第19話 第二の契約

 その日の夜、部屋で書類の整理をするヴァンの元に、彼女は来た。

 コンコンコン、丁寧で控えめなノックの音が広くもない部屋に響く。ロボは反射的に部屋の隅へと移動して、そっと体を丸める。

 それを確認してから、ヴァンは扉に向かって呼び掛けた。

 ガチャリ、ゆっくりと扉が開く。現れたのは昼間自分を擁護してくれた少女、ベル・マララ・ミームであった。

 資料によれば、身長148センチ、体重46キロとかなり華奢だ。そしてそれは、見た目でもそのままである。


「どうしたんだ? こんな時間に」

 尋ねると、ベルは窺うような目線でヴァンを見つめた。そして、こう切り出す。

「隊長は、吸血鬼の使う神通力以外の魔法は使えないんですよね?」

 と。


 なぜ彼女がそんなことを訊くのかが、ヴァンには分からなかった。だがしかし、一応答えておく。

「当たり前じゃないか。そもそも媒体は、一種類しか持てないだろ?」

 そう、原則として媒体は一種類しか持てない。それ故に、人は一種類のカテゴリしか使えないのである。たしかに、武印道によって施された刻印は例外である。あれは『刻印する側』に技術が求められるだけであり、使用者は魔力を流しているに過ぎないからだ。つまり、それを用いれば事実上複数の魔法を操れることになるが……高度な術式は刻印することが困難なため、ほぼ不可能だろうとされている。


 しかし続くベルの言葉は、ヴァンの想像の斜め上をいくものだった。

「たしかに、原則媒体との契約は一種類しかできません。そう、契約は」

「契約? なんだそれは?」


 ヴァンはその行為を知らなかった。媒体との契約を、知識として持ち合わせていなかった。


「やっぱり、知らなかったんですね。バッシュとの戦いの時、術式のへんさんをしなかったのでもしかしたらと思ったんです」

 予想の的中がよほど嬉しいのか、パッと表情を明るくしてベルが続ける。


「だから何なんだよ、その契約ってのは?」


「はい。本来、魔法の術式構築に使われる媒体は、使用者との契約を通して使用可能になります。しかし、契約をせずに魔法の使用ができる場合があります」


「・・・・・・俺だ」


「はい。種族として最初から魔法を使える場合、厳密には――媒体が血液や骨、声といった産まれながらにして持っているものの場合は、契約を必要としません」


「なるほど、それで最初に言ってた、『媒体との契約は一種類』ってのに戻るわけだ」


「流石、お察しが速いですね。そう、つまり契約していない隊長の場合、もう1カテゴリ魔法が使えるわけです」

「そいつは便利だ」

「で、ですね」

 ここからが本題だというように、ベルはぱちりと手を合わせる。ヴァンが先を促すと、すぐに話し始めた。


「その真っ黒なナイフなんですけど……私の見立てではおそらく魔剣です」

「魔剣?」

「はい、魔剣です」

 それはまた、幼稚な響きである。


「その、どういうもんなんだ?」

 たしかこれは、ダライニが昔友人に鍛えて貰ったもので、昔使ったきり、ヴァンに渡すまではずっと箱の中で大切に眠らせていたらしい。それが、魔剣とは……。


「魔剣、それはその名の通り魔なる術式を操るための剣です」

「魔なる術」

 その響きを聞いて、つい自分にぴったりだと思ってしまった。

「カテゴライズの名称は暗黒魔術。使える術式はただ一つで、威力は膨大ですが魔力を全て持って行かれます。それでも良いのなら……」


「あたりまえだ。で、その契約とやらはどうやるんだ?」

「あ、はい!」

 何がそんなに嬉しいのか、満面の笑みを浮かべるベル。

「では、契約の方法をお教えします」

「ああ、頼むよ」


 それは、思いのほか簡単なものだった。

 まず、その媒体が入りきるくらいの魔法陣を描く。真円に正八角形を合わせ、円と八角形の間に印を付ける。

 内部にいくつかの楕円、半円を重ねた後、中央に媒体を置く。

 円の端、四角形を二つ描きその中に掌を入れる。最後に魔力を流し込めば、ひとまず契約が開始される。

 脳内に流れ込んでくるのは、契約書だ。


 既に自分の名前が書かれている契約書だが、あくまでイメージである以上拇印はできない。故にただ、「問題ない」と心中で呟いた。

 ぱっと契約書が消え、魔法陣が床に溶けるように滲んでいく。それがしっかりと消えた後で、ヴァンは立ち上がる。ナイフは一瞬光を放った後で、ひとりでにヴァンの手へと戻って来た。


「契約完了です」

 ずっと見守っていたベルは、ほっとしたように表情をほころばせた。

「ああ、ありがとう」

 それは心からの言葉だった。

「いえ! 当然のことですから」

 少し頬を赤らめて、ベルはそそくさと部屋を出て行く。扉が閉まったところで、ロボはヴァンに歩み寄ってきた。



「変わった者もいるのだな」

「そうだな。ありがたい限りだよ」

「そういえば、一つ言い忘れていた」

「ん? なんだ?」

「いや……我の、人間化している時の呼び名だがな……」

「あ、ああ」

みやび、そう呼んでくれ。ブランカのじいが付けた名だ」

「雅か……分かったよ。普段から呼んじゃいけないのか?」

「それは……なんとなく気恥ずかしいだろう」

 そう言って、顔を背けるのは狼だ。

 なんだか似合わないな、と心の中で苦笑しつつヴァンは頷いた。

「じゃあ人間の姿の時はそう呼ぶさ、ロボ」

「ああ」

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