第10話 父と狼の因縁

 一瞬で、回りを取り巻くジメジメとした空気が交換されたような錯覚に陥る。ほのかに明るい光が満ち、辺りを神聖な雰囲気が取り巻く。そして静かに、その口上は始まった。


彼方かなた・昇りゆく騎士たちの勇姿は二四にして、戦史に残るは僅か  一八の鉄槌てっつい・三八の灯火ともしび・七六の雫が地に落つる時 我らがあたまはその腰を上げた


 此方こなた・散りゆく戦士たちの願いはただ一つにして、叶うものは少し  二〇の残り火・一五の火種・未だ無き明日に向け 我ら進撃せん』


 白い球が地面から浮き出てくる。その数五つ。ヴァンとロボを囲むようにして、等間隔に間を開けながらグルグルと回りだす。

 空気そのものが白くなっている。ヴァンはそう感じた。その場を取り巻く大気が、空間が、雰囲気が白む。


 白い球が正面に揃い、横並びになる。ゆらゆらと揺らぐそれらは、ばらばらな動きから次第に同調していった。等しい速度でゆらりゆらりと動いた後、停止。真っ直ぐに飛んでいき、見えない壁にぶつかって弾ける。


 壁に生まれた波が広がり、それと同時に何行にも連なった文字列が壁に沿って走る。その一帯を覆っていたのであろう結界が溶けるように消えていく。その景色はこの上なく幻想的で、しばらくの間ヴァンは声が出せなかった。


「ここの口上は長くて困る。さあヴァン、中に入るぞ」


 なれなれしくも呼び捨てで呼んできたロボを睨みつつも、ヴァンはゆっくり一歩を踏み出した。

 丸くくりぬかれたようなその空間はかなり大きく、円を描いた1線の外と中とでは雰囲気もまるで違っていた。そこで丁度森が途切れている――実際に途切れているのだが――ような印象を受ける。


 柔らかい土と草、それに背の高い木が乱立する森から1歩里へと踏み入れれば――そこはもう別世界だ。

 どこからともなく、3匹の白狼がヴァンの前に現れた。大きさは3匹ともまばらで、先頭の1匹はロボよりも大きいが他の2匹はそうでもなかった。凜としたたたずまいで、警戒心を滲ませつつも視線はロボに注がれている。


「只今戻った」

 若干状況には似合わないが、ロボが挨拶をする。


「おかえり、と言っておこうかの。して、これはどういった了見じゃ?」

 先頭の、老年と見える狼の目が光る。


「不測の事態だった。この者に運んでもらったのだ。安全とは言い切れないが……我があの場所で死ねぬ理由はあった」


「なるほど。種を危険にさらしてまで帰ってくる理由があったと申すか。良かろう。ひとまずはこの者ロボを治療せい。そして少年よ、お主は儂に着いてきなさい」


 ちょっと待て、と言いたかった。だが、残念ながら言える雰囲気ではない。

 そっとロボを地面に下ろすと、左右に控えていた二匹の狼が寄ってきて、咥えて背負って運んでいく。


「儂はブランカ。この里の長老じゃ。少年、礼をせねばなるまいが、それは主が安全じゃと分かった後じゃ。儂らにとって危険な存在ならば……始末せねばならぬのでな」

 右目から頬にかかって縦に入る傷が、そのセリフをより生々しいものにしていた。たしかロボが『恩を仇で返すほど落ちぶれてはいない』とか言ってなかったっけか……。


「着いてこい」

「分かったよ」


 真円の形をしたその一帯は、狼たちの住み家にも関わらず家屋が建っていた。まばらではあるが、数は少なくない。木造の簡素な家で、入り口は押せば簡単に入れるようになっている。丸太を積んだような屋根だが、若干暗い色合いをしたその木材は場の雰囲気をより濃密なものへと押し上げていた。


 半径百メートル程の――狼が住むにしては大きめの――敷地に、まばらに見える白狼たち。規則的に地面に突き立てられた棒の先端には、白く淡い光を放つナニカが見える。高さは2メートル程で、ヴァンの腰ほどの高さしかない彼らがどのようにしてこれらを建てたのか不思議だった。


