第32話 召喚:アヤカ

 これは、後からロボに聞いた話だ。



 なぜこの世界の北方には、機械文明で栄えた大国があるのか。なぜこの魔法と石術が支配する世界で、重火器が生まれたのか。赤く熟れた木の実、リンゴの種は、ではどこから持ち込まれたのか。


 それはひとえに、召喚者のおかげであると言わざるを得ない。太古の昔から、世界は1つではなかった。こちら側と、あちら側と、そしていくらかの"側"が存在していたのである。


   ◇◇◇


 これは、25年前、まだアヤカが、彩香と呼ばれていたときの、話である。




 大学受験を控えた年。まだ人々の襟元から離れたネクタイが、戻らないくらいの季節。彩香は、冷めていた。


「それでさぁ、聞いてよ。アイツこの前の模試県内1位だったらしいの!」


 彩香の半歩前。県道沿いの歩道を歩く2人組の、車道寄りの女が言う。短い、若干茶色が混じった髪の毛が風に揺れていた。目立つ枝毛は、彼女の粗雑な性格を外界にアピールしているようだ、と思った。


「えぇ、まじ!?」

 左側の、真っ黒の髪を後頭部少し上でひとつに束ねた女が、わかりやすく返した。本当に驚いているのか、あるいは自分と同じか、そう、わりとしっかり考えながら、「ほんとすごいよね!」と、彩香も話を合わせる。


「いやぁ、まじで京大医学部生の彼女コースじゃない?」

 話を盛り上げようとしたのか、左の女は枝毛女子の顔をのぞき込むように質問をなげかける。なるほど、たしかに盛り上がる。というか、つけあがるの間違いだろうと、彩香は満点の笑顔を貼り付けながら思った。


「え~、でもまぁ、ほんと頑張ってるからさ、受かって欲しいよね!」


 頑張っているから受かって欲しいのか、自分のエンブレムになるから頑張って欲しいのか。それとも単純に、応援している自分が好きなのか。

 

「そうだよね~、それに比べてウチのヤツはさぁ、ほんとバカ。サッカーにしか興味ないの。まぁでもそのおかげで、この前スカウト受けたらしいけどね。プロチームの練習生とか言ってたっけ」


「あ、そうなんだ~! この前の大会、めっちゃ活躍してたもんね~」


「そうなの。まじでかっこよかった」


「真剣になってるとこって良いよね。私もさ、このまえ一緒に勉強したとき、京大の過去問解いてるのめっちゃ見ちゃったもん」


「あ、そうなんだ~。一緒にかぁ、いいな~。一緒に勉強しても教えあったり出来ないからさ? あでも、この前サッカーやったよ。野球のキャッチボールみたいに、ボールパスし合ってさ」


「えー、そういうの憧れるわ~」


「でね、そのあとアイツに家まで送ってもらったの。もう暗いからって。イケメンすぎん?」


「いいじゃ~ん。うちは家隣だからさ、送ってもらったりないけど、補習ない日は一緒に帰ってるからいいかなって思ってる。暗くても関係なく一緒にいれるんだよね~」


 ああなるほど、あれだ。マウントの取り合いだ。"他人のふんどしで相撲を取る"なんて言葉が浮かんで、いや月並みだろうと切り捨てた。今、自分のすぐ目の前を歩いているのは、女子Aと女子Bですらない。"サッカー少年の彼女"と"医学部志望生の彼女"なわけだ。


 空っぽだなぁなんて思って、それを言うなら、それに同調してニコニコしてる自分の方がお似合いだな、なんて自嘲。


 それからしばらく、そんな素晴らしくおもしろく、そして興味深い話をしながら、彩香たちは歩いた。県道から1本外れた道の、その周辺で一番大きなマンションの前で、二人と別れる。この最上階に、彩香は住んでいた。なるほど、マウントを取り合うなら負けないだろう。だが彼女は先述の通り冷めており、それがこの高層階から下界を見渡していたためか、はたまた天性かはわからないが、少なくとも相撲には興味がなかった。


 さて、エレベーターで最上階まで上り、家の扉を開けた。結論からいこう。彩香は、燃え上がった。


 一瞬の驚き。しかしそれを覆い隠し、どこか遠い場所へ連れ去ってなお余りうるだけの、高揚と期待感。彩香の心は、燃え上がった。


 自宅の玄関を開けた彩香の目の前に広がっていたのは、紫色の雲、わら作りの家々、乾燥した砂、地面に赤くきらめく文様、そして、翼の生えた――おそらくは――吸血鬼。


「選べ。そのまま扉を閉めるか、こちら側へ来るか。扉を閉めれば――」


 彩香は一歩踏み出し、視線は前方に向けたまま背後の扉を閉めた。目の前の吸血鬼の説明など、聞くまでもなかった。

 退屈さからの解放。それはまるで、修学旅行帰りのバスの中、この後みんなで乗る地元行きの新幹線の時刻を過ぎてしまったというような、決まり切った予定が崩れ去った非日常の高揚、とでも言うような。


 彩香の表情に、光が差していた。


「私は、あちら側から人を召喚したのは初めてなんだけどね。皆こうなのかな、そんなわけはないと思うんだけど。まぁ、もう戻れないが……それでも良い、というような感じなのだろうな。知らないが。とにかく、こうも腰を折られたのでは、一度仕切り直すしかない。はじめましてお嬢さん、私は、グラム・オリエンタ。吸血鬼だ。貴女は?」困り顔をした吸血鬼が、こちらを見る。



「アヤカ。えっと、とりあえず――」


 息を吸った。今までにないくらい。


「いろいろ教えて~~!!」


 これが、彩香とグラムの。ヴァンの両親の、初めての出会いである。


   ◇◇◇


 リッチの復活に際して、父親グラムと白狼たちは共に戦った。

 救世主として、異世界から召喚したのが、母アヤカだ。アヤカ、いや彩香は、向こう側の住人が持つ特殊な性質で、それに、白狼たちは多数の犠牲をはらって、やっとの思いで勝利した。


 その後、彩香とグラムは結婚。白狼たちはこの戦いを、里を守る結界を解く口上の題材とした。

 古くから技術と知識をもたらし、機械という文明を大きく進展させてきたあちら側の人々は、また違った形で、この世界に貢献した。


 これが、リッチとその周りで起きたことの全てだ。


「そうかよ。俺の親は、随分と特殊だったわけか」


「怒ったか? 我が黙っていたこと」


「いいや。理解するのに手一杯で、そんな余裕はないさ」

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