第28話 プロローグのその裏で
数日後、特別大隊には名誉挽回のチャンスが与えられた。大隊長であるレイリの処分が決定するのにはまだ時間が掛かるらしく、その間レイリは任務から外れることとなっていた。
元第九中隊が行っていたとある任務を現第三中隊が引き継ぎ、書類整理の後に行動へとシフトする。あれだけの損害を出したのに、ヴァンがまだ隊長職を続けているのは、先陣を切って敵本陣へと突っ込み、負傷を受けつつも圧倒した業績が評価されたかららしい。あの子供だらけの、孤児院とすら呼べる空間を敵本陣とは、上層部のネーミングセンスはかなり残念な状態にあるらしい。
そして重要なのは、そのとある任務の内容である。
といっても、その内容を既にヴァンは知っていた。知っていたからこそ、あの吸血鬼の一集団と連絡を図ったのだ。
建前としては、『人間を次々と殺している吸血鬼の集団がいる』だった。しかしその集団の実態は、ただの善良な――人殺しなどしていない――身寄りのないものたちが寄り集まったもの、だった。
彼らは裏で何かちょっとしたことを調べているらしく、ヴァンとしては――その内容は知らないものの――それが殲滅されようとしている原因ではないかと思っていた。
故に作戦の立案はヴァンが行い、そしてその情報を彼らに流す。
計三回が予定された殲滅戦の、第一回目。
◇◇◇
松明の明かりが背後へ遠ざかっていくのを感じながら、二人の子供が林道を疾駆していた。
額に汗を浮かべ、息を切らしながら。ひたすらに木々の間を駆け抜ける。
音もなく、目に見えぬ速度で足を動かす二人。
事実、人間を振り切るなど造作もない。だがしかし、相手が同族だったのならば話は別だ。
前だけを向いて走るのは左の少女。対して右側を走っていた少年は何度か背後を振り返る。
ギリギリ見える距離。白色の狼に乗って追いかけてくる少年が見えた。彼はそう、吸血鬼だ。いや、それでは少し語弊があるだろう。彼は本当の意味で吸血鬼ではない。しかしながら、それが人間でもありえない。
まあつまるところ、非常に稀であるが――ハーフだった。吸血鬼と人間の、だ。
今はとにかく、逃げなくてはならなかった。
自分たちは囮なのだ。
今朝方、情報があった。軍が自分たちの居場所をつきとめたと。集団生活をしていた少年たちはすぐさま会議を行った。子供から大人まで。男女構わず全員参加の会議だ。
それはつまり、犠牲者を決定する会議にすぎなかった。
逃げる方法や、対抗する方法などない。軍がその気になれば、追跡など容易。だからこその、囮。
そして今回は、運悪くも、少女に決まった。
そこに、無理矢理こじつけて――ほとんど衝動的に――少年が「俺も行く」と叫んだのだ。理由は、もうお察しだろう。男が女と一緒に死のうとする理由など、一つしかない。
黒いローブを羽織り、フードを被った彼の顔を見ることは叶わない。だが、少年らには彼のことが分かる。あれが誰だかは、もう既に知っている。
視線を前方へと戻した少年。一気に盛り上がる地面が視界に入り、二人は慌てて制動をかける。
地面を割って現れたのは、スケルトン。
走ることをやめ、申しわけ程度に戦闘態勢に入る二人。そこへ背後から、声がかかった。
「ふう……おいお前ら。ここで終いだ」
振り返らずとも、白狼の気配が物語っている。死ぬぞ、と。強気に、彼に背を向けたまま少年は言い返す。
「ふざけんなよ。なんで俺らがここで死ななきゃならねえんだよ」
眼前のスケルトンは静止したままだった。
囮なのだから、死にたくないというのは演技である。そう、演技のはずなのである。いや、演技でなければならないのである。
少女が、前を向いたまま震えを殺して口を開いた。
「私たちを片っ端から殺していって……あなたたちはそこまでして、吸血鬼を皆殺しにしたいの?」
少女の言葉は、ヴァンにというよりは、その背後にいる軍の部隊に向けて放たれたようだった。声は大きく、静寂に包まれた深夜の森では、はっきりと響いた。
二人、一緒に振り向く。ヴァンは既に白狼から下りていて、その背後数十メートルに松明の明かりが見える。これならば、軍隊には声が届いたはずだ。
「ああ……それは、俺には……わからない話だ」
ヴァンのその返答は、どこか翳りを帯びていた。
間もなくして、ヴァンの背後を暖かい光が照らした。軍の対吸血鬼部隊である。重たそうな鎧を身につけた者の他、聖書を持つ聖職者然とした者もいる。
「さて……もう打つ手もないだろう? おとなしく、ここで死んでくれ」
努めて正面の二人の顔を見ないようにしながら、ヴァンは拳を握りしめる。
「くそッ!!」
少年が叫び、スケルトンを蹴り飛ばした。軽い骨の塊は簡単に崩れ、地面に転がる。
ヴァンは元より、アレは壁程度にしか使うつもりがなかった。この時点で、操作権を放棄。
蹴り飛ばした一体はもちろん、その両側のスケルトンも壊れた操り人形よろしく地面に落ちた。
道は開いた。しかし逃げるという選択を、二人はしなかった。もとより、ここで死ぬつもり。そもそも、逃げきるなど出来るはずもない。
ならばせめて、と。
踵を返しヴァンへと向き直る。
腰を落とし、四肢に神経を集中。一瞬にして、昏いオーラが二人を包む。これが、吸血鬼が戦闘態勢に入る時の典型的特徴であった。ヴァンの後ろ、大勢の軍人がざわめく。中には弓を構え、矢筒から矢を抜こうとする者もいたが、片手でヴァンはそれを静した。
少年少女二人の視線がヴァンを捕らえて、交差する。
彼の傍らにたたずむ白狼は、まるで動く気配がない。それとは対照的に、ヴァンが消えた。
少なくとも、二人にはそう見えた。
「死者すらまともに操れない下っ端が」
ヴァンのその声には、どことない怒りが感じられた。それが何を意味するのか……それは、そんな下っ端に、幼子に、囮という役目を担わせなければ、同族すらも救えない、自分への、世界への怒りであった。
気付けば、オーラに覆われたヴァンが――黒塗りのナイフを構えて――ゼロ距離まで迫っていた。
左手で少女の首を掴み、右手のナイフが少年の首元にあてがわれている。その一瞬で、幼き二名の死が決定された。
死に直面した極限状態で、まだ年端もいかない少年は精一杯の敬意を込めて、向こうの兵士たちに聞こえないよう、小さな声で呟く。
「ありがとうございました」 ――――と。
ヴァンの胸がぎしりと軋む。そんな音が聞こえた気がした。
「すまない」
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