第26話 族長 とある娘
岩の壁で囲まれた村。いや、集落といったほうが正しいだろうか。
唯一その壁の途切れている場所が、入り口ということだろう。中を覗くことは叶わないが、少しだけ灯りが漏れていた。その入り口の両端には、肩から上をすべて覆うようにして袋を被っている、門番とおぼしき鬼が二人。顔の部分は仮面を付けていて、その表情を見ることはできない。被った袋の一番上がテントのように膨らんでいて、『角』の存在を示していた。
思わずその一点を凝視していたヴァンだったが、それを不愉快に思ったのか「早く入れ」と急かされた。少し申しわけなく思いながら、ヴァンは頭を下げて集落の中へと足を踏み入れた。当然、雅も付いてくる。
「今まで、黙っていてすまなかった。本当は、鬼には会ったことがある」
「いいさ。いつか話してくれるのを待つよ。何か理由があるんだろ」
「……ありがとう」
申しわけなさそうに、だが嬉しそうに、重みのある一言を雅は発する。
本音を言えば、隠されていたことに対して残念だとは思った。嫌じゃないと言えば嘘になるし、なぜ話してくれなかったのだとは思う。だが、それは考えても仕方ないことだ。
少なくとも、今は。
村の中は、一言で言うならば廃れていた。
石で囲ったたき火がそこらへんに点在していて、藁のようなものでできたゴザが敷いてあるだけで、家といえるようなものは存在しない。
こちら側の鬼、は袋を被っていたり、仮面を付けているということはなく、頭のてっぺんよりやや前のところから一本、角が生えていた。意外と細く、円錐形ではなくどちらかといえばナイフなどに近い。反りがあって、先は尖っている。生活に支障がありそうだが、大丈夫なのだろうか。
色はなんというか、灰色とか黒色とかの無地だ。派手ではないし、かといって存在感がないかといえば断じてそんなことはない。
そして彼らは、地面を這うサソリを手で捕まえて、毒針を刺してくるのも気にせずバリバリとかみ砕いて食べたり、手頃な大きさの岩を――まるでリンゴにするように――手で砕いたりと。そんな光景が当たり前のように広がっていた。
家もないし、まともな食事もない。楽しく会話をしている様子もなく、手持ちぶさたに岩を砕く。
想像していたよりずっと酷いその有様に、立ちすくんで言葉を失った。
「マシになったな」
信じられない雅の言葉に、彼女の顔を見つめてしまう。ヴァンの心中を察したのか、雅はゆっくりと頷く。
これより酷かったなど想像もできないが、事実らしい。
「我は黙っている。後は、好きにやれ」
「ああ、分かった」
示された位置で待っていると、一人の老人が集落の奥からやってきた。腰の曲がった禿頭の老人で、立派な角が額上部から突き出ていた。服装は麻布を巻いて、手や足のところに穴を開けただけのような、簡素なものだった。族長と言えど、服の原材料となる物がそもそもないらしい。寒くないのかと疑ってしまうが、そこら中で火がたかれているこの場所は、標高の割に暖かい。すこし暑ささえ感じてしまうくらいだ。
彼は瞳をヴァンに向け、感慨深げに唸った。
「お主が……この土地の恩人の、かのオリエンタの息子か」
「あ、ああ」
父親がなぜ恩人なのかは分からなかった。思い返してみれば、息子という立場であるにもかかわらず、自分は彼について何一つ知らないのだと思い知らされる。
一緒に生活しておきながら、彼が『人間ではない』という事実さえ、当人が死ぬその時まで知らなかったのだから。
「儂とて、噂に聞くグラム・オリエンタと直接話をしたことはない。だが、ずっと山から出ずに、ただ何もせずに受け入れていた我々からすれば、いくら礼を言っても足りぬのだろうな」
言っていることの中身の大半が、ヴァンには分からなかった。
「で、なぜその息子であるお前がここに?」
「えぇ……まず1つ。俺の親父は、数年前に死にました」
「ほう……まだ寿命は…………いや、野暮なことは訊くまい。殺されたか」
「は、はい……」
「だが、答えになっていないな。なぜここに?」
「貴方たち鬼の、その力量を見込んでお願いがあります」
「断る」
まだその内容すら言っていないのに、族長はきっぱりと言い切った。最初から協力する気は皆無であるというように。
「待ってください。せめて話だけでも」
「恩人の息子だ。話は聞いてやる。ただし我々は山を下りない。絶対にな」
こちらの話を、ある程度は読んででもいるのだろうか? だが大丈夫だ。まだチャンスはある。
「俺は……親父やその他の吸血鬼の仇を討つために、今軍に所属しています」
「それで」
「吸血鬼などを専門に相手取る部隊、特別不死者被害対策科を、壊滅させたいと考えているわけです。厳密には、かつての作戦に関わった全員を」
「なるほどな。くだらないとは言わないさ。親の仇も取れないような腑抜けでは、かのグラム・オリエンタも悲しむだろう」
実際に見たことすらないと言っていたのに、あたかも彼を知っているように族長は言う。
「それで、協力して頂きたく思い、お願いに参りました」
「断る」
「なぜですか? かつて、あなた方は住み家を追われた身です。軍に対して、恨みだってあるでしょうに」
「あるな。だが昔のことだ」
「しかし……ではこれからもずっと山の中で過ごすのですか? もとは、下界で普通に暮らしていたと聞いています。もう一度、外で暮らしたくはありませんか? その当時からは、想像もできないくらいに変化しているはずです」
「だろうな」
「では――」
「だが断る」
「クッ……」
どうあっても、折れてはくれなさそうだった。外の世界に対しての興味というのは、絶対にあるものだと思ったのだが。
「この生活で満足しているのですか? たしかに、俺はあなた方のことは何も知りません。しかし、到底、あなた方にとっても良い生活であるとは思いがたい」
「我々は強靱だ。数日何も食べなくても生きていけるし、どこで眠っても痛みはない。外に行きたいと言う者など……おらんさ」
それは最早、水掛け論と化していた。
「どうしても……ご承諾頂けませんか」
「ああ。だめだ。力ずくでやってみるかね? 死ぬぞ」
事実だろう。一人二人なら殺せるかもしれないが、その後は袋だたきだ。
「…………」
「ヴァン」
諭すような声音で、雅が背後から声をかけてきた。後ろ髪を引かれる思いではあったが、もう時間の無駄であることは明白。歯を食いしばりながらも、頷いて見せる。
「分かりました……失礼します」
踵を返して歩き出すヴァンの足取りは、目に見えて重たかった。実際に、数倍は重くなっているのではないかと見紛うほどに。
この山は火山らしい。火口はもっと上だが、不自然にここ一帯が温かいのはそのせいもあるのだろう。
などと関係のないことを考えつつ、これからどうしようかと項垂れる。
そもそも、誰を殺すのだ。
レイリはもちろんだが……その後は? ハニカは、ベルは? 今まで仲良く接してきた隊員たちには、不覚にも既に情が湧いてしまっているのだ。殺せるのか……?
