12 悲しみ、悲哀、初恋のひたむきさ
「おーい、タンク無事かー?」
額に炙られるような熱を感じて目を覚ます。心配そうに覗き込む顔がそこにあった。
「ケイト……さん?」
薄目で確認すると額に当てられていた彼の左手が引っ込められる。なんだか少し焦げ臭い。痛む腹を押さえて起き上がると随分景色が変わっていた。
「ここはどこですか?」
落ち着いた色のカーペットに狭く薄暗い通路。きっちりと高さを合わせてはられたポスターは滲んで何も読めないがまるで劇場へ向かう廊下のようだった。
「それについては僕が説明しよう」
思わず「げっ」と声を出しかけた。あれは私の腹を蹴り飛ばした張本人だ。正面から見ても男とも女ともわからない不思議な見た目だ。ルキウスをまるでぬいぐるみのようにぎゅうぎゅうと抱きしめながら言葉を続ける。
「僕はUHM庁所属対UHM殲滅隊の隊員ナンバー12番、クリストファー・ランドリュー。生前のアベルのバディにしてルキウスの唯一無二の存在」
耳を疑った。私はアベルの記憶を見たからクリストファー・ランドリューの見た目を知っている。彼は大人で線こそ細いが男とはっきりわかる顔つきで何より服装。黒のコートにマフラーに手袋に長ズボンととにかく露出を一切排除した服装をしていたからだ。
「え……と、ご本人?」
「最悪な事に本人だ」
ルキウスが何もかも諦めたかのような表情で代わりに答えた。
「その政府直属のUHMがなんの用?この仕事は私達に任されていたはずだけど」
「事務所長さん、これは僕の独断だ。姉川長官がアベルを処分しようとしていると知ってね。まあ正確には処分の依頼をして本当の目的は別にあるみたいだけど」
「別の目的……?私達には何も」
「人員の指定。ただ処分するだけなら激昂させるような相手は向かわせないし、もっと相性のいい者を選んでいたはずだよ。今の状況的に第1の目的は達成されてしまったと判断するべきだろうね」
「コアの暴走……」
亜美は心当たりがあるのかぽつりと呟く。一方私は全くピンと来ていなかった。アベルのコアエネルギーは確かに奪ったのだ。暴走するほどの力が残っていたとは思えない。
「ルッキー、説明説明!」
「ぐえっ」
クリストファーはルキウスをさらにきつく抱きしめると頬擦りをする。ルキウスはカエルが潰されたような声を出してからうんざりした様子で説明を始めた。
「コアにエネルギーが溜まるまで時間がかかるってのは知ってるよな?」
「はい、たしか土地に流れるエネルギーが自然と流れ込んでくるのを待たなくちゃいけないんでしたよね?」
「あぁ、ただコアが暴走状態になるとそこらじゅうの土地エネルギーを吸い上げて独特の結界と呼ばれる空間を作り出す。今いる所がそうなんだが……。暴走に至るにはいくつかきっかけが必要になる。純UHMなら条件が細かく個体ごとにわかれるが、元人間の場合はだいたいひとつだ」
「それは……」
「コアが作られる原因となった感情の爆発。アベルの場合は後悔と悲しみ。怒りだとか憎しみだとか、そういった他の感情がエネルギーの不足によって削げ落ちたことによって元々暴走の1歩手前だったコアが耐えきれなくなったんだろう」
ルキウスの淡々とした説明を聞きながら私は震えていた。恐ろしいからではない。してしまった事の重大さに気付かされたからだ。
「それって、私の、私のせいですよね?」
アベルのエネルギーを奪ったのは私の完全な独断だ。亜美は秘策があると言っていた。その秘策がなにかは知らされていなかったということは、私の能力は作戦の中に組み込まれていなかった。亜美の秘策通りに事が進んでいたら、私が余計なことをしなければこんなことにはならなかったかもしれない。
「まあ、悲観するでない。元から暴走手前だったんだろう?ならお前が何をしようとしまいとこうなった可能性は充分にある」
ハウライトラピスは辺りを見渡しながら随分余裕そうな口ぶりで話す。励まそうとして言っているのではなく、事実を告げるような話し方だ。
「それに、今の状態はかえって好都合だ」
