。カテリシカも後ろから覗き込むようにして袋の中を見ていたが、彼も私同様にわからなかったらしく何も言わずに眉をひそめる。
「メモとか渡されてない?」
それを言われてからやっとハッとなってカテリシカにキャッツアイから渡されたメモを渡そうとポケットを探る。しかしどこにもない。
「えっ、あれっ?あっ、あぁーーー!!」
うさぎだ。あいつにメモを渡したままだったことを思い出して思わず大きな声が出る。
完全にしくじった。お使いもまともに出来ないなんて、弟子にする価値がないわねぇとか言われかねない。
ぐるぐると嫌な想像が頭の中を巡る。いや、でも考えを変えてみよう。中身は恐らく蒼真が用意した物、そしてきちんと揃えられなかったとしても大元の原因は他ならぬうさぎにある。
なにか足りない物などがあると指摘された時は、全てうさぎのせいだと説明をしよう。なんだかミスをなすりつけるような言い方にはなるが、事実だしこれくらい許されるだろう。
一応キャッツアイから預かった硬貨の入った袋をカウンターに置いておく。もし品物が足りなかったとしても、足りなかった分を受け取るだけでいいはずだ。
「とりあえず帰りましょうか。……手間ばかりかけてすみませんでした」
「ううん、気にしないで。路地を出たところに車を停めてるから」
カテリシカは私の荷物をするりと持つと、店の扉を開けてどうぞと促してきた。
下心の全くない身についた自然な気遣いを見て、人を見る目も鍛えないといけないなと思った。せめて本当に優しい人と何か目的がある人との区別くらいつくようにしなければ。
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