 目の前の大気が揺れているのではないかと思う。真夏に見える陽炎かげろうにも似た空気の揺らぎが視認できた。錯覚に近いものだと分かっているが、やはり落ち着かない。霊的なエネルギーが高密度で高まっているために起こる現象だが、ヴァンはそんなことなど知らなかった。


 少し歩くと、ブランカは家の中に入っていった。他のどれとも変わらない、ただの家屋だ。 身をかがめて小さな扉から中に入る。中の大きさは普通の家と大して変わらない。ただしワンルームだ。家具は特になく、藁で編まれた座布団のような物が二つ置かれていた。


「客人などあまり来ないものでな、客室ではあるんじゃが……容赦してくれい」

 簡素な室内に対し、ブランカが社交辞令的謝罪を述べる。

「構わない。で、何をするんだ? 尋問か? それとも心でも読むのか?」


「尋問などしないさ。少し答えて貰いたい」


「ああ。しかたないだろうな」


「まずは名前を」


「ヴァンだ」


「ほう……」

 ブランカに促され、藁の上へと腰掛ける。当然のように、ブランカは対面に座った。それと同時に、思案するような難しい顔になる。

「質問は?」

「ヴァン、と言ったな」

「え? ああ」


「すまんが、フルネームで聞かせて貰おうか」

「構わないが……それがどうかしたのか?」

「いや、特に意味はない」


――まさか、そんなことは有り得ない。それではあまりにもできすぎている。タイミングも、こやつも…………じゃがそれが必然でも有り得ないじゃろう。だとすれば偶然か……。いや、そもそもこやつがあやつの息子であるわけが


「ヴァン・オリエンタだ」


――あったようじゃ。とすれば、こやつから漏れ出るこの半端な吸血鬼臭にも説明が付く。


「ハーフか」

「あ、ああ。あれ、俺言ったか?」


 ロボでの経験から初見でハーフだと見抜けることはないと思っていたが、実際には可能なのだろうか。


「言っておらん。オリエンタ、と言ったな。父親はグラム、間違いないな?」


「え……父さんを知ってるのか?」


「残念ながらの。質問は終わりじゃ、それが分かれば、信用に足るかなど意味を成さぬのでな」


「だが……俺が本当にグラムの子かなんて分からないんじゃねーの?」


「その質問が既に、というのは無しじゃろうな。先ほどから感じている違和感が、お主をハーフと仮定すると説明が付くのじゃ。それに、似ておるのじゃよ。お主とあやつは。儂は儂の目に自信を持っておる。儂がそう思った、それで十分じゃ」


「自分至上主義っすか」

「皮肉のつもりか?」

 うっすらとブランカが笑う。彼がはじめて見せた笑顔だったが、当然ヴァンには疑問が残る。


「で、どんな関係だったんだ?」

 父の友人と知ったからには、やはり好奇心が出る。


「戦友、じゃよ。或いは――悪友というべきかもしれんがの」

「悪友……」


 昔を思い出すような遠い目線で、ブランカはそう言った。

 思わず言葉を反芻するが、記憶の中の父は“吸血鬼”ではない。よき父親であり、また常に『普通』を重視する親であった。回りと同じように、というのを意識しているのが口に出さずとも分かった。それをヴァンは感じ取っていたのだ。今思えば、ハーフであるという特異性を隠したかったのかもしれない。


「昔の話じゃ。もう、四半世紀しはんせいきも前じゃよ」


「そうっすか」

――何があったのか……教えてくれる気はなさそうだな。


「拙い敬語は見苦しいぞ。儂には自然でよい」


「礼節を重んじる種族、とかない……のか?」


「そんなもの、とうに捨てた。あの戦いに礼儀や美しさなどありはせぬさ」


 昔を思い出し、そっと心の中でブランカは呟く。

――礼儀など、あの場所に……置いてきた。


「え?」


――罪などない。罰も受けない。だが、自分は罪深い。もっと多くの者が助かったと考えるのはおごりであろう。しかし、あれほどの者が死んだとあっては……。


 たかが一体。それを相手取ってにしては損害は大きすぎた。


「お~い」

「ん……ああ、すまぬ。年のせいかぼーっとすることが多くての」

 ブランカは笑った。だが、どこか固い表情だった。


「いくつなんだ?」

「数えるのは二百の時に諦めた。だが、狼の中では儂が一番歳をくっておる」

「ハハハ……」


 桁がおかしいが、自らの父もその程度なのだ。それを知っているだけに、ヴァンは驚ききれなかった。


 自分の父親のことには無論興味がある。ヴァンが吸血鬼であることは生涯隠そうとしていたに違いないが、死に際になってそれを明かした。そしてあの時点でまだ死ぬ気がなかったのならば、あの行動にはそれ相応の意味があったはずだ。それが疑問だったが、ここで晴らせるかもしれない。


