第11話 必ず来るとわかっていた

 そして、物語の針は更に数ヶ月の時を刻む。


 カローラに降り立つ、一つの影があった。

 リンと同じ紳士服に身を包み、胸元に十字架を掲げた青髪の男。名前はブラウ・シーニ・ビスク。リンが憧れ、いつか会うことを夢見た男である。



 吸血鬼としての経験と知識を積み、一人前と言える状態まで成長したヴァン。

 そして突然に、そのときは来た。


 時刻は昼。馬車は一台だ。なんら変哲もない普通のものだった。


 そのときはたまたま、3人と1匹は外に出ていた。小屋の前の開けた芝生の上で、食事を終えてからの談笑タイムだった。特に風貌の変わらぬダライニと、心なしか身長の伸びたリンの姿があった。


 そこへ、断続的な音。それは、馬が地面を蹴る音と、車輪が転がる音だった。慌てて全員が立ち上がり、音のする方向へ体を向ける。こんな辺境へ人が、それも馬車が来るなど、かなり珍しい話である。


 馬車は空き地に入って止まった。静かに扉が開き、1人の人物が降りてくる。彼はこちらを見ると、すぐにこう言った。



「初めまして。貴方が……ダライニ・カスタリス氏ですね」


 その見た目から、すぐに騎士団ギルドの人間であることが分かる。それもリンと同じ浄化者ストーカーだ。それがなぜ、ダライニの名を呼んだのか……?


 少し長めの青髪と、それと同じ色をした瞳。しかし、胸元には彼らのシンボルであるはずの十字架がない。彼らにとって何よりも大切であるはずのそれは、既に武器へとその姿を変えていた。男の右手に握られた純白の剣に気付くと同時、全員は戦闘態勢へと移行した。なぜ、ここにギルドの人間が……


 ダライニとヴァンをオーラが包み込み、ロボが身構える中でしかしリンは驚いたように声を上げた。


「あ……貴方は……ブラウ氏、ですか?」


 珍しく、緊張した様子でそう問うたのだ。どうやら、リンは彼に見覚えがあるらしい。男はまだ剣を構えてはいなかった。体の横にだらりと下ろすだけなのだが、もしかするとそれが既に構えているのかもしれない。ハンターに常識は通用しない、その事実はヴァンでさえ知っていた。そんな男はヴァンの後ろ、ダライニの向かって左側に立つリンを一瞥して答えた。


「ええ、そうですよ。私はたしかに、ブラウ・シーニ・ビスクです。そういう貴女は? 見たところハンターのようですが……」


「ええ。流石に覚えてはおられませんよね。数年前、とある教会で助けて頂きました。今日まで、貴方にお会いできることを夢見て生きてきました。まさか、こういった形で――」


「――そうですか。分かりました、会えて嬉しいです。私も、流石に同じギルドの人間を殺したくはない。どこかへ消えていてください」


 ブラウはリンの言葉を遮り、端的にそう言い放った。言葉とは裏腹に嬉しさなど微塵も感じさせぬ、平坦な口調だ。


「い、今なんと……」

「それから、ヴァン・オリエンタ様ですね。そちらの狼はお連れ様でしょうか? まあ、問題ありません。馬車にお乗りください」


 今度は完全に無視して、ヴァンとその隣のロボを見ていた。背後に止まる馬車を左手で示し、ニコリと笑う。それが、ヴァンには嘲笑のように思えてならなかった。


「ちょっと待て、いくらなんでも無礼が過ぎるだろう。これはどのような了見だ」


 ダライニは半歩前に出て、リンとブラウの間に立ちふさがるような形を取った。落ち着いたように話すが、内心ではイライラしているのがヴァンでも分かる。


「無礼……ですか。それは失礼、ですがこれも依頼ですのでね。私は貴方を……ダライニ・カスタリスを殺さねばならぬのですよ」


 一瞬、その場の空気がなくなったのかと思った。驚きのあまり呼吸を一瞬の間忘れる。そこで、ロボがブラウの言葉を反芻はんすうするように低く唸った。


「依頼……」


 それが意味することは、その場にいる誰もが分かった。そこまで来てやっと、リンは諦めたように十字架を銃へと変化させる。

 状況から察するに、軍はハンターを使ってダライニを殺すつもりなのだ。そして自分を連れ帰る。連れ帰られるのは仕方ない。しかし、ダライニを殺させるのはどうしても避けたかった。その考えに行き着いた瞬間、ヴァンの中で何かが弾ける。


――二年前とは違う。


 その想いが、爆発的に全身へと広がっていった。怒りは大きなエネルギー源となり、一定数を超えて爆発する。ヴァンの全身を覆うオーラが、一瞬で熱くたぎった。


「血の気が多いですね。貴方だけは……殺してはいけないのですよ。察しては頂けませんか?」


 一切の色を感じない瞳や声音が、ヴァンの恐怖心をそっと撫でる。


――剣……か。


 ヴァンにとって、ハンターの武器はリンの持つ銃が唯一だった。だが、恐れるに足らない、たかが剣だ。右手に握ったナイフ、ダライニが己に贈ってくれたナイフである。だから――コレでッ!!


