8 UHM
「知識を求めるものには惜しみなく求める事実を与えるのが俺の方針だ」
高らかに積み重ねた本に埋もれた1人がけのソファに座ったルキウスは得意げに語る。先日の仕事に参加したメンバーで唯一お見舞いやお礼を言いに行かなかったが、特に気にはしてないようだ。
仕事がない時に行われる日替わり教師付きの講座。今日はルキウスによる座学だ。
もう偽るのを諦めているのか子供の姿のままだ。美しく薄い光を放つ目を細め、子供としても小さすぎる足をこちらに投げ出した状態でふんぞり返っている。
対する私の席は床に敷かれた狭めのマットだ。生活感がまるでない部屋には申し訳程度にソファとベットが置かれているが、そのどちらも本や新聞の切り抜きなどで埋もれている。
「まずUHMとはなにか、というところから話すべきだろうな。お前はそこを正しく理解していない、と言うよりは正しく教えられていない」
「まあ、学校で習った程度の知識しかないですから……」
「そもそもUHMなんてのは大きな括りでしかない。そうだな……お前は哺乳類だ、と言われているような感じだ。UHMだからといって全てを同じ扱いをするのは馬鹿のすることだ。お前だって鼠や豚と同じ扱いを受けたら不愉快だろ?」
「そう、ですね」
「この事務所で働いているUHMも全て同一の種類ではない。大きくわけて2つに分けれる」
ルキウスは本の間に挟まった原稿用紙を引き抜いてそれに目を通しながら話を続ける。
「1つは人間に近い姿と知能を持った純粋なUHM。これはエネルギーの溜まり場と特定の条件が重なることで出来たコアによって体が作られている。こいつらは自分のことを人間と錯覚することもあるが、基本的に考えの根本が人間と全く違う」
「考えの根本……?」
「人間と違う本能を持っていると言った方がわかりやすいか?大した問題にはならないが条件次第ではまあまあな驚異になることもある。意思疎通の出来る自然現象のようなものだ。気をつけていれば回避できる問題だから大したことじゃない」
ルキウスは読んでいた原稿用紙をくしゃくしゃに丸めてため息をつきながら懐をあさり、胸ポケットからタバコを取り出す。
見た目が幼いから思わず注意しそうになったが、心を読んだようにルキウスはこちらを軽く睨みつけた。やがてタバコをふかしながら話の続きを始めた。
「もう1つは元々人間として生きて、死んでからUHMとなるパターンだ。事務所で働いているやつの大半はこっちだな。オカルトじみた話になるが人間の魂にもある程度のエネルギーがある。そこに強い思念が残っていると稀にコアが生成される。コアに魂が持つ情報が移ることで生前の姿が、肉体が作り出される」
感情の乗っていない淡々とした説明はいつもの早口とは違い、ゆっくりと自分で言ったことを確認するような話し方だ。ルキウスは長く煙を吐いてからこちらに向き直る。
「死んだ人間全てがUHMになる訳では無い。それにコアから再び作り出された死人が本当にその本人なのかも断言は出来ない。墓もあり、死体もある。だが再び生きている。そういう状態に気を違えるやつも少なくはない」
一息にそこまで話すと今までの空気を一変させるように手を叩き、ルキウスはこちらに不敵な笑みを浮かべた。
「さて、ここでお前は気になっただろう?ルキウスさんは一体どちらなのか、と!」
確かに少しそれは考えたが、ここまで前のめりになられるとは思っていなかった。というより、これはデリケートな問題なのだから興味本位で聞くような話ではないと思ったのもある。
「聞いてもいいんですか?」
「もちろんだとも!しかし俺の頼みも聞いてもらう!」
「頼みによりますけど……」
なんだか最近頼られてばかりな気がする。大したことは何も出来ないのは承知の上なはずなのに。私の返答を受け、ルキウスは元から大きな目を見開いて輝かせた。
「コアエネルギーの譲渡をしてほしい。別にエネルギーが足りないわけではないが、譲渡の際に起きる付属の現象を観測したいんだ」
「それならいいですけど……」
内心少しホッとしながら答えた。もっと難しくて面倒なことを頼まれるかと思ったが、そのくらいならなんとかなる。一層瞬く美しい空色の目を細めながらルキウスは残りのタバコを携帯灰皿に押し付けた。