 しかし、ヴァンがその質問を投げかけるよりも早く、ブランカから問いがされた。


――「父親はどうしておる?」


 ぐさりと、ヴァンの胸に刺さった。

 スッと押し黙ったヴァンを見て、ブランカが不思議そうに首をかしげた。

 グラムはまだ若い――吸血鬼にしてはだが――死ぬような歳では……


「殺されたさ」

 ブランカは全身の筋肉が強ばるのを感じた。遂には耳がおかしくなったのかと疑うが、たった今聞いた声は記憶の中で明瞭だ。

「誰にか、教えて貰えるかの」


「軍だ。俺は今、その復讐のために生きている」

 できすぎている。ブランカは再びそう思った。

 親が殺され、その復讐を誓った子供がたまたま自分たちのところを訪れるなど、と。ましてや、それをロボが聞いていたなら……

「ロボの奴には、話したか?」

「いいや、そもそもグラムの子供だということすら知らない」

「そうか……」


 安堵のため息を吐いたと同時、恐れるべき事態は起きた。

「じいさん、残念だが既に聞いた」

 それはまさしく、ロボの声。


 入り口の扉を押し開けて入ってきたのは、ロボとその付き添い。

「す、すいません長老。まだ寝てなければと申したのですが……」

 ロボの後ろにたたずむ小柄な狼が申しわけなさそうに口を開いた。

「く……タイミングの悪い」


 恨み言を漏らすブランカを無視し、ロボはヴァンに向かって言い放った。

「話は聞いた。我はお前に同行しようと思う、ヴァン」


「え、なんで――」


「ならぬ!」ヴァンを遮り、声を荒げたのはブランカだ。


何故なにゆえだ、じい」

「我々白狼が復讐など、そのような誇りなき行動など……!」

「礼節や美しさは捨てた。そう自分でいったはずだ」

「ぐぬぬぬ……」

 いつからこんなにも揚げ足を取るようになったのか……


「いや、待ってくれよ。なんでお前が同行するなんて話になる?」ヴァンが戸惑うのは当然だろう。


「我らが友、グラム・オリエンタが殺され、その息子が復讐を誓った。それを助けぬ理由が、我には分からぬ」


「じゃがロボよ! 儂らはもう下界には下りぬと――!!」


「下界という言葉は嫌いである。我らは『上』の存在ではないのだ」


「そんなことは聞いておらん! 儂が言いたいのは――」


「リッチの件もある。我がくのはその役にもたつと思うが」

 それは、ブランカが予想していた答えだった。そしてそれは同時に、最も聞きたくなかった返答でもある。


「く……」

「返す言葉もあるまい。じい」

「じゃが……」

「死んでいった者たちの想いもある。それを無駄にするか、長老」

「く………………ッ。分かった、許そう」


 苦渋の決断、全身でそれを体現したような様子でブランカは絞り出した。

「ヴァン、グラムの息子よ。こやつの同行を許してやってはもらえぬか」

 仲間ができる。それがヴァンの脳裏をよぎった。


「できれば遠慮したいね」

「なぜだ」真剣なロボの眼差しが、ヴァンに突き刺さった。


「仲間は作らない、そう決めたんだ」

「ほう……理由を、教えて貰えるかの」

「俺を弱くするからだ」


 それを聞いて、低く、ロボが唸った。

「よくあるセリフだな」

「あ?」

 小馬鹿にしたようなロボの言葉に、思わずけんか腰になる。


 ロボは続けた。

「仲間ができれば甘えがでて、それは自分を弱くする。よく聞く言葉だと言ったんだ」

「馬鹿にするならそれで構わないさ。だけどな、俺はそう思ってる。仲間は御免だ」

「その考えには、決定的な綻びがある」

「なに?」


「味方がいればできることは増えるだろう。安全性も増すだろう。お主がもし本当に復讐を望むなら、戦力は少しでも上げておくべきだ」

「だが、俺自身の戦闘力が下がっては意味がない」

