第33話 吸血
軍本部では、着々と戦闘準備が進んでいた。大会議室に設置された司令部には現在、ギーラ以下数名の士官と、ヴァン、ロボがいる。
残存している兵力は、準備の出来た小隊から順次各地域へと赴きグールの争闘に当たっている。ギルバはと言うと、紫色の雲のちょうど真下に当たるこの街の中心部、そこが最もグールたちの出現率が大きいだろうと踏み、軍の精鋭をそろえて向かっていた。
「概ねの小隊が既に出撃いたしました」
出撃準備の指揮を執っていた兵士からの報告を受け、ギーラはうなずく。
「さて……なんとか保ってくれるといいが……今はリッチのことを考えよう」
「なぁロボ、それで、俺たちはこれからいったい、どうやってあの化け物を倒すんだ?」
ヴァンが訊いた。一刻の猶予もない。
「25年前と同じ方法を使うのだ。我ら白狼の力と、吸血鬼の爆発的な闇の力、それをヤツの体にぶち込む。だがそのためには……ヤツの近くまで近づく必要がある」
「近づくって……今、リッチの瘴気のせいで、飛行船は一切飛べないじゃねぇか」
「あぁ、その通りだ。25年前は、それをアヤカが解決した。ヴァン、我は先ほどお前に、アヤカが召喚者であったこと、そして、召喚者は不思議な性質を持つことを話したな」
そこで、一拍おく。ロボとヴァンの視線が交差した。
「召喚者はこの世界に呼び出されるとき、『世界が最も必要としているモノ』を持って召喚される」
「世界が最も必要としている……モノ」と、そうヴァンが
「その通り。ヴァンの父親、グラムの翼は、アヤカの血を吸ったことで発現した」
「じゃあ、もう一回誰かを召喚すればいいのか?」
「それでも良いが、それは難しいだろう。それほどの力を持つ
だが一貫して、ロボはヴァンを見つめていた。
「しかし、お前がおるだろう」
「え……?」戸惑うヴァン。
「お前の中には、あのグラムと、そして当の召喚者、アヤカの血が流れておる。強き人間の血を吸い、吸血鬼としての力を呼び覚ませば……おそらくは、お前にも出来るはずだ。翼をその身に宿すことが」
「今すぐ医務室からありったけの注射器を持ってこい。私の血を与える」そう言ったのはギーラだった。
「しかし……! 軍の元帥ともあろうお人が、一介の吸血鬼に血を与えるなど!」そうのぼった部下からの抗議を、
「うるさい。では今この状況で、それよりも可能性のある案があるのか? 黙って持ってこい」ギーラは鋭く切り捨てた。
陸軍で現状、最も"強い"と言えるのは、名実ともにギーラであった。剣術、体術、体内の魔力量、老いてなお、彼の右に出る者はいない。それは誰しもがわかっていたし、ギーラにもその自負があった。
もちろん、ギルドの騎士たるギルバとは比べるまでもない。しかし現状、グールに対抗する
ロボもまた最初から、ギーラの血を吸わせるつもりだった。断るわけがない、そう踏んでいた。
数人の兵士が、司令部を走り出る。ヴァンは、何も言えなかった。自分が今から、陸軍元帥の血を吸うということに、一抹の現実味もなかった。これで翼が生える? そんな馬鹿な、と思う。だが一方で、もし失敗したら? 今この瞬間自分は、とんでもなく重要な"可能性"を身に背負わされたのではないか。
「我は今から、族長、じいに会ってくる。いろいろと、これからの闘いについて話さねばならぬのでな。ギーラよ、我に魔石を1つ貸してくれぬか。加速術式だ」
「わかった、用意させよう。護衛は?」
「いらぬ。まだこの状況だ。グールになど遅れは取らぬ」
兵士達が注射器を抱えて戻ってくるのとほぼ同時に、ロボは部屋を出た。後で会おうと、そしてともに闘おうと、そうヴァンと契り、魔石の保管場所へと案内する兵士と共に。
机に、ずらりと注射器が並べられた。ギーラは己の腕を捲り、椅子に座る。そうして、まずは1本、注射器が赤い液体で満たされていく。
「ギリギリまで吸え。量は多い方が良いだろう」
「わかりました」
ヴァンは黙って、その光景を見ていた。今からこれを飲むのだとは、信じられなかった。動物の血とは違う。背筋を汗が伝う。ヴァンは、ただ静かに立っていた。
注射器から、少し大きめのグラスに血液が移される。結局、そのグラスになみなみと濯がれることになったソレは、赤黒く、ドロドロとしていた。
促され、ヴァンはグラスの置かれた机に近づく。ゆっくりと。
右手を伸ばす。グラスの少し前で一度手が止まった。一瞬して、グラスを掴む。
口が渇いていた。喉が、ではない。その場の全員の視線が、ヴァンへと刺さっていた。
口元へ、グラスを近づける。これを本当に飲むのか? そう思っていた。
だがその思考は、結論から言えば杞憂に終わった。グラスから立ち上る蠱惑的な香りが、まるで肉汁したたるステーキだとか、湯気の立ち上る空魚の煮込みだとか、そういう類いのものに感じられたのだ。それが逆に、ヴァンの体をこわばらせた。
あぁ、なるほど。旨そうだと、そう感じるわけだ、自分は。吸血鬼という、ダンピールという性質はどうやら、本能というところに格納されているらしい。上等だ。
ずっと避けてきた人血に、甘美なものを感じてしまったことへの戸惑い。しかしそれは、むしろ今は都合のよいことであった。吸血鬼としての本能が存在するならばそれだけ、自分には"可能性"があるわけだ。吸血鬼としての力を呼び起こす、次いで翼を得る、可能性が。
喉を、血が通る。血の味だ。錆びた鉄の味ではなく、うまみのある、例えるならば、かなりレアの状態で焼き上げられたステーキに近い、味。
胃、ではないどこかに血液が入っていくような不思議な感覚を得た。喉の途中でどこかから吸収されて、血脈に乗って体中に運ばれるような感覚だ。
そしてヴァンは、飲み干した。体のいたるところから、何かが引き上げられる。自身の血液が、釣り竿にかかった魚のごとく引き上げられている、感じ。体の内側から湧き上がる、沸騰した血。熱い。熱かった。
頭が揺れる。右に半歩踏み出して、体を支えなければならなかった。ギリギリのところで踏みとどまって、今度は前に揺れて、今度は耐えられなかった。右手で反射的にテーブルを掴み、片膝を突く。
兵士が1人、慌てたように近づいて「大丈夫ですか!」と叫びながら、ヴァンを支えた。ヴァンからは見えなかったが、皆が一様に、不安な面持ちでヴァンを見つめている。
ギーラもまた、じっとダンピールの少年を見ていた。
もう一度、揺れた。今度はテーブルに置いていた手にも力が入らず、兵士の腕に体重をかける形で、完全に倒れ込んでしまう。ヴァンの意識は、このときにはもう無かった。
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