にやりと含みのある笑み。壁に貼られているポスターを1枚剥がすと、ハウライトラピスは屈んで床に指で複雑な模様を描く。やがてそれが完成するとポスターをその中心に置いた。ラムネの泡が弾けるような音がしてポスターの表面が泡立ち、やがて滲みが消える。
現れたのは紫のヒヤシンス。そこで私はハッとなる。
「アベルさんのエネルギーの匂い、花の香りでした。これって関係ありますかね?」
「恐らくね、エネルギーの匂いってのはよく分からないけどそれがコアから発されているものなら関係ないなんてことはまずありえないでしょうね。ただ……」
急に尻すぼみになった亜美の声に首を傾げる。
「ここはアベルの結界の中。事務所長さんは何が起こるかわからないから怯えてるんだね?」
「怯えてなんかないわよ。経験がないだけ」
挑発するような口ぶりのクリストファーを軽くあしらってから亜美は気合を入れるためか頬を軽く両手で挟むように叩いた。それからクリストファーを射抜くような視線で見つめ、口を開く。
「母の残した手記にはあなたが過去に結界を作ったと書かれていたわ。そしてその結界は内部から崩壊したとも。コアの暴走によって作られる結界の事例はあまりにも少ないわ。あなたの傷口をつつくような真似はしたくないのだけれど、結界の仕組みやパターンについて話してくれるわよね?」
(そもそも元人間のコアというのは人間の魂とそこに残された尋常ではない想いからなるものである。クリストファーの想いはただ一つ、ルキウスを『生』かしたいだった。しかしルキウスは『死』んでいた。クリストファーが『死』ぬより前に。
クリストファーがUHMになり、力を得るより前に。クリストファーはその事が耐えれなくて『死』んだのに、自分は再び『生』きている。それなのにルキウスは『死』んでいる。その事に耐えることが出来ず、結果として生み出された結界は何度もパターンを変え、何度も出来事を少しずつ変えてルキウスの『死』を回避するといったものだった。
もちろんクリストファー1人のコアでは世界はおろかルーアンの町ひとつ再現することも出来なかっただろう。しかし『冥府の門』が開いた特殊な地と他ならぬ代換えの効かないルキウスの魂とルーアンにある他のUHMのコアを半ば取り込むような形でその結界は回り出した。
スタートはルキウスと出会うある事件に突入する前から。失敗した時のゴールはクリストファーの自殺。クリストファーはそれをどちらも同じ場にいた者の魂をスイッチにして繰り返した。
結論は最悪なものだった。そもそもルキウスは『死』んでいるのだ。1度起きた出来事は変わらない。1度『死』んだ者は『生』かえらない。UHMという限りなく本人に近い別の生き物になっているだけ。その上結界の中のルキウスは本人の魂を使ったただのあやつり人形だった。
その最悪の事実に気がついた時、結界に綻びが生じた。その綻びからハウライトラピスが侵入し、『死』ぬたびに記憶をリセットされていたルキウスの魂に細工を施した。あやつり人形から意志を持ったUHMへ。記憶も保持したままループするように。ルキウスは、目覚めたばかりのルキウスがしたことは単純なことだった。
クリストファーが否定した己の『死』を肯定し、クリストファーの妄執は己の犯した過ちによる1種の洗脳に近いものだと告げた。そして謝罪した。自分はもう『死』んで構わなかった。クリストファーは自分なんかに構わずに『生』きてほしかった、と。
クリストファーのコアの源となっていた感情の揺らぎによって結界は存在意義を失い、内部からゆっくりと崩壊した。
これが顛末。全ての始まりにして終わり。
しかしこれは1つの悲劇を産むきっかけを作り出していたことをこの時は誰も気がつけていなかった。)
「結界の壊し方はエネルギーの供給源を絶つこと。方法は2つ。結界を作っている意義を失わせるか、コアの破壊か。僕の結界は前者だったけど、かなりの時間がかかったからあまりオススメしたくはない」
クリストファーは手をVの字にしたまま話を続けようとした。しかし私は暗に彼が言おうとしていることに気がつき、思わず口を挟む。
