第31話 演説

 いつか見た悪夢の再来に、人々は絶望の表情を浮かべていた。ただし付け加えなければならないことには、人々はリッチの復活や、これから自分たちが見まわれるであろう凄惨な未来に絶望しているわけではない。今、目の前に繰り広げられる、グールが大群による虐殺に、絶望しているに他ならない。無論、かつての厄災を知る中年以降の世代に至っては、既視感を感じその絶望をより大きなものへと昇華させているだろうが、それもまた、思考の表層で行われているわけではない。


 だから、『厄災は収まったんじゃなかったのか』『召喚された化け物は軍が倒したはずじゃ』などという叫びは、聞こえてこない。そんな余裕は、民衆には存在しない。これは陳腐な虚構ではないのだ。今この瞬間に、自分が相対するグールから逃げられるかどうか、それを考えるだけで精一杯なのである。



 人の群れをかき分け、やっとの思いでたどり着いた軍本部には、すでに全ての隊員が集まっていた。といっても、特別大隊の構成員はこの場には1人もいない。当然だった。今生き残っている特別大隊のメンバーは全員が裏切り者だ。この機会に、きっとどこかで暗躍しているだろう。国を守る軍の集会になどいるはずがないし、いてもらっては困る。

 軍上層部は、一定の状況から既に彼らの裏切りを察しているようであった。この異様な隊員の消失に、驚いている様子はない。



 場所は屋外の演習場。元帥ギーラが、前に立っている。

 大きな問題があった。特別大隊は、不死者などを専門として相手取る、軍内部に創設された部隊だ。つまり、グールの殲滅は、リッチに対する対策も含め、彼らの職務である。しかし先のように、特別大隊はもう存在しない。今この場にいるのは、人数こそ比にならないほどに多いが、その主な職務は対人を想定とした国防や、国の治安維持である通常の部隊の面々である。


 グールと戦えない、とまでは言わずとも、戦力としては不十分と言っても言い足りない。


 演習場を見渡したヴァンは迷わず、元帥ギーラのもとまで走った。


「貴様は……ヴァン? 何をしに来た」


 いぶかしむギーラの目が、ヴァンの横にいるロボを捉えた。


 移動中のロボとの話を思い出しながら、ヴァンは元帥へと目を向ける。

『ギーラは、我ら白狼を知っているはずじゃ。かつてのリッチの戦いの詳細は、ほとんどの人間に隠されておる。しかし軍の元帥ともなれば、おそらくは、我らのことを知っているじゃろう』


 ヴァンは眼前の、年の割に筋骨隆々とした老人にまっすぐ目を向ける。

「状況は分かってるだろ。ここに白狼がいる。考えもある。代わってくれ」


 ギーラは白狼のことを、よく知っていた。かつての厄災のとき、軍は何1つできなかった。

 その裏で、既に軍内部に入り込んでいた教団のメンバーが攪乱作戦を取っていたのも、何も出来なかった原因の1つであるが、ギーラの知るところではない。

 とにかく、軍はリッチの襲来に際してなんの仕事も出来ず、結局のところ、吸血鬼1匹と、異世界からの召喚者、それに白狼の一族とが協力して打ち倒すに成功する。軍がしたことと言えば、その後の国民の混乱を収めることと、面子を守るために、軍が大きな仕事をしたと見せかけることくらいだ。白狼の一族は山に戻って籠もり、吸血鬼は召喚者とともにどこかへ消えた。


 約25年前の真実を知っている軍上層部の人間は、この年月でほぼ全員が死んだ。元々上層部など老人の集まり。当時2番目に若かったのがギーラで、今はこうして元帥を務めている。


 そして今、自分の目の前には、ダンピールの少年が白狼を従えて立っている。ヴァンが狼を連れているという報告は受けていたが、まさか白狼だったとは思わなかった。もしかしたらと、ギーラの頭を期待がよぎる。


