第8話 尊厳死
――――リン――――
ここ数ヶ月、グールの数が増えている。普段ならば、よほどのことがない限り現れないはずなのに、とりわけ最近はほぼ毎日大量のグールが出現していた。
何かしらの異常があるとみて調べているが、原因が分かるのには時間がかかりそうだ。
グール。人肉を喰らう怪物で知られるそれは、決して死者などではない。墓場に現れることが多いためそう誤解されやすいが実際、火葬をしている西方の国でもグールは目撃されている。
彼らは基本的に不死身であるが、首を切り落とせばそこから下が機能しなくなる。
しかしその場合、残った頭だけでくちゃくちゃと気色悪い音を出すので非常に気味が悪い。それに、そのままでも噛み付いてくるのだ。故に、彼らの処理方法としては燃やすのが基本である。
どこからともなく、地中から姿を現す怪物。というのが住人たちの共通認識だ。
腐った肉から出される腐敗臭はとてつもなく臭く、鼻がもげる。そもそも、生き物でもないのになぜ肉があって、しかもそれが腐っているのか……
少なくとも現在、それを知る者はいない。ましてや、アレをそうそう調べようとする学者も少なかった。
リンは現在、そのグール多発地点である墓場の見回りを行っていた。
ここに来てからの主な仕事と言えば、これになるだろう。基本的に端から端までを歩き、帰りは反対側を通って帰る。目視で確認をして、見つかれば即処理。簡単なお仕事だ。
ぼんやりと空を眺めていたリンの視界の端、二つ向こうの通りでグールが二体見つかる。
「はぁ……」
思わずため息が漏れる。
十字架を引きちぎり、銃を握る。照準を合わせると、躊躇せずに発砲した。銃身に文様が浮かぶ。
発射された弾丸は、狙い
突然燃え上がった仲間に驚き後ずさる片割れにも、熱い銃弾を撃ち込む。
銃が基本装備で選択できるようになったのは、つい最近のことらしい。北方の大国、ガジェッタで開発された携帯用武器であり、その殺傷能力の高さと汎用性から急速に普及した。
それに目ざとく目を付けたのが
おかげでこうしてコレが使えるわけだが、彼らの素早さには
そこらの国が抱えている技師などとは比べられないほどの技術を、
最早作業のようになってしまった行為を繰り返し、気付けば殺した数は11体。
もうすぐで折り返しだというところまで来て、リンは気付いた。
――おそらくは……1人で墓参りに来たのだろう。そこをグールに襲われて、喰らわれた……
墓石の前でうつぶせに倒れる女は、酷い有様だった。
見つけてすぐに駆け寄ったが、地面に流れ出た血液は既に黒くなっていた。それにも関わらず、女にはまだ息があった。出血量は、ゆうに致死量を越えている。あふれ出た血液がすぐに黒くなるのは、グールによって怪我を負わされた者の典型的症状だ。
右足の大腿部から下を失った女は、苦しげに喘ぐ。耐えがたい痛みと寒さの中、いままで耐えてきたのだろう。治癒術師や、あるいは聖術使いがいればなんとかなるかもしれない。そうリンの頭の中をよぎるが、残念ながら彼らはいない。
自分は一人で、応援を待つ時間などあるはずもなかった。
つまりは、彼女はこのまま死を待つしかないわけだ。そしてそれは同時に、自らもグールとなりはてることを意味する。いや正確には、グールに似たナニカだが、固有名詞はまあ、言及しなくても良いだろう。同じようなものだ。何にしても彼女は、異形へと姿を変える。
故に、リンは訊いた。
「私は貴女を殺そうと思う、いいな?」
顔を上げた女の表情には、絶望の表情が色濃く刻まれていた。墓場ではグールが多少なりとも出やすくなる。それは周知の事実にも関わらず、こうして一人で墓参りに来る者は多い。熊が出ると言われている山に、どうせ出ないと高をくくって躊躇無く入っていく登山家と似た心持ちなのだろう。
涙と土でぐちゃぐちゃになった女は、ゆっくりと頷いた。水分が足りず、乾いた口ではもうまともに喋ることもできない。
右足の残った部分は完全に壊死していて、そこから上へ上へと腐っていく。腐敗は目に見える速度でどんどんと広がっていて、間もなく下腹部まで到達するだろう。付け根よりも上に及んでいる現状では、足を切り落とすという荒療治も意味をなさない。
であれば、後は安らかに眠らせてやるだけだ。ここで殺し、後は塵になって消える。一度侵された者は、もう普通の死体となることすら叶わない。
「人間を殺すのは初めてじゃないが……この状況は胸が痛むな」と、女性には聞こえぬ音量で。
平坦に声を発したリンだったが、その胸中は穏やかでない。胃はきりきりと捻れるように痛むし、心臓はまるで直接握られているかのように締め付けられた。
銃を握る手が、ぷるぷると震えるのが分かる。
銃口を女の頭部へとあてがい、一度息を吐いた。左手を自らの頭の前から下へおろし、左、右へと移動させて十字架を切る。
そして――引き金を絞った。
燃える死体を前に立ち上がったリンは、それをじっと見つめていた。目をそらしてはいけない、そう思えてならなかったのだ。やがて炎が収まり、灰になった亡骸が塵になっていくのを確認してからリンは周りを見渡す。
今日はもう戻ろう。
そう思って立ち上がったリンの前を、シュンッと何かが横切る。
反射的に、リンは手に持っていた銃の引き金を引いていた。白塗りの聖職者用拳銃が火を噴くと、その銃弾とほぼ同じ大きさをした生き物が地面に落ちる。
体の半分を抉られ、一切動くことなく地面に落ちたそれは、虫だった。ここら辺では珍しくもない甲虫だ。
そう、つまるところ。
リン・クーラ・カーランドは虫が大っ嫌いだった。
元々白い肌を更に青白く染め、鳥肌の立つ腕を抱えてさする。
額に脂汗が滲み、背中を冷や汗がたらりと落ちる。たかだか親指サイズの虫一匹でこのザマである。
「はぁ……はぁ」
頬をぱちりと叩き、首をブンブンとふる。
「まただ……」
何も考えずに発砲してしまうのは、今に始まったことではない。やめなければならないと分かっているが、つい反射的に体が反応してしまうのだ。
虫が嫌い。死ぬほど嫌いだ。
地面を這うのも、空を飛ぶのも、じっとしてるのも、全部ダメなのだ。
だがせめて、発砲せずとも済むようになりたいとリンは思っている。自分の行動があまりにもおかしくて、苦笑にも似た笑い声を上げた。
銃をネックレスへと戻し、リンは再び歩き始めた。
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