3 無知

 冷えきったビル街はいつも野ざらしの人に冷たい風をあびせる。きっと私もそのうちの一人になるはずだった。酒臭くなった飲み会帰りのサラリーマンらを横目に見ながら思わずため息をついた。


「タンク、ため息をつくと幸せもエネルギーも逃げるからやめろ」


「そのあだ名やめてくれませんか……」


 私の隣でライターを弄んでいるのは、事務所長の補佐をしている坂本ケイトだ。ちなみにタンクというあだ名は彼が付けた。そしてあながち強く否定できないのは私の能力のせいだ。


 あの日、うさぎから貰った怪しげな薬を疑いながらも期待して飲んだのはほかでもない私だ。あの時なぜ躊躇わなかったのだろうか。過去に飛べるなら全力で止めるのに。


 得た能力はコアエネルギーを自身や他者問わず貯めることが出来るというものだ。今まで詳しく知らなかったが、UHMの持つコアにはエネルギーが含まれているが一気に使うとガス欠状態になるらしい。

 時間が経てば一定数までまた貯まる。


 つまり例えるならコアはエネルギーという水脈の途中にある池のようなものだ。許容量を超えたエネルギーは貯まることなく自然と体から発散されていくらしい。


 今まではコアのエネルギーを使い果たしたら回復するまで時間がかかったが、私の能力はタンク……つまり普通以上にエネルギーを貯めて他人に譲渡もできる……これを使えば大規模魔法も何度か連続で打てるというわけだ。その大規模魔法をなんのために使うか考えたくないが。


「ていうか私今回出る意味あります?」


 今ほかのメンバーは作戦中だ。なんの作戦かは詳しく聞いていない。というか聞かされそうになったので断った。犯罪者として捕まった時に詳しく聞かされないまま無理に参加させられた一般人を装うためだ。我ながら臆病で卑怯だと思う。


「出る意味なかったら参加させてねーよ。現に何人か事務所で留守番してんじゃねーか」


「あー……そうですよね。ちなみに安全ですよね……?」


「安全だったら俺が護衛してる意味ねぇだろ」


「そうですよねぇ……」


 悲しいかな、なんだかちょっとこの妙な緊張感に慣れてきつつある。今回の仕事内容は聞いていないが、雑居ビルに何人か出たっきりで今のところ平和そのものだ。なにより人通りが案外多いというのが良かった。なんだか気持ちに余裕が生まれる。ぼんやりとしてるうちに終わってくれるだろうと思っていた時だ。


『もしもし? 聞こえているなら返事を』


 片耳につけたイヤホンから無線で声が入ってきた。

 この声は確か着物をいつも着ている……。


「将さんですね? どうしましたか?」


『エネルギー切れだ。移動が難しい。そちらから来てくれ』


 それだけ言って無線はぶつりと切れた。というか、今なんと言った?そちらから来てくれ?冷や汗をかきながらケイトのほうをゆっくり見ると、明らかに面倒くさそうに溜息をつきながら頭をかいていた。


「仕方ねぇ、行くぞ。離れたら知らねえからな」


「嘘でしょ……」


 ガックリと肩を落とす私にケイトは俺も面倒だよとこぼす。私としては面倒とかそういう次元の話ではないのだが。


 こちらをちらりと見ながら歩き出した彼に遅れないように私も小走りでビルに向かう。外から見ればただの雑居ビルだが、とんでもないヤクザが根城にしていると言われても納得しそうな雰囲気もある。


 怖いのは怖い、ただ幽霊が出そうな廃墟よりはましな気がする。少し錆びた裏口のドアノブをケイトが躊躇い無く捻る。


 もう少し警戒しているかと思っていたが、あまり緊迫した現場ではないらしい。どかどかと我が物顔で進む彼の背中がほんの少しだけ頼もしい。


「おい、将。仕方ねえから駆けつけてやったぞー」


 錆びたドアをケイトが蹴破ると、部屋の中で座り込んでいた将が非難がましい目でこちらを見やった。


「遅い」


 文句を一言いってこちらへ手招き。どうやら早くしろということらしい。私は将の手を取り目をつぶって集中する。胸の奥から溢れ出る温かいものを私の手から相手の手に伝わせるようなイメージを。暫くするとぼんやりとした光が辺りを包み、熟れた果物のようなかぐわしい香りが漂ってきた。