いや、それでも、殺さなくてはならないのか。
門を出ようとしてたヴァンたちの背後で、聞き慣れない女の声がした。振り返ると、ヴァンよりも身長が若干高い女が、肩を上下に揺らしながら立っていた。少し息を荒げていて、急いで走ってきたのであろうと分かる。
「何か、用ですか?」
丁寧にヴァンがそう聞くと、女は意外なことを口にした。
「私が協力してやる」
「え?」
耳を疑った。先ほどまで、ここの族長はあんなにも頑なに拒んでいたというのに。なぜ、この女性はそんな申し出をするのだろうか。
何か、裏があるかもしれないと心構えをしておく。眼前に佇む女は、しっかりと角の生えた鬼だ。こちらも麻布を巻いたような簡素な服装だったが、こちらはスカートのように下半身側が開かれていた。
「話は聞いていた。外の世界に出たことがないんだ。出てみたい」
「え、いや……その、申し出はありがたいんですが、いいんですか? 族長の許可とか、いろいろ」
「それは問題ない。一族とは言っても、法のようなものや掟は存在しない。一人一人が何をしようと、各々の勝手さ。まあでも、好んで山を下りたがるのは私ぐらいなものだがな」
変わり者というのは、どこの世界にもいるものだ。
だが、ヴァンは少しだけ違和感を感じていた。
この女には会ったことがないし、ましてや声を聞いたことなどあるはずもない。聞き慣れない声であることは間違いないのだけれど、でもどこかで聞き覚えがあった。
だが、協力してくれるのは願ってもないことだ。危険がないわけではないが、利用させて貰うほかない。
「ありがとうございます……では、是非ともよろしく……」
――「だめだキラル!」
そこで、声が聞こえた。見ると、追いついてきたのだろう族長が立っている。
「お前はまだ若い。わざわざ……そんな――」
「わかるだろう族長!!
族長の発言を、キラルと呼ばれた彼女は遮った。
「キラル……あれは、あれはおぬしが責任を感じることでは……ッ」
族長は唇をかみしめる。それはまるで、縋るような視線であった。
「じゃぁなにか?」
そう、キラルは切り出す。
「私たちは……なにより私は……このまま、いつかの、まだ私が産まれる前の彼の大恩に……泥を塗ったまま生きていかざるを得ないのか!? 私たち鬼は、いつからそんなに落ちぶれた? 今、その泥を、恥を、濯ぐ機会を、他でもないその息子がもたらしつつある! これを逃せば、私たちはもう一生、先祖に顔向けなど出来ない」
「…………」
族長は黙っていた。
「行こう」
キラルは振り向くと、ヴァンの顔を見てそう言った。
しかしヴァンは、疑問を口に出さないわけにはいかなかった。
「どういうことだ? 話が読めない。一体……なんの話を――」
「今はまだ許してほしい。いつか、必ず話す」
ヴァンとキラルの視線が交差した。その真剣なまなざしに、ヴァンはもう何も言えなくなる。
「私はキラルという。お前は?」
「ヴァン、ヴァン・オリエンタだ。こっちは雅……狼の姿になれる。そのときはロボって呼んでやってくれ」
「分かった」
その返事は重かった。
たった一人だけになってしまったが、しっかりと協力者を確保することができた。上出来とは言いづらいものの、及第点だろう。
しかし流石にキラルをそのまま軍に連れて行くわけにもいかない。どうしようかと思案していると、なんと野宿で良いと提案された。
いくら鬼とはいえ、女を一人で野宿させるのはいかがなものかと思うヴァンだったが、「ここでの生活となんら変わらない」というキラルの主張に負け、道中の林で置いてくることに決めた。
山を下りて、彼女と林で別れるときはかなり心苦しかったが、そうする以外に方法もないので、仕方なく別れを告げて首都アローラへと戻る。
ヴァンとロボが軍施設へと戻ったのは、朝日が昇ってからしばらく経ったころだった。
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