「俺は元人間だ。フランス生まれフランス育ち。人間として死んだのは54歳だったかな。見た目は生前と変わりない。成長ホルモンの分泌異常があったからな。死因も聞くか?」
「い、いや、それは大丈夫です」
一気に捲し立てるように自分の経歴を並べ立てるとソファから飛び降り、いきなり私の両手をがっしりと掴んできた。がっしりと言えどもあまり力は強くなく、肉付きの良い小さな手で握られた程度なのだが。
「さっ、話したぞ!エネルギーの譲渡だ。ただ譲渡するのではなく、その時見えたり感じたりしたものを口に出して教えてくれ!」
あまりに興奮した様子に思わずたじたじになりそうになるが、約束は約束だ。「分かりました」と簡潔な返事をして気持ちを集中させる。
エネルギーの譲渡はこれで二回目だ。初めてした時の感覚を思い出すように目を閉じてイメージを浮かべる。胸から温かいものを腕を通じて伝わせるような。
そのうち熟れた果実のような匂いがあたりに広がりはじめた。相手のコアと繋がったような感覚。その時、脳裏にぼんやりと景色が広がった。
「白い……天井。それと、窓からの風。消毒液の匂い……誰かが……泣いてる?」
そこまできたところでぱっと手を離された。目を開けると見たこともないような複雑な表情をしたルキウスと目が合った。何か言ってはいけないことを言ってしまったのだろうか。
「ふむ、やはり俺の推測は正しかったらしいな」
「と、いうとどういうことですか?」
1人で納得しているルキウスに思わず問い掛ける。
「お前が譲渡の時感じた光景、あれは俺の最期の光景だ。エネルギー譲渡の時、繋がるのが原因だな」
最期の光景……。そう考えると少し背筋が薄ら寒くなる。ルキウスはしばらく考え込むようにぶつぶつと何やら呟くと再び私の手を握ってきた。
「よし、今から俺の言う通りのことをしろ」
「えぇ……まだなにかするんですか?」
思わず不満を漏らしたが、じろりときつい視線を送られたので観念する。
「譲渡の時とは逆のイメージだ。相手の力を引き込むような。目は瞑るな。開けたまま、俺のコアを……俺の目をしっかりと見て」
言われた通りルキウスの瞳を見つめながら力を込める。辺りに広がる消毒液の匂い。それと同時にルキウスに触れている手から冷たいものが流れ込んでくる感覚に襲われた。ルキウスの瞳の輝きは一層増し、冷たい感覚が全身に回った時目の前がいきなり真っ暗になった。
「ルキウス」
誰かが名前を呼んでいる。声変わり前の少年のような声だ。不安に揺れるような、迷子になったような声。
「ルキウス」
体は重く、動かない。足からは鈍い痛み。でもそれは随分前から慣れ親しんだ感覚のようだ。頬に誰かの涙が落ちる。なにかとても大切な事を間違えてしまった気がする。
「僕に出来ることなんでもする。あげれるものはなんでもあげる」
この声は誰なのだろうか。優しい声にも聞こえるが焦燥感を覚える。なにか、妙なにおいがする。
「愛してるよ、ルキウス。誰よりも何よりも大切な僕だけの神様。だから……」
違う、そうじゃない。否定したいのに声が出ない。つもるのは後悔。いくつもの選択を間違えた結果。
「死なないで」
そうだ、死ねない。まだ死ねない。たった一人の友人である彼の心を救うまでは。彼の心に植え付けてしまった間違えた感情を正すまでは。死ねない。死にたくない。
「夏八木!」
甲高い声が耳に届き、ハッとなる。今のはなんだったのだろうか。汗が頬を伝う。夢と言うにはあまりにも鮮明で、現実というにはあまりに曖昧だった。乱れる呼吸を抑えながらゆっくりとルキウスの方を見る。あれは、間違いなく彼の記憶だ。彼の後悔の記憶。彼がUHMになった原因。
「見えたんだな?」
心なしか瞳の輝きが弱くなっている気がする。私が頷くとルキウスは緩やかに手を離す。よく見ると手汗で濡れた彼の手は震えているようだった。
「俺にも同じものが見えた。久々に思い出させられたよ……。時間は1秒も経ってない。これは予想通りだ」
「今のは……」