「ヴァン、お前はまさか……」

「そうじゃ。かつての吸血鬼グラムと、召喚者アヤカの、その息子じゃ」

 答えたのは、ロボだった。


「召喚者……?」

 ヴァンがロボを見る。詳しく聞きたかったが、それについては後だとロボに返された。


「…………わかった。状況が状況だ。先の戦いでの教訓もあるだろう。お主らに任せよう」

 ギーラの差し出す拡声器を受け取り、台へ上がる。


「どうも、えっと……俺はヴァン・オリエンタ。25年前の闘いで、まぁなんとかやったらしいグラム・オリエンタと、アヤカ・オリエンタの、息子だ。ご存じだとは思うが、間もなくリッチが復活する。しかし、それよりも前に、グールによって街が壊滅する可能性が高い。幸いにも、紫色の雲を見るに、リッチの瘴気はまだこの首都に集中している可能性が高い。あなたたちは、そっちを死ぬ気で駆除に当たってくれ。リッチは……」


 ちらと、ロボを見る。

「こっちでなんとかする」

 頷き。

「俺らがなんとかする。とにかく、グールをなんとか抑えて欲しい」


 眼前の兵士たちの中、声が上がる。


「待ってくれ! こちとらそんなことは先刻承知の上なんだ。今俺らが悩んでんのは、いくらなんでも人が足りねぇんだよ。もともと俺らは不死者と戦う部隊じゃねぇ。切り刻んで、燃やして、潰して砕いて……1体1体そうやって処理しなきゃなんねぇ。魔石を使える人間も、魔導師も少ねぇんだ!」


 声が上がった。事実だった。戦える人間が、あまりにも少ない。劣勢も劣勢……リッチを倒せても、グールによって先に街がやられてしまっては意味がない。沈黙が、場の全員の同意を表していた。士気は、低い。


「失礼! ひとついいか?」

 場に響き渡る声の主は、ギルバだった。前方、ヴァンからみて右端で、声を張り上げる。


「俺はギルドの人間だ。だから、一国の軍隊様にごちゃごちゃ言う筋合いはねぇかもしれねぇ。だがな、あえて言わせてもらおう。手めぇら、それでも国民を守る軍人か? 俺は今まで、たった1人で、絶対に勝てねぇって闘いに挑むヤツを、騎士団ギルドで何人も見てきた。たしかに、俺らと、一介の軍人のお前らでは、強さはちげぇだろう。でもだからなんだってんだ。お前ら軍人なんだろ? 兵士なんだろ? 胸の中に正義抱えてんじゃねぇのかよ。自分でもいい、国でもいい、愛する人でも、隣の家の爺ちゃんでもいい。守りてぇって思ったことあんじゃねぇのかよ。この状況で、騎士団ギルド本部と連絡が途絶えてる。援軍は期待できねぇ。情けねぇ話だ。今この街にはおそらく俺1人。依頼された任務は終わったからな、俺はとっとと、とんずら出来る状況だ。でも、俺はここで戦って、死んでも良いって思ってる! グールが出てきてるから、そのうちスケルトンだとか、他のも呼び寄せられてくるだろう。一騎当千上等じゃねぇか。こんな修羅場で逃げちまうなんてありえねぇんだ。胸張って戦線に立たねえとよ、俺は、いつか死んだ俺の恩師に、顔向けできねえんだわ! 俺は、俺とあいつの! 想い出守るために戦うぜ。そういうヤツいんだろ? 何か守ってんだろ! ちげえか?」


ギーラが、壇上に立った。

「君たちの中には、25年前のことなど知らぬ者も多くいるだろう。だから、私のわがままだと思ってくれていい。少なくとも、私が目をかけていたレイリの裏切りによって、この国が、世界が窮地に陥っているのは事実だ。私は空軍元帥であるタマラとの約束を果たし、責任を取らねばならない。この闘いが終わった後で、私がこの席を退くことは免れないだろう。空軍は、この瘴気のせいで空の一切を飛ぶことができていない。しかしそれでも、タマラは今、グールの争闘に兵力を貸そうと、空軍をかき集めている。そんな中で、我々陸軍が逃げ傷を作るわけにはいかない。もう1度言おう、わがままだと思ってくれてかまわない。レイリの蛮行を見抜けなかった私の恥を! 25年前何ひとつできなかった我らが軍の汚名を! 濯がせて欲しい」


「事態は白狼の一族や、吸血鬼の村の人々も気付いているはずだ。それぞれ動き出していると思ってもらって差し支えない。勝ち目のない戦力じゃない」

 ヴァンの言葉を最後に、ギーラが息を吸った。


「総員!! 緊急時第一戦闘準備!!」


――演習場全体が、震えた。

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