「じゃあ、アベルさんを殺すってことですか?クリストファーさんはアベルさんを助けに来たんじゃないんですか!?」
時間がかかっても構わない。前者の方法をとるべきだ。私は彼の後悔を、心の奥底を見た。彼は殺すべきUHMではない。ただ、悲しんでいるだけなのだ。
「ちがうちがうちがーう!なんで話を最後まで聞かないんだよ。結界はコアの暴走によって発生するけどそもそもコアの総量が足りてないと作ることが出来ないんだって!僕の時でも自分の分だけじゃ足りなかったから他のコアを取り込んで作ったくらいだし」
先程まで締め上げていたルキウスを手放し、クリストファーはうーっと呻き声を上げながら頭を掻き毟る。解放されたルキウスは逃げるわけでもなく背中を軽く叩く。
「こいつ、話を遮られるのが苦手なんだ。一応最後まで聞いてやってくれ。頭は悪くないしちゃんとした結論を持ってくるからさ」
唯一無二の理解者ですと言わんばかりの慣れた対応に口を噤む。彼らの関係はよくわからない。先程のクリストファーの結界の話を聞いてなお、彼らの関係性に名称をつけるのは野暮に感じられた。
「UHMはコアによって生命活動を支えられてる。だけど生きていくだけなら結界を作れるほどの量は必要ない。だからギリギリまで削れば結界は保てなくなるし、アベルは死ななくてすむ」
なるほど、と納得した時だった。突如廊下の明かりが消え、非常灯に切り替わりベルが鳴り響く。ずっと奥にあった恐らく劇場への入口と思われる扉がゆっくりと開いていく。
同時に足元から侵食するように香る花の匂い。
「気付かれたか?それとも目が覚めたか……」
なんてことないようにハウライトラピスは呟いた。突如として引き込まれるように体ががくんと動いた。いや、違う。廊下が短くなって扉が迫ってきているのだ。
「身構えて……!」
亜美の声が聞こえる。私は足元の感覚が怪しい中、靴の踵を鳴らした。魔道防壁。とりあえずこれで衝撃は防げるはずだ。
大きな音を立てて背後で扉が閉まる。やはりここは劇場を模した結界のようだ。階段状の客席に幕で隠された舞台。特に狭くもなく広くもない普通の劇場。しかし同時にそれが壁一面にずらりと並ぶ普通の家に付いているような部屋の扉によって異様な空気を醸し出している。そしてその扉のどれもがまるで爪が剥がれるまで引っ掻き続けたような傷が付いていた。
「桜子、少し頼みがあるのだがよいか?」
ハウライトラピスは辺りを警戒しつつ小声で声をかけてきた。まるで誰にも聞かれないよう気をつけるように。
「アベルは何か神にすがるような特別な『モノ』を持っている。それの破壊をお前に頼みたいのだ」
するりと自然な手つきで握らされたのは、柄の部分に金の細工がされているナイフだ。ナイフ、といっても華奢な作りで刃先は丸く何かを切るのには向いていないように見える。
「柄に細工をしてある。そのナイフの先を当てるだけでいい。お前は『目』がよいらしいからな」
「それならルキウスさんの方が適任だと思います」
目がいいとか鼻がいいとか、言われても実感がないのだ。ルキウスの方が明らかに能力的に優れているし、彼の方が確実だろう。なのになぜハウライトラピスは私の方に頼むのだろうか。
「ルキウスはアベルに狙われるだろうし、機敏には動けない。それに私はお前が1番向いていると思うのだ。ルキウスは情報を汲み取るのが得意だが、人の気持ちを心を理解するのが苦手だ。それに対してお前は直感で偽りを見抜き、人の心に敏感に触れることが出来る。壊して欲しい『モノ』はアベルが縋っている……つまりだな、心が必ず強く向いている。それさえ壊せばこの私があやつに干渉できる。お前、アベルを救いたいのだろう?」
心の向き。今まで何度が感じた違和感や匂い、それを頼りにすればアベルを救う道が開けるというのだ。私はナイフを強く握って息を長く吐き出す。
「必ず、救えるんですね?」
「私ではない、お前がそれで救うのだ」
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