「お前の考えは間違えてない。今のが俺がUHMになった理由。俺の後悔。しかしこれは思ったより使えるかもしれないな」
落ち着きを取り戻したルキウスはタバコに火をつけ、一息ついた。
「使えるって?」
こういった嫌な予感は決まって当たるものだ。不敵に口角を上げたルキウスにぞくりとしたものを感じる。
「相手の精神的弱点を知れる上にコアエネルギーも奪えるんだ。もちろん精神的弱点は元人間に限るが俺の立てた仮説が正しければ純UHMに同じことをすれば起源を知ることが出来る!」
いかにも興奮した口ぶりで話すと、落ち着きない様子で私の手を握り上下に振り回す。高笑いをしながら元のソファに座り直すとタバコを深く吸い込んでから話の続きをし始めた。
「コアと言うのは力の源でもあるが、同時に弱点でもある。その位置を知ることは普通なら容易でないが俺の力があれば問題ない。それにUHMは一様にコアエネルギーが尽きれば行動不能になる。つ、ま、り、だ。俺と協力してお前のその力を使えばどんなUHMであれど制圧することが可能なわけだ」
「どんなUHMでも……」
なんだか実感がわかずにぼんやりとした調子で答えてしまう。ルキウスはケラケラと楽しそうに笑うと身を乗り出してきた。
「さて、俺の頼みばかり聞いてもらったからな。ここはひとつ、お前の悩み事をどーんと解決してやろうじゃないか」
「悩み事……ですか」
漂ってきた紫煙に顔を顰めながら考えを巡らせる。ぱっと思い出したのはカテリシカから頼まれたことだった。
「カテリシカから頼まれ事をしたのか?」
「あっ、そうなんです」
ルキウスは頭に浮かべたことが全てわかるかのように先に切り出した。というか本当にわかるのだろう。はっきりと説明をされたことは無いが、考えたことを当てて喋り出すのがつねなのだから。
彼の力があれば蕾に何があったのかくらい簡単にわかるだろう。急に心強い助っ人を得て得した気分になったが、次に切り出された言葉は予想していなかったものだった。
「雷呀のことはよくわからん」
「え?」
「俺も前、カテリシカに頼まれたから探っていたんだがこれっぽっちも。多分本人が原因となる出来事を忘れてるんだろ」
「記憶喪失ってことですか?」
「解離性健忘ってとこかな。とは言ってもそれに関係あるのは吃音と人見知りくらいだろ。カテリシカには上手く隠していたみたいだが、あいつがヤクをやってるのはもっと前からだ」
「え?もっと前から?」
思わずオウム返しをしてしまうと、ルキウスはうんうんとさも当然の事のように頷いた。
「酒、タバコ、ヤク、昔からの悪癖だと本人も言っていた。実際それは嘘じゃないみたいだし、俺に嘘をついても意味が無いからな」
「えぇ……それカテリシカさんに言いました?」
「もちろん言った。雷呀からも言わせたけど、あいつはずーっと自分のせいだーって思い込んでる。お前がどういう答えを出してもあいつはどうせ雷呀が自分を庇って大怪我したのが原因だっていう結論を出したがるんだ。だからお前も別に雷呀のことを変に気にかける必要は……」
そこまでルキウスが言ったところで、携帯電話がけたたましく鳴った。
アラーム音に似たそれは亜美からの着信を知らせる専用に設定した音だ。なにか急ぎの要件なのだろう。ルキウスに軽く断りをいれてから応答する。
「はい、夏八木です」
『悪いけど少し身支度してから出てきてくれる?そうね……スーツがいいのだけれど、持っていたかしら?』
「あぁ、持ってます。すぐ行きますね」
『それと、ルキウスにも準備して来るように伝え……』
「俺はスーツなんて気の利いたもん持ってないぞ!」
電話はスピーカモードにしてないはずだが、彼には亜美の言うことがわかったらしい。電話を代わる気はないらしいが、亜美にも聞こえるくらいの大きな声で返事をする。
『じゃあ、派手すぎないマシな服に着替えてきてちょうだい』
要件だけを伝えると亜美は一方的に電話を切った。スーツ指定なんて改まった場所に行くのだろうか。あまり乗り気ではないルキウスを見るといい予感はしなかった。
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