「おぉ、これが……」


 ケイトは感心したような声を出した。練習はいつも一人でしていたから、誰かに直接こうして力を注ぐのは初めてだ。


 光の筋が私の手の甲から将の手を伝い、胸のあたりに染み込んだあたりでつぶっていた瞼の裏に妙な情景が流れ込んできた。



 濁流の音、熱心に祈りを捧げる声、そして……。



「ん、もう大丈夫だ」


 パッと手を離された途端、見えかけていた何かが消えていった。立ち上がった将は着物の裾に付いた埃を払いながらケイトに苦言をこぼす。


「最低限のこと以外も教えてやれ、この能力は使える。危ない仕事もついてきてもらうことになる」


「あー……そうだな、わかった」


 非常に面倒臭そうに返事をしながらも、振り返ったケイトの表情は真剣なものであった。


「とりあえず、今ここでやってる仕事から教えてやる」




 エネルギーはどこにでも流れている。それは昔からそういうものでまるで川のようであるとも言える。

 エネルギーの川は目で見えることこそないが、土地に潤いと豊穣をもたらした。ただ、同時に災いを産むこともある。時々エネルギーの川は流れが淀み、ため池のように溜まってしまうことがある。そこから災いをもたらすUHM(昔は妖などと呼ばれていた)が湧き出てしまうのだ。




「で、今回の依頼はこのビルにその淀みが溜まってしまっていたから新たな流れの筋を作ってこの土地を再び使えるようにして欲しいっていうこと」


「な、なるほど……」


「このまま放っておけば自殺者やら火災やらが起きて事故物件扱いになっちまうしな。不動産会社からしたら迷惑な話ってことだ」


「危険があるって言うのは……?」


「それはお前、将の仕事が終わるまでの間は湧く可能性があるからだ」


 湧く、つまりUHMがということだろう。なんだかよくわからない話だ。ケイトや将もUHMであるはずなのに、まるで別の生き物のように話す。UHMの中にも格差があるということだろうか。


「おわったー?」


 バタバタと走ってこちらに駆け寄りながら気の抜けた声で聞いてきたのはカイトだ。正直な話、私はカイトが苦手だ。背格好は少年そのものなのだが、右目が蜻蛉のような複眼で腕の関節も多い。オマケに歯が全て臼歯なのだ。かなり気味の悪い見た目である。


「お前の方は終わったか?」


「うん、そんなにいっぱいいなかったよ。これはきょうのしゅうかく」


 そう言ってカイトは自分の服の裾を引っ張って袋状にした所からいくつか美しい宝石のようなものを取り出す。


「小さいし、屑っぽいのばっかだな。……まぁ、たいした溜まり場でもなかったしこんなもんか」


「それ、なんですか?」


「うえっ! お前それも知らねえのかよ! 義務教育じゃ教えないってことか?」


 ドン引きした様子のケイトに思わず乾いた笑いが漏れ出る。授業で習うレベルなんてたかが知れてる。UHMについても私は詳しく知らない。彼らがこんなに人間に近い生き物だって皆が知っていたら、駆除作戦とかきっと反対活動をする者が多く現れるだろう。


「これがコアなんだ」


「これが?」


 ケイトは一つだけカイトの手から受け取ると、私の掌の上に乗せてきた。じんわりと温かいような不思議な石だ。宝石のように輝くそれは、どこか宇宙の果てから来たような神秘的なものを感じる。


「これが俺達の体の中にもある。多分お前の中にも」


「これが体の中に……?」


 自分の体の中にこれと同じものがある。そう考えると途端に恐ろしいもののようにも見えてきた。

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