「では訊くが、お主の戦闘力が現在百だとして、我も百だとしよう。我が仲間になって、それでお主の戦闘力は減るのか?」

 ヴァンは答えを返すことができなかった。二人を足した合計が、差し引きして1人分より小さくなどなり得ない。それは、自明だ。


「…………」

「では、だめ押しだ。グラム・オリエンタの友を、お主はここで捨てていくのか?」


「クッ…………ああ分かったよ。一緒に来てくれ。その代わり、死なないでくれよ」

「もちろんだ。ありがとう、恩に着る」

 深く、ロボはこうべを垂れた。


 あの村で起こった出来事、その後自分に降りかかった運命。決意。そして吸血鬼の師匠ができ、彼には復讐について言っていないこと。

 ほとんど全てをヴァンは話す必要があった。

 親の友人である、その事実は信用できたが、何も教えてはくれない彼らに対して一方的に話をするのは気分がよくなかった。


 話を聞いたロボは、怒りに震えた。


 救世主を、世界を救った【翼持ち】を、彼を、あろうことか殺すなど……ありえない。


 世界を見ても、歴史を探しても類を見ない彼女を、殺すなど……ありえない。


 そして、ブランカも震えていた。憤怒していた。

 ロボを送り出すことを、多少なりとも肯定できる程度には。理性は許さないが、感情はそうは言っていない。軍を根絶やしにせよと、白狼全勢力を以て彼らに報復を与えよと騒いでいる。

 だが、それを押さえ込むだけの理性と経験を、彼は持っていた。それ故、表面には出していない。


 そっと、ヴァンは思う。

――国がこんな状況ならば……きっと吸血鬼は皆どこかへと隠れ住んでいるんだろう。人を殺すわけじゃない奴だってたくさんいるだろうに……軍に付け狙われている。なんでこの国は、吸血鬼をそこまで殺そうとするのだろうか……。


 父がなにをしたのだ、村の皆が何をしたのだ……


 なんで、国は……吸血鬼という種族を……





 この世界は、現在主に三つの技術から成っている。


 1つは機械。古来から徐々に発展してきた技術であり、霊的な動力や超常的な現象を必要としない、いわば知識があれば誰でも扱える技術である。二十数年前、この世界に降り立った召喚者が協力し、飛躍的な進歩を遂げたことでも知られている。


 2つは石術。特に東で普及している技術であり、魔力の籠もった石を用いて現象を引き起こす。


 3つは魔法。魔導書での魔導や、吸血鬼の神通力、或いは召喚術など幅広い分野がある。世界で最も多く普及している技術であり、カローラでも使用率がかなり高い傾向にある。そしてその根底にある考え方が、文字だ。古代の文字や、口上、文字による刻印などを用いて、意味ある『文字』の力と魔力による効果を引き出す術。詠唱も、口上もまた空気に文字を刻みつける儀式に過ぎない。古代文字による詠唱や魔法陣など、その方法は多岐にわたる。


 ヴァンやダライニを始めとする吸血鬼は、分類上魔法を使用している。神通力などのことである。これらとは別に、種族が固有として所持している能力がある。吸血鬼でいえば『闇の中でも対象を視覚的に捉えることができる』などだ。


 そして白狼には、いわゆる嗅覚があった。

 つまるところ、闇なる者の臭いをたどることができるのだ。そしてそれを利用して、ヴァンは無事ダライニの下へ戻ることができた。


 具体的には、ヴァンの通った道にある残り香を辿っていった。


 しかし、この後は少々厄介なことになった。

 ダライニはロボの持つ雰囲気を敏感に感じ取って戦闘態勢に入り、そのオーラに当てられたロボも応戦の構えをとったのだ。


 すぐにヴァンが割って入って抑えたが、正直言って生きた心地がしなかったが……その話はまたの機会にするとしよう。

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