「待てヴァン!」


 ダライニが静止の声を上げるが、その波はヴァンの耳に届かなかったようだ。一直線でブラウへと接近して跳び、全身を使って斬りかかる。


 ブラウはそれを剣で受けることなくさらりと避け、空中で獲物を失ったヴァンを横から蹴り飛ばした。


「空中では制御が利かない、そんなことも分からないので?」


 激しく地面を転がったヴァンに向かって、まるで唾でも吐くように言い放った。そこに、リンが思い描く彼の秀麗さは存在しなかった。ロボがすぐにヴァンのもとへと駆け寄ると、彼は苦しそうに顔を上げて目を合わす。


「貴様……ッ!」 ダライニを覆うオーラが一際大きく波打ち、彼はそのまま勢いを付けて飛びかかろうとした。


「待って」


 それを、リンが制する。訝しむように背後、リンのほうを振り返ったダライニにそっとリンは頷く。それが意味するところを、ダライニは分かっていた。数歩リンが歩み出て、ダライニとブラウの間に位置取る。


「どういうおつもりですか?」

 眉をひそめたブラウに対し、リンはなるべく落ち着いてみえるよう気をつけて話した。


「まずは、少しお願いをします。貴方がどういった依頼を受けたのかは知りませんが、身を引いて頂きたい。私の知る限り、ここにいるダライニ・カスタリスは我々が殺すべき人ではありません。これは……ハンターとしての存在意義にも関わる話です」


「なるほど。ですが、それは私の行動には関係ない話だ。ギルドへと依頼が来て、それが私に指令として下りてきた。だとすれば私は、それを完遂せねばならない」


「退く気は……ないのですね?」

「ええ、もちろん」

「残念です」


 リンは沈痛な面持ちで、だが決意し銃口を上げる。照準は、むろんブラウの額だ。

 ブラウは訊いた。

「もう一度、始めの問いをします。どういうおつもりですか?」


「自らの正義を貫け。それがギルドの教えです。だとすれば、私はコトの背景が推測できた人間として、貴方に銃を向けましょう」


 そっと、ロボへと目配せをする。それだけで、ロボはその意図が分かったようだった。即ち、『ヴァンを連れて逃げろ』である。鼻先を器用に使ってヴァンを自らの背中に乗せたロボは、抗議の声を上げる少年を無視してそのまま進行方向を背後へと定める――しかし走り出すことはしなかった。否、できなかった。


 すぐ近く、森の中から数人の兵士が出てきたからだ。前に二人、後ろにも二人、森側に一人。戦おうにも、背中に人を乗せたままでは不可能。一度下ろそうかと思案したところで、前方の一人が右手を地面に突いた。空いた左手に一冊の分厚い本が握られていることに、ロボは遅まきながら気付く。


 ひとりでに、本が開いた。風にでも煽られたように凄まじい速度でめくられていくページが、止まると同時。


「地に這いし蛇よ、その身を用いて縛りと為せ」


――クッ……よりにもよって魔導師……ッ!


 マズイ、そう思った時にはもう遅かった。ヴァンとロボの周り半径一メートルに、簡素な魔法陣が形成される。やはり文字が走っていた。


 使用術式が捕縛ならば、状況と合わせて考えても相手方は自分たちに危害を加える気がない、そうロボは判断した。もっとも、ヴァン限定という制限付きではあるが……


 一瞬後に、全身が金縛りにでも遭ったかのように動かなくなる。苦しげにヴァンが呻いた。


ミラ・ラルーガつちのへび、随分と下級の魔法を使うのだな」


 声だけは発することができた。相手は答えないが、この技は相手を動けなくするだけとシンプルであり、それ故に効力が大きい。そしてなおかつ発動速度が速い。

 この状況では、最善の選択といえるだろう。


 魔導書は開いたまま、どうやらこのまま捕縛状態を保持するつもりらしい。


「何をするか!」 その状況を見たダライニが走り出す。

 しかし、信じられない速さで――リンが反応できなかったほどだ――ブラウが立ちふさがった。


「危害は加えませんよ。安心して下さいな」

「く……」


 形勢は不利だ。ひとまず、周りを囲む兵士をどうにかしなくてはならない。そう判断すると同時、ロボは言葉を紡いだ。話すことが出来れば、使える術式はある。


「我が呼び掛けに応え弾けよ――発」


 ロボの周り、空気が震えた。パチッ、火花が散る。そしてそのまま、小さな爆